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そうこうしている間に、夕食の時間が訪れた。
ここ魔法学校では一日に三回、全生徒に対し無料で食事が支給される。
生徒の中にはシルフィのような上流階級の人もいるため、サレンのような家庭では手が出ないくらいに美味しい料理が並ぶことで評判だった。
全生徒が集まる大食堂で食事を終えたサレンは、追加で貰ってきた黒麦のパンを齧りながら頬杖をつき。
「…………はぁ」
体を清め、全身をさっぱりさせたのとは対照的に。
まるで魂が天井へ抜けているかのように、浮かない表情でため息を繰り返していた。
「サレンちゃん、行儀が悪いわよ」
「…………うん」
シルフィの注意も右から左へ。
事情を知っているだけに、シルフィも強くは注意することはせず。
「例の件、どうするつもりなの?」
「…………悩んでる」
「それは見たら分かるわ」
「…………悩んでる、けど」
「けど?」
モグモグと、咥えたパンを一気に胃の中へ押し込むと。
「悪くはない、と思う」
「…………」
それがどういう意味を持つのか。
シルフィに対し、まるで分かっているだろうと言わんばかりにサレンはそう呟いた。
「本校はすごく狭き門だけど、実際は退学率もそれなりに高い。難易度がとんでもなく高いとかだったり、色々と危険で逃げ出したり。だから卒業の資格がなくても、入学できたって実績があるだけで違うって聞いたから」
「…………だから、嘘をついて入ろうってこと?」
「実技試験。今のままじゃ、どうやっても合格できないしね」
本校。
中等部から試験を通過することで進学できる、この国が誇る魔法の総本山。
古今東西あらゆる魔法が集結し、そこを卒業することは一流の魔法使いだと確約されるほどの破格の実績を有することができる。
そして、その先に待っているのは生まれの差を全て無視した、超一流の待遇と報酬。
数多の魔法使いが集まる場所を、この国では魔法統括局と呼んでいる。
「でも、それじゃあサレンちゃんの夢が…………」
サレンの夢。
それは魔法統括局に入職すること。
下流階級の生まれであるサレンにとっては、唯一といっていい正当な成り上がり先だ。
「シルフィは知ってるでしょ?私の適性魔法は造形。で、その入学試験は一メートル四方に収まる造形物を魔法で作ることだって」
この国では魔法は十三の科目に分類される。
そのなかでシルフィは植物科に、サレンは造形科に区分される。
これは個人の適性と魔法の性質を加味し、初等部の初めに判定された公平な指標だ。
だから、これに嘘があるとは思わないし、思う余地がない。
そこを疑うことは、既にサレンは終えている。
「今の私が作れるのはせいぜい十センチ四方にも満たない、フィギュアくらいの造形物。それも作りも形状もふつーの、何も捻りもない平凡極まりないもの。これで受かる!って思えるほど能天気にはなれないかな」
無論、ただ大きければいいわけではない。
だとしても、サレンの作る造形物は余りにも小さく、あまりにも杜撰だった。
「結局、魔力の量も変わらないしね」
「…………サレンちゃん」
魔法の才能の殆どが魔力量であり。
魔力の量は先天的な才能にほぼ全て依存している。
だから、既に本校への進学が決まっているシルフィでは、その土俵に立つこともできないサレンにかける言葉は何もなかった。
「ケッ!これはこれは、落ちこぼれのがり勉ちゃんじゃあないか!」
ただし。
そういう背景を知り、意図的に煽ろうとする者を除けば、だが。
「…………チッ。またうるせぇのが来やがった」
「んん?なんだい?魔力不足で声もまともに出ないのかな?」
「うるせぇって言ってんだよ、このクソラシェト。食い終わったんなら部屋に戻ってろ」
馴れ馴れしくサレンの肩に掌を置き、反射的に弾き飛ばされ大げさに驚く男。
名をラシェト。
実技試験二位、筆記試験三位という優秀な成績を残し、この国では高名な魔法一家の次男坊。
トサカのような染めた金髪のリーゼントヘアー、憎たらしい作り笑い、高級魔法具をさながらネックレスのようにあちこちにぶらさげた男。
そして。
シルフィと同じ、本校への進学を既に得ている優等生である。
「ケッ、酷い態度だなぁ。こう見えても、僕は君を心配しているというのに」
「顔に全部出てんだよクズ野郎。ペラペラ喋る暇があんなら、その取り巻き共に勝手にやってろや」
サレン以外とは他生徒と関りを持たないシルフィに対し、ラシェトは大勢の顔見知りを作り派閥に似た集団を形成している。
そのなかでも特に信仰深い二人が、ラシェトの背後から同じ笑みでサレンを見下ろしていた。
「筆記試験主席。それだけの努力ができるというのに、まさか魔力には恵まれなかったなんてねぇ。いやはや、実に神様は残酷なことをしてくれるものだ」
「行こう、シルフィ。コイツの顔を見るくらいなら部屋で勉強してるほうがマシだ」
「おやおやおや、得意の現実逃避の時間かな?」
「ラシェト様。それは些か言い過ぎでは?」
流石のシルフィも見るに堪えかねたのか、眉間に皺を寄せラシェトに苦言を呈す。
「いやはや、流石はアルクメネ家の後継者さま。このような落ちこぼれの相手をしてあげるとは、実に広大なお心をお持ちのようで」
しかし。
ラシェトはシルフィには丁寧な口調と態度でそう告げ。
「ですが。あくまで、事実を口にしているだけですので」
まるでドブに落ちたネズミでも見るかのような口調で、ラシェトはわざとサレンの足首を爪先で蹴り、シルフィに頭を下げ去ろうとする。
「───────おい」
当然、サレンは見逃さない。
「ん?…………おっと」
「ちょ…………っぶぇ!?」
大振りの右の拳を前に、ラシェトは躱すのではなく隣にいた取り巻きを前に差し出し。
当然、何が起きているのか分からない取り巻きは、それは見事に宙を舞い別の食卓へとダイブした。
「喧嘩してぇなら今すぐに勝ってやろうか?あぁ?」
「ケッ!これだから下々の民は躾がなってなくて困る」
騒然とする食堂。
その発信源にいる二人は、互いに視線を切ることなく数センチの距離で睨み合いへと発展する。
「シルフィ。結界魔法をお願い」
「…………それは構わないけど、場所を変えましょう。ここはちょっと、人が多すぎるわ」
「心配ご無用ですよ、アルクメネ家の跡取りさま。こいつ相手に本気を出すまでもありませんので」
「…………っは」
恭しく笑顔で答えるラシェトに対し、サレンは一つ失笑で返した。
「何が本気だボンボン野郎。テメぇの魔法ごときで怪我するヤツがいるわけねぇだろ」
「ケケケ!これは傑作だ!魔法が使えない欠陥品に何が分かるのかな?」
「ご長男ほどの才能がねぇってのは、オレでもよーく分かるけどなぁ」
「…………オイ。それ以上、兄上のことを話したら殺すぞ?」
「どうしたニワトリ野郎。さっきまでの余裕はどこいった?」
この分校での上位三人。
しかも歴代でも飛び抜けて優秀な世代なのもあって、この状況で静止に入れる人間は存在しない。
(サレンちゃんは秘密の特訓で魔力の殆どを消費するから、普段の授業は抜け出すかサボってる。だから未だに、ラシェトさんよりサレンちゃんの方が強いって噂する人が一定数いて。それをラシェトさんは目の敵にしてるってのは噂で聞いてたけど…………)
シルフィとて知っていて何もしてこなかったわけじゃない。
むしろ牽制になればと思い、必要以上にサレンと行動を共にしてきたつもりだ。
(…………まさか、こんな荒っぽい方法を選んでくるなんて)
重要なのは、この二人が本気で衝突してしまったこと。
そして不運にも、先生たちが止めに入る気配がしないということだ。
「いい機会だ。その無駄な知識しか詰め込まれてない粗大ごみの中身を確かめてやるよ」
「できるもんならやってみな、このチキン野郎が」
争いが始まる。
ただのじゃれ合いでは絶対に済まない、恐らく本気の魔法戦が。




