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そのころ、サレンは。
「うわ、はぁ…………!」
海の中にいた。
「海中を遊覧するとか、こんな経験初めて…………!」
「そりゃそうでしょうね」
大量の玩具が押し込まれた巨大な箱を眺める子供のように。
サレンは目を爛々と輝かせ、額を窓に押し当てながら流れる景色に夢中になっている。
「チョコ殿は冷静なのだな」
向かいに座る藍色の髪の青年、シュラにそう尋ねられると。
「驚きはしてるし感動もしてるわよ。だけど、依頼が届いた時からずっと調べてはいたから、サレンほど大袈裟に反応してないってだけ」
「…………なるほどな」
ピンクと白のパステルカラーの髪の女子、チョコは肩から下げるポーチから手鏡を取り出すと。
「耐水性の高い化粧道具は用意してきたけど、これが役に立つかは心配になるのよね。一応、完全に閉ざされた空間だから極端に湿気は多くないんだっけ?」
「…………」
ここにきてまで、チョコは平時と変わらず自身の容姿が気になるらしい。
(らしいと言えばらしいが、もう少し気にすべき点はあると思うが…………)
そう思いつつも、シュラはチラリと視線を横に向ける。
「見て、ロア!あそこにでっかいウミガメがいる!」
「『盟友は海亀に興味があったのだな』」
「別に言うほどじゃないけど、地元に海がないからね。前に読んだ本に書いてあって、どんななのかなってシルフィと話してたから。って、凄い沢山来た!?」
「『どうやら群れのようだな。小生の記憶ではそのような生態は記憶していなかったが、見るに他とは独自の生態系が発展した場。であれば、小生の記憶も当てにならないのも道理ではあるな』」
「なにブツクサ言ってんの?それよりも、こんな機会滅多にないんだから、ロアも一緒に目に焼き付けなさい!もしくは記憶に刻み込むとか!」
「『…………さては小生を記憶端末の一つと思っていないか?』」
初めての遠足で浮かれる子供か。
シュラは喉から出かけた言葉を辛うじて呑み込み、そして一つ咳をついた。
「盛り上がるのは結構だが、目的を忘れてはいないであろうな?」
そもそも、三人が海の中にいること自体が普通ではない。
カザハコエイ。
全長は三十メートル弱にもなる大型のエイ科の生物で、一番の特徴は背中に形成される大きな隆起物。
中は空洞でかつ生命活動が行え、なおかつ調教が行えるという点から飼育が可能。
海楼国家インキュリアにおいて、陸上とを繋ぐ唯一の移動手段であり。
この周辺の海域にしか生息例がない、極めついて珍しい生物群の一つである。
「拙者らの目的は精霊科に届けられた依頼を達成し、抹消不可能な功績を挙げることで実績とすること。これまで達成不可能とされていた依頼だったが、サレン殿の加入によって現実的なものになったのが事の経緯だったはずだ」
魔法国家クライドラが承認し授与する学士、という称号。
魔法学校において優秀な成績を修め、高い実績を達成した者に与えられるそれは、本来存在しないことになっている精霊科の生徒には絶対に与えられられないもの。
従って。
魔法統括局への必須項目であるそれが欲しいサレンにとって、大人しく本校に通い続けるわけにはいかず。
必然的に、魔法統括局が認めざるを得ないだけの、特筆されるだけの結果を在学中に残さないといけない状況にある。
「向こうからの依頼は、同類を連れてくること。かねてからインキュリア王国では精霊の目撃証言が幾つも残されているが、未だに確認には至っていない。そこに相違はないか?」
「調べた感じはね」
手鏡で前髪の位置を調整していたチョコは、おもむろに特注の魔法具を起動させると。
「過去百年での渡航歴はざっと二百と七十三回。主な学科は動物科と造形科、それに医術科みたいね。まー独自の生態系と、そこから手に入る素材が欲しいって理由だと思えば納得はいくけど…………」
「多いの?」
「多過ぎるくらいね」
チラチラと海中を眺めているサレンの問いに、チョコは端的にそう断言した。
「魔法の研究のためなら数年単位でやらないと意味がないし、まして生態系の調査って名目なら数十年はかかるわ。でも、そんな長期間滞在した記録はどこにも残ってないし、目新しい研究報告も見つかってない。はっきり言って、頻度と成果が釣り合ってないのよ」
「でも、魔法の研究って大概は結果が出ないんじゃないの?」
魔法の研究とは、大いなる徒労と無駄を積み重ね。
その残骸を踏み台に僅かな成果を掬い取る行為である。
多くの魔法使いは生涯をかけて魔法の研究を進め、探求を繰り返し、その生涯に意味がなかったと結論を出して世を去っていく。
そして、次の世代は否定された結果を眺め、次の進路を見定め無駄へと進んでいく。
だからこそ、魔法使いとは世間からは隔絶された存在であり。
多くの民草にとっては、魔法は身近にあれど魔法使いは縁遠い存在なのだ。
そんな一般常識と分校レベルの知識しかないサレンへ、チョコは片目を閉じると。
「出なくても、それっぽく見せるのが普通なのよ。魔法の研究に使える予算は決まってるし、時代の流れで新たな研究対象だって出てくる。だから大抵の魔法使いは、例えその研究に何も意味がなくても、そう見えるように取り繕った研究結果を報告するわけ」
「…………なんか、俗世的」
要するに見栄と建前で上手く取り繕うらしい。
神秘から遠く離れた裏事情を聞いたからか、サレンの表情は打って変わって暗く影を落としている。
「仕方ないのよ。クライドラ王国にとって、魔法は国家の存続に一番影響を及ぼす事業なんだもの。ずっと結果が出てないものに投資するほど酔狂じゃないってだけ」
「そして、精霊の存在を認知することは魔法世界の秩序に直結している」
「詳しい話をすると長くなるから簡潔に説明するけど、精霊を禁忌とするのは現代の魔法理念に賛同してる人らだけ。つまりは、そうじゃない連中もそれなりにいるの」
精霊とは関わるな。
それは魔法が中心にある国家の常識であって、世界中が必ずしもそうというわけではない。
そして、その方針を打ち出し周知させているのは、他でもない魔法国家クライドラだ。
必然的に、秘密裏に精霊と契約されていることも、それを把握できていないことも対外的な印象に悪い。
「この依頼はインキュリア王国から出された、インキュリア王国のためのもの。でも実際は、クライドラ王国が本校を通じて精霊の存在を捕捉させるための課題ってわけ」
「…………でも、それって」
「そう。仮にクライドラ王国側の思惑通りに動いた場合、アタシらの功績は確実に握りつぶされる」
だからこそ、チョコはこの依頼を選んだのだ。
本校から遠く離れた、恐らく邪魔が入りずらい僻地にある依頼を。
「アタシらの目的は一つ。クライドラ王国側の目的から逸脱しないまま、インキュリア王国を味方につけること。サレンという同類がいるっていう利点を生かして、どっちにも恩を売って取り入るのよ」




