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「あ、やっと起きた」
上から降ってくる声に、クレアはぼやける視界をゆっくりと開いていく。
「大丈夫?けっこう思いっきり殴っちゃったから、後で凄い腫れちゃうかも」
「…………サレン、さん?」
「あぁ良かった無事そうね。他に大きな怪我はなさそうだし、というか『置換』のおかげで怪我しないみたいだから。安静にしてれば大丈夫だって」
本心から安堵したのか、クレアにはサレンが胸をなでおろした素振りをしたように見えた。
そして無意識に視線を泳がせると、ぼやけた視界の端に一頭の虎が映る。
「『…………この期に及んで、小生が言えたことではないが』」
まだ焦点が定まってくれないからか、どんな様子かは分からないままだった。
仕方なく瞬きを繰り返しつつ、クレアは聴覚に気持ちを集中させる。
「『このような幼子を容赦なく殴るとか、盟友には人の心がないのか?』」
一瞬の静寂。
割と本気で引いてるのか、ロアの声はクレアでも分かるほど慄いていた。
「なっ!?だって、あぁでもしないとクレア止まらなかったでしょ!?」
慌てて弁明するが、独り言ちに呟くロアの言葉は止まらない。
「『しまいには小生と『進化』を手玉に取り、説教を加えたうえで一方的に力を奪い取り行使するなど。手段を選ばないのは盟友の良さだと自覚しているが、それでも小生は少しだけ怖く思えてきたぞ?』」
「いやいやいや、だからってドン引きしすぎじゃない!?ロアだって戦うの止めなかったじゃん!」
サレンは必死だが、ロアの怯えはまるで消えない。
「『あれは平和的に制圧すると思っていたからだ。それが、まさか躊躇なく暴力を振るうとは。見てみろ、かの『進化』ですら怖がってる始末だ』」
「やけに静かだと思ったら、違うからね!?別に私は暴力で全部解決しようとか思ってないっていうか、兄貴とよく殴り合いの喧嘩をしてたから、そのノリでつい友達を殴っちゃったっていうか!?」
「『…………我、痛いのは嫌だな』」
「しないから!だから辞めて虐めみたいになってるってこれ!!」
一人の人間に全力で怖がる精霊たち。
「…………ふふ」
それがどこかおかしくて。
実は、心のどこかで怖がっていた自分さえ滑稽で。
「ふふふ、あははははははははは!!」
クレアは数年ぶりに。
全てを忘れて、心の底から大きな声で笑った。
「ふふっ、もうパンサラサったら怖がりすぎじゃない?そんな、ふふふ、いえ、でもサレンさんも…………」
「クレア笑いすぎだから!クレアの精霊なんだからちゃんと言ってあげて!」
「そうですね、っくく、ごめんなさい。なんだか可笑しくて仕方なくて…………ふふ」
止めようとするほどに、クレアの笑いは終わらないらしい。
しばらく堪え笑いが続いたが、頬に涙が流れた頃合いでやっと平常心を取り戻すことができた。
「ありがとうございました。サレンさんのおかげで、なんとか正気を取り戻すことができました」
「いいわよ別に。私こそ遠慮なく殴ってごめん」
本心から謝罪を口にするサレンに、クレアはそれでもと首を横に振ると。
「実のところ、早い頃合いで気づいてはいたんです。パンサラサと契約した時点で、わたしは両親にとって用済みなんだろうって」
「…………クレア」
「だから寂しくて。我が儘を言って、みんなを振り回してしまったんです。だから、本当にごめんなさい」
「『案ずることはない』」
パンサラサはそう言うと、巨大な角をぐりんと振り回し。
「『既に街の機能は概ね復活させた。中央にいた連中への加護も、ひとまずは元に戻す形で対応してある』」
「ありがとう、パンサラサ」
「『例ならそちの学友に言え』」
「私?」
角で指され驚くサレンへ、パンサラサは不服そうにこう説明する。
「『此度の騒動における、一番外で起きた暴動鎮圧にそちの学友が大きく寄与している。この国の兵士たちが我が身可愛さで逃げ隠れしている間、そちの学友が事態収拾に奔走していたのだ。おかげで、思っているよりも被害は出ていない』」
「…………チョコ先輩、かな。シュラさんは王宮にいたし」
完全に巻き込まれた側だというのに、あの二人は文句を言わずサレンの手助けをしてくれた形だ。
今のところ狙いも目的も不明だが、とりあえずは感謝をするで問題ないだろう。
「『なんにしても、ここまでインキュリア王国に尽くしてきたんだ。これぐらいの我が儘など、過去の実績でどうにでも握りつぶせる』」
「それでも、迷惑をかけたことは謝りたいです。特にセジリオさんは、色々とわたしにしてくれたみたいで…………」
「『そちは真面目がすぎるのだ。これからはもう少し、肩の力をだな…………』」
「…………あ」
そこでやっと、シュラが今どこで何をしているのか思い出したのだろう。
サレンは気まずそうに視線を泳がせたあと、気づかれないようロアに念話を飛ばす。
(『ねぇどうしたらいい?私、この流れでシュラさんが倒してるかもって言いずらいんだけど!?』)
(『好きにすればいいであろう。どうも小生は言葉足らずの秘密主義らしいのでな』)
(『え、なに拗ねてるの?あんなの流れで出た言葉だし、虎の機嫌の取り方とか私知らないんだからさ』)
とりあえず、回れ右して来た道を戻ろう。
サレンは謝罪の言葉を箇条書きのように連想しつつ、クレアにそう提案しようと考えた。
「『───────サレン!』」
警戒の声より早く、クレアの装いが神霊外装へと変わる。
その直後、揺らめく水面のような不明瞭な壁が砕け、吹き飛ぶように何かが飛び込んできた。
「シュラさん!?」
「…………サレン殿、か」
慌てて駆け寄るより先に、シュラが力尽き地面に倒れる方が早かった。
カランと力なく愛刀が転がり、体の近くから赤い染みが床に広がる。
「…………酷い。ロア、すぐ治癒魔法を」
「…………待て」
激しく震える手で制止したシュラは、強い力でサレンの手を取りこう口にした。
「アレは…………紛い物、だ…………必ず、外側に…………、」
「ちょ、シュラさん!?」
そこで力尽きたのか、シュラの体から力が抜ける。
「『一時的な気絶だ。治療さえすれば命に別状はない』」
「分かった」
ひとまず応急処置だけ済ませ、近くに姿を見せた生命体にシュラの体を預ける。
できれば安全な場所へ運びたいが、それを許さない何者かが奥から姿を見せたのだ。
そして、その顔を見た瞬間。
サレンは奥歯を強く噛み、クレアは息を呑んでいた。
「クレア、あの人って」
「…………わたしも、できることなら否定したいです」
だが、それは叶わない。
なにしろそれは、クレアにとっては唯一と言える特別な人間だから。
「でもあれは、セジリオさんで違いないのです」
この国の執務官であり、サレンをクレアと引き合わせた張本人。
手には巨大な戦斧が握られており。
その体は、紅く灼けた地割れによって別人に成り果てているのであった。




