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クライドラ王国の貨幣は、合金で作られた硬貨が基本となっている。
軽銀、銅、銀、金と価値が上がり、それぞれ百枚を超えると一つ上の硬貨と交換が可能。
そして、金貨一枚の価値は、育ち盛りの子供二人を育てる父母一家が、一か月は生活できる程度のもの。
故に下流階級の人間は、金貨を貰う機会はあっても使うことは極めて稀と言えるだろう。
その一方で、この国では紙幣は流通していない。
理由は大きく分けて二つ。
一つは貴族は物品の購入の際に貨幣を使用する機会がなく、その大半が小切手という形で精算していること。
もう一つが、小切手を含めた全ての貨幣を魔法統括局が管理している点だ。
小切手はその性質上、偽造を行うことが極めて容易だ。
そのため多くの小切手には専用の魔法が施されており、その開発と管理を魔法統括局が行っている。
お金の価値は国家の強度に直結する。
故に魔法統括局にとって、貨幣の偽装や悪用は制作した魔法の脆弱性を示すことになるため厳格に管理しているのだ。
加えて、下流階級を含めた大多数の人間は、手元にお金があることを一種の保険だという価値観がある。
金銭に困ることのない上流階級とは違い、彼らにとってお金とは油断すれば消えてしまうもの。
だから紙幣という、携帯性に優れ増産が容易な代物に価値性を見いだせないのだ。
「売ってない?」
以上がこの国における、サレンが軽銀硬貨の一枚すら持っていない金に関する概要である。
「えぇ、なんでも急に必要だからという理由でして…………事情は分かっていないのですが…………」
「聞くが、他も同様なのか?」
店内では交渉のためにシュラが。
その外で待機するサレンは、横で魔法具を操作するチョコの様子を窺っていた。
(『まさかと思っていたが、本校から支給されていた支援金を全て実家に送っていたとはな。道理でカフェ、とやらに行きたがらないわけだ』)
反論の余地のないロアの言葉に、サレンは思わず息を詰まらせると。
(『だって…………分校みたいに食堂はあるし、寮もあるから寝床もあるって聞いてたから…………』)
(『結果として、課題制作のための素材すら買えない、と』)
(『仕方ないじゃん!私だってこんなことになるなんて思ってなかったんだって!』)
その実、シルフィが傍にいるからどうにでもなるだろう、という甘えがあったのだが。
幸か不幸か、ロアはそこまで細かな微差は理解できなかった。
「待たせたな」
「ど、どうでした?」
入学課題の為の素材を購入するために、サレンらは敷地外にある商店街を訪れていた。
どういうわけかチョコとシュラが同行してくれ、拒む理由もなかったサレンは素直に身を委ねている状況にある。
「話を聞くに、別の学科も同様の課題を出しているらしい。加えて…………」
「…………?」
急に言い淀むシュラへ首を傾げるサレンは、急に発したチョコの言葉でビクリと体を震わせる。
「分かった。どうも変だなって思ってたけど、これ急に課題を変更した学科がいくつもあるみたい。で、その課題を全て造形科のと一緒にしてる」
「どういうこと、ですか?」
「簡単に言うなら、アタシらへの嫌がらせよ」
チョコは喋りながら、空中で回転する立方体を操作すると。
「シュラが指摘するより前に気づいた連中がいたのよ。で、同一の課題をぶつけて素材を枯らせば、強制的にサレンを退学にできると考えたってわけ。っとに、やることが狡いのよ」
「何処だ?」
「人体科と、文学科ね。人体科は毎年新入生が多いから、こいつらが揃って買い漁られたら手出しできないわ」
「となると、大通りの商店は全滅と見るべきか」
「でしょうね。あとは、路地裏にある個人店を当たってみて、それがダメなら…………」
知る方法すら思いつかないサレンの前で、チョコとシュラはつらつらと情報を開示し整理していく。
その、余りにも都合が良すぎる光景に、サレンはついに耐え切れなくなった。
「あ、あの!」
「なに?悪いけど、今時間が」
「なんで、ここまでしてくれるんですか?」
理解できなかった。
シルフィからの好意は、少なからず学識が優れているという点で説明ができる。
嫌われるのなんて、心当たりがありすぎて絞れないくらいだ。
そこに加え、今のサレンは精霊と契約を結んだ違反者。
魔法使いの絶対則、禁忌を犯していると断言してもいい。
だから、ここまでしてくれる彼らの心中が余りにも理解できず。
本心から、何か裏があるのではと勘繰りたくなってしまう。
「…………強いて言うなら、なんとなくよ」
そんなサレンの不安を見透かすように、チョコはあっけらかんと答えた。
「別に、サレンにそこまでの思い入れがあるわけじゃないわ。確かに精霊は珍しいけど、だからってアタシの研究対象じゃないし。アタシの魔法に活かせる部分があるとも思えないしね」
「…………」
「だけど、アタシは何も知らず困っているアンタを、ただ放っておけるほど人でなしになったつもりもないし、そんな奴に成り下がるつもりもない。というよりも、サレンの顔に書いてあるのよ。困ってるので助けてください、ってね」
思わず。
顔を真っ赤にするサレンを見て、チョコはしてやったりと言わんばかりに笑うと。
「アンタ、上にお兄ちゃんかお姉ちゃんがいるでしょ。そういうのってなんとなく分かるし、アタシはそれがさほど嫌じゃない。助けてって望まれるなら、応えてやってもいいかなって思うくらいにはね」
「先に伝えておくが、嫌なら最初から手助けしておらん」
シュラの言葉にチョコは同意すると。
「その証拠にほら、あそこの建物の影から様子を窺ってるライネがいるでしょ?あの子もサレンが困ってるだろうなって思って、でも話しかける勇気はないから遠巻きで見てるのよね。他の奴らは…………うん」
「来ぬだろうな」
「だから、気にしないでいい。別にこれは、特別な義務感があってやってるわけじゃない。アタシはただ、アンタが気に入ったから手助けしてるだけよ」
コクリ、と。
小さく頷くシュラを見て、サレンは思わず掌を強く握っていた。
それを見たチョコはフッと小さく笑って。
「はいはい。そういうのは、今の状況を解決してからにして頂戴」
コツンと指先で額を小突き、そして思い出したように斜め掛けのポーチを漁ると。
「これ。一応だけど渡しとくわ」
「なんですか、これ?」
「エンブレムバッチ。基本的に属する学科ごとに決められたシンボルと、一目で識別できるようにネクタイやスカーフの色を変えるんだけど。敢えて付ける理由がないから半分お守りみたいなものだと思っていいわ」
渡されたそれは、掌に乗るくらいの大きさのバッチだった。
描かれているのは白で縁取られた黒猫が、積み上がった王冠を前に丸くなって眠っているものだった。
受け取ったサレンは、しげしげとそれを眺めていると。
「アタシら精霊科の色は黒で、シンボルマークは猫。本来ならそれに準じた装備を身に着ける決まりなんだけど、アタシもシュラも守ってないから気にしないでいいわ」
「本質的に、名と顔は知られているからな」
「だから、こういう嫌がらせは一度や二度じゃないってわけ。んで、精霊と契約した新入生が入学課題を出せなくて退学した、なんて。知られたら速攻で嫌がらせの要因にされるわ」
「予算が減らされるだろうな」
「ホントっ、アイツら適当なことばっか言いやがって!これ以上は生活維持の危機なのよ!分かる、サレン!」
「え、あ、はい」
段々とヒートアップしていくチョコに圧倒され、サレンはただただ返事をすることしかできない。
そして、その様子を止めることなく、むしろ煽るようにシュラはこう言う。
「またとない機会。この局面を打開し、新入生らの意識を改善するとしよう」
「えぇそうね!これぐらいで倒されるほど、アタシら精霊科はヤワじゃないって思い知らせないと!」
どちらかというと、それが手助けしてくれる理由なのでは。
なんとなくサレンはそう思ったが、チョコの剣幕を前にして伝える勇気はないのであった。




