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───────彼女は、聡明だった。
「ありがとうございます」
言葉の一つ一つに敬意が込められ、所作の一つ一つに情愛が込められていた。
「お気遣い、痛み入ります」
彼女を取り巻く環境は、端的に言えば地獄そのものだった。
彼女にしか果たせない使命。
国家を動かす機能の歯車。
そう言えば聞こえはいいが、やっていることは単なる搾取でしかない。
「どうか、お疲れの出ませんように」
だというのに、彼女はそれを微塵も感じさせなかった。
まだ幼き身でありながら、嫌がるでも暴れるでもなく。
ただただ、己に課された使命に殉じていた。
「…………お聞きしても、いいですか?」
だから、だと思う。
交わす言葉は最低限に。
伝えるべきことを、簡潔に伝えるだけ。
そう命じられていたはずなのに、頭では分かっていたはずなのに。
「どうして、貴女はそこまで頑張れるのですか?」
心だけは、生まれた疑問を無視することができなかった。
「…………」
彼女は答えない。
驚いているようにも見えたし、不思議そうにも見えた。
迂闊なことを聞いたと。
疑問の余韻が口元から消えたころ、自分はやっとそのことに気づいた。
「失礼。余計な会話でしたね」
「…………両親が…………言っていたんです」
意を決しているのは分かった。
彼女はその瞬間だけ、年相応の少女に戻っていることも。
それが、人ならざるところから降りてきた印だということも。
「これは、わたしにしか、できないことだって。だから、選ばれてすごく嬉しいって。だから、えっと、頑張れてるのは、そういうことなんだと思います」
全貌が見えてしまえば、あまりにも残酷なことだった。
彼女は愛されるべき相手から愛されるため。
本来なら無償で貰えるはずのそれを、対価として提示されただけの話。
彼女は聡明だ。
対価として出されるものが、相手にとって価値のあるものだと理解しているし。
対価として出されたものを、今の自分が持ち合わせていないことも理解していた。
だから、あまりにも残酷すぎて。
「…………その、わたしからも聞いていいですか?」
あまりにも健気すぎて。
「わたし、頑張れてますか?あなたからみて、わたしは立派ですか?」
縋りつくように向けられる視線が、どうしようもなく可哀想だった。
「えぇ、十分に」
だから、答えは自然と出てきた。
考えずとも、心からの尊敬が彼女への敬意を口にしていた。
「とても、素晴らしいことだと思います」
自分もまた、彼女を苦しめる一人だと分かっていながら。
まるで自分に罪過がないように、他人事のようにそれは出ていた。
「そう、ですか。そうなんですね」
怯える瞳には安堵の色が。
小刻みに震える肩は、ゆっくりと脱力し。
「それでしたら、よかったです」
道端に咲く小さな花のような笑みは。
可憐すぎて、すぐに散ってしまうかと思った。
だから。
自分はすぐに行動を開始した。
大義名分は、国家の機能を維持するため。
平和と秩序のためにすべきことだと。
これは必要なことなのだと。
これは意味のあることだと。
これは理由のあることだと。
自分は誰かに言い聞かせるように、意見書を記し父へと提示した。
「論外だ」
一蹴だった。
取り付く島もないとは、まさにこのことで。
返す言葉を発するよりも先に、父は理由を口にしていた。
「そのようなことをして、こちらに何のメリットがある?一度でもアレに譲歩すれば、あれよあれよと次第に要求が増えるだけだ」
父は語る。
「確かに、その提案だけであれば叶えることはできる。だがしかし、一度でも要求を認めれば、アレはこちらが願いを叶えてくれると学習する。今はまだいいが、この先どうなるか想像できないとは言わんだろうな?」
父は語る。
「そもそも、アレと関わるなと伝えたはずだ。その約束を破るような相手が、この先も約束を違えないと誰が保証する?その結果、我々が受けている恩恵を損なうかもしれないのだぞ?」
父は語る。
「それに、アレは我が国のモノだ。同情も共感も、アレには一つとして必要ない。すまないが、明日は重役との会議があるのだ。これ以上、あんなモノに付き合うほど暇ではない」
父は、語る。
「お前は役目に殉じ、アレを機能させればいい。それ以外のことは、今のお前には何も求めていない」
最初から、父は自分に期待なんてしてなかった。
ただ扱いやすく、都合がよく、物分かりがいい。
それだけの理由で、自分を彼女と関わらせた。
逆らうわけがないと、そう擦り込んだから。
「…………分かりました。父上」
そこにいたのは、権力と地位に固執したナニカだった。
醜く浅ましく、己の欲望のままに振舞うだけの物体。
「よく、分かりました」
歪んでいたのは、最初から自分たちだった。
私利私欲のために彼女を利用し、直接手を汚さない仕組みを作り上げ。
この緩やかな時の中で、ゆっくりと罪悪感を薄めていったのだろう。
何を言っても無駄だ。
何をやっても無意味だ。
この国は、取り返しのつかないほどに狂ってしまって。
この国は、どうにもならないところまで来てしまった。
「何をすべきか、非常によく分かりました」
壊そう。
こんな醜く穢れた箱庭は。
彼女を海底に閉じ込める牢獄は。
彼女の未来のために、これ以上の犠牲を生まないために。
「では、さようなら」
それは、あまりにも遅すぎる親離れであり。
それが救いになると妄信した、身勝手な騎士の奉仕だった。




