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明らかすぎる変調があった。
サレンがそこに足を踏み入れた途端、まるで歓迎するかのように一帯の空気が騒めき出す。
「…………クレア」
その発信源。
魔力の乏しいサレンでも分かるほどの何かが、クレアの体を中心にして空間全体を埋め尽くしている。
(なんか、昼間来た時より広い…………?)
クレアと精霊パンサラサが座していた空間は、ざっと見た印象では広めの講堂くらいの大きさだった。
それが今、奥行きどころか天井さえ分からないほど広く、潮流のような青い何かが泳ぐようにあちこちに続いている。
「久しぶり、って言うほどじゃないか。だったら先ほどぶり?も違うよね」
返事はない。
強烈な青色に包まれた空間には、サレンとクレア以外の人間はいない。
「なんて言ったらいいか分かんないけど、一応は拒絶はしてないって思っていいんだよね?」
「…………」
「何か言ってほしいな。オレも、ただ喋り続けるのは大変だしさ」
近づくごとに、まるで水辺に脚を取られるよう重く鈍くなる。
ロアの魔力を纏ってこれと思うべきか、ロアの魔力を纏っているおかげでこれなのか。
(…………流石に、前者と思えるほど能天気じゃないかな)
クレアの様子がおかしいことなんて、もはやサレンでなくても理解できることだった。
あどけなさの残る顔つきは完全に消え失せ、閉ざされいる瞼から感じる強烈な視線がサレンを容赦なく蜂の巣にする。
近づくな。
暗にそう言われているようで、だからこそサレンは歩く速度を少し早めた。
「分かっていたんです、わたし」
口を開いたクレアは、水源だらけの中でありながら乾ききった口調でそう呟いた。
「こんなことをしていても、パパとママは迎えに来てくれないって。頑張っていれば、いつかお役目は終わってくれて。そしたらパパとママが喜んでくれて。そんな、都合のいいことはわたしには起きないんです」
「…………それは」
「だってもう、わたしのパパとママは死んでるんですから」
音が、止まった。
「……………………は?」
辛うじて出てきた言葉は、クレアの発言に対する疑問ではなく。
「死んでるんです。とっくの昔に、たくさんの子供と、その子供たちに看取られて。長い人生を終えたんです」
それを語るクレアの瞳が、昏い海のような光を湛えていたからだった。
「パンサラサの加護は『進化』。あらゆる生命体に変化を促し、時間という制限を無視することができる。そして、その誓約が『停滞』だったんです」
クレアは語る。
幼子の体を持ちながら、その語り口調は余りにも大人びていた。
「『進化』の加護はあらゆる可能性へと萌芽じゃなくて、単にかかる時間を物理的に短縮しているだけ。そしてそれは、逆の方法で使うこともできる。例えば、この国の中央と周辺海域だけ、平時よりも極めて遅く時が流れるようにする、とか」
それは、一時の気分と呼ぶには無理がありすぎる変化。
まるで、見た目をそのままに中身が変わってしまったかのような。
「『停滞』していたのは、わたしだった。わたしはここで取り残され、来るわけの無い両親を待ち続けて。そして、クレアを見捨てた一族の末裔に全てを教えてもらった」
少女であったはずの彼女が、既に死んでしまったことへの証左だった。
「クレアは、愚かですね。パンサラサとしか話していない、話せなかったのに。それでもきっと、信じてれば夢が叶うだなんて。そんなこと、あるわけがないのに」
「『だから我は伝えただろうて』」
水面が揺れるように。
何もない空間が揺れたと思うと、巨躯のサイが姿を見せクレアに告げる。
「『ここに、そちを求める者はおらんぞ、とな』」
「…………そうだね。クレアのことを好きでいてくれる人なんて、元々いるわけがないよね」
違うと叫びたい。
なのに、サレンの言葉は喉に絡まり、声にならず口から出てこない。
それは、サレンとてクレアの違和感に勘づいていたから。
王様だというのに、腫物のように幽閉されている待遇に。
精霊と共にいながら、どこか他人行儀に見える関係に。
なにより。
そうした全てに、クレア本人が敢えて目を背けていたことに。
気づいていながら敢えて触れずにいた、負い目がサレンの口を閉ざしていた。
「精霊と契約した者には、必ず『加護』と『誓約』が与えられます」
気が付けば、クレアの瞳がサレンを真っすぐ捉えていた。
ピタリとも動かない瞳は、眺めているうちに吸い込まれそうなほど昏く。
それでいて、果てに何があるのかと興が湧くほどに美しい青をしている。
「そして、精霊と正式な契約を結んだ契約者は、その瞬間に肉体を捨て、人であることを辞めるんです。とある国では、この行為を『置換』と呼ぶそうですが。正式な名称は特にないとパンサラサは言ってました」
ここでやっと、サレンはクレアが何をしたのか理解できた。
理解できたと同時に、考えていた手段の一つは最初から使い物にならないことにも気づく。
「だから、どうかお戻りください」
空間が揺らめく。
「サレンさまが何を思ってここに来てくださったのか、今のクレアなら手に取るように分かります。ですから、何も心配いらないのです」
クレアの周囲から、青の世界へ塗り替わっていく。
「クレアは平気です。もう、全てがどうでもよくなったので」
正真正銘、クレアは為ったのだ。
親の言いつけを懸命に守り、孤独に耐えながら必死に戦っていた人間から。
あらゆる物事を細事と思える、人間性と決別した人ならざるナニカへ。
「…………よ」
「え?」
「いいわけが、あるかっ!」
だから、サレンは渾身の力で叫んだ。
叫ばないといけないと思った。
「さっきからペラペラと話しやがって!クレアにとっては済んだことかもしれないけど、オレはまだ何も解決してない!というか心配ないって鏡見てから言いやがれ!!」
何が平気だ。
何がどうでもよくなっただ。
「大体、こんなところまでオレを誘導した時点で魂胆がバレバレなんだよ!仮に本気で平気なら、もし本当に吹っ切れてんなら、オレがここに来ることを認めるわけがねぇだろ!!」
そんな、泣きそうな顔で話す相手を。
友達になってほしいと、縋るように話した彼女を。
「オレは勉強はできるけど、恥ずかしいくらい精霊のことは何も知らないし。だから、クレアの言ってたことも全部初耳で、なんならロアの『誓約』が何かも知らないけど!」
ここで見捨てられるのなら、サレンは今ここに立っていない。
「それでも、辛くて苦しいって思ってんなら!オレと友だちになりたいんなら!ちゃんと助けてって言いやがれ!!」
「…………っ!」
一線を越えた音がした。
それは誰かの我慢だったかもしれないし、あるいは誰かの宿願だったのかもしれない。
どちらにしても、一度超えたからには示すしかない。
何故ならば、これに明確な答えが存在せず。
ないと知りながら、互いに譲ることはできないのだから。
「悪いけど、力づくで止めさせてもらうから」
拳を構え、脚を踏み鳴らしてサレンは宣言する。
「わざわざ傷つこうとする友だちを、オレは絶対に認めない!」




