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「うへぇ…………埃まみれだし全体的に空気が悪いし窓も少ないし、こんなのまともに管理してないじゃん」
「そう言わないのよ、サレンちゃん。私も手伝ってあげるから」
「ごめんねシルフィ。シルフィは何も悪くないのに一緒に書庫の整頓を手伝わせちゃって…………」
「気にしないで。他にやることもなかったから」
微笑みながら手に持った書物の埃を払うシルフィを眺めながら、サレンは心の中で大きなため息をついた。
(あーあ。こんなことだったら授業聞いとけばよかった。あの先生、普段は割と見逃してくれる癖に、たまに与えてくる罰が重すぎるんだよ)
クドクド文句を言ったところで与えられた作業が終わるわけではないので、サレンは「よし」と小さく呟くと。
「ま、蔵書数は大したことないし、半日もあれば余裕で終わるでしょ」
「そうね。きっと午前授業の日に合わせてくれたんだと思うけど、一気に終わらせられると思えば気持ちも楽になるわ」
「んじゃパパっとやっつけて、今日はシルフィから貰った洗髪剤を使っちゃおっかな」
「やだ、まだ持ってたのあれ?もう三か月は経ってるわよね?」
「だって勿体ないし。アルクメネ家の秘伝の『薔薇』の香りがするとか、私みたいな小市民には高嶺の花なわけですよ」
アルクメネ家はここら一帯を治める一族の姓であり、代々優れた魔法使いを輩出している名家でもある。
そしてその長女であり後継者であるシルフィは、歴代でも特に優れていると評されており。
「あ、これ前に第三書庫で見たことがあるわね。けっこう古くなってるから買ってあったのを忘れてしまったのかしら」
「懐かしいわ。この本、私が五歳のころに御父上から頂いた本よ。これで魔法の勉強をしたものだわ」
「ねぇ見てサレンちゃん。この書籍、確か三週間前に授業で習った魔法に関するものじゃない?」
実技試験は全体で一位。
そして筆記試験ではサレンに次ぐ二位の成績を修める天才である。
(そんな私は筆記は一位だけど、実技はぶっちぎりで最下位。というか評点基準にすら到達してないから無得点って。どんだけ才能ないんだかって話よね)
魔法の才能は、その殆どが自らが保有する魔力量に左右される。
魔法は世界に存在する奇跡に接続し、その一端を行使するものなのだが。
それを可能にするには、まず自分自身が奇跡そのものに触れないといけない。
奇跡に接続し、望む形で具現化するという行為には、大量の魔力と繊細な魔力操作が必要とされる。
そして現代魔法においては、魔力操作よりも保有魔力量の方が遥かに重要視されているのだ。
「また考えごと?」
ピクリと肩を跳ね上げ振り返ると、そこには全てを理解しながらも普通に接してくるシルフィの姿があった。
(これで性格が悪かったら少しは恨めるんだけど、当の本人が非の打ち所がない善人ってのがまた…………持って生まれた差を感じさせるっていうかさ…………)
中等部は初等部と比べて人数が減り、遠方から通う生徒が増えるため、基本的に全員が寄宿舎で共同生活を送る。
二人一組の部屋に振り当てられ、特にこれといった背景を持たないサレンに対し、家柄が上であるはずのシルフィは一切それを感じさせず接してくれる。
「まぁ、ちょっとね。全部の書庫と照合していったら、ちょっと半日で終わらないかもって思って」
だから、サレンは何も言えなかった。
自分が劣ると認めながらも、それを口にして本当に傷つくのが誰なのか分かっているから。
「…………そうね。もしそうなら、ひとまずは同じ書物だけまとめておいて、先に先生から頼まれた書物を探すのを優先したほうがいいと思う」
そして、シルフィもまた何も言えなかった。
もしそれを言及すれば、きっとこの関係は壊れてしまうから。
互いにそれを慈しみ健気に守ろうとすれど、どこかで必ず崩れると分かっているからこそ。
サレンは努力を惜しまないし、シルフィはサレンの味方で居続ける。
そんな歪で、だけどあまりにも真っすぐすぎる。
親友とは似て少し異なる関係が、二人を表す全てだった。
「それにしたって、第五書庫って本当に人が来ないわよね。前に覗きに来た時もおもったけど、もうほとんと倉庫みたいなものだしさ」
「仕方ないわよ。教室棟と寄宿舎から反対側だし、四方の門のどこからも近くないもの。サレンちゃんじゃない限り、門限ありで貸出禁止のルールの中でここに来る方が珍しいと思うわ」
「そりゃそうだ、っと。あったあった。これで七冊目で、残りは…………ってまた面倒なのを。これ、確か背表紙が途中で差し替えになったやつじゃん…………」
「どう、見つかりそう?」
第五書庫の広さはせいぜい縦横十メートル前後だが、二十段を優に超える本棚が所狭しと並んでいるため圧迫感が強い。
一応のつもりか小さな四角机が建物中央にあるが、四方全てが本棚で埋まっているため光どころか空気の流れが極めて悪かった。
「うぅん…………分類的にはここなんだろうけど…………もうちょい左を探してみる…………」
「どうする?灯りを追加しようか?」
「ごめんお願い。っと、ちょっと足が滑るなここ」
シルフィが指で虚空に記号を描くと、途端に掌よりも小さな光の球体が姿を現し、シルフィの意思をくみ取るかのようにサレンの方へと向かっていく。
基礎的な魔法の一つであるそれは、簡易的な照明になる代わりに寿命が短いが指向性に優れている。
本棚から本棚へと飛び渡りながら目的の書物を探すサレンの補助という点では、ロウソクやランタンよりも適当だと言えるだろう。
「んんんぇ…………ないなぁ。絶対この辺りだと思うんだけど…………」
「念のために聞くのだけど、サレンちゃんの想像通りに整頓されているの?」
「多分だけどね。なんとなくだけど、書庫っていうより工房に近いっていうか…………誰かの意図があるっていうか…………」
同じように先生から渡されたリストの書物を探していたシルフィだが、少なくともサレンが感じていることなど全くもって分かっていなかった。
いやむしろ、ここまで荒廃している書庫でそれが分かるサレンが凄いのだが。
「って、やばっ!?」
「サレンちゃん!?」
咄嗟に己の魔法を使うとするも時すでに遅く。
恐らく飛び移る際に足を滑らせ落下したのか、無数の本と埃に埋もれ、咳き込みながらゆっくりと体を起こす。
「大丈夫、サレンちゃん?」
「うぅ…………今日はもう絶対に、湯船につかって泡風呂をしてやる…………」
「もう、無茶するからこうなるのよ」
「すみませんでした。もうしません」
のろのろと起き上がる割に怪我一つないのはサレンの頑丈さ故だろう。
この、魔法使いとしては一ミリの関係ない頑丈さもまた、サレンの魅力だとシルフィは素直に思った。
「それにしても、派手にぶちまけちゃったな。自業自得なんだけどさ」
「次からは本棚から本棚へと飛び移る移動方法は控えるべきね。幸い、まだ確認してない場所だったし、整頓しつつ確認できるって思えば…………」
うず高く積まれた本の山を眺めていたシルフィは、ふと何かに気づいたのか徐に手を伸ばした。
「これ、何かの入れ物かしら…………?」
「どれどれ。うわ、見たことない形の紐で閉じられてる。もしかして、何か秘伝の魔法書が入ってたり?」
「どうかしら。見た感じだと魔法による封護はされてないようだけど」
とりあえず危険はないだろうと判断し、シルフィが手早く紐を解き蓋を開ける。
長方形の箱の中には、綺麗に保管された一本の巻物が入っていた。
「これ、確か東の端の…………?」
「似てるけど、これは手前の『桜彩』の国のだと思う。生憎、クライドラ王国とは疎遠だから滅多に見れるものじゃないけど…………」
横から巻物を取り出したサレンは、更に硬く結ばれている紐を解き。
その一端を、ほんの少しだけ引っ張った。
「───────ッ!?」
途端。
形容しがたい感覚が、瞬間的にサレンの全身を一瞬で貫いた。
「サレンちゃん…………?」
(───────なに、いまの?)
違う。
これまでの人生の中で一度も経験したことのない感覚。
世界そのものが一転するような、ぐるりと自分自身が大きく回転するような。
「『このような場で小生を起こすとは、どうやら此度の盟友は余程の物好きと見た』」
声。
こえ。
こ、え…………?
「「……………………だ、だれ!?!?」」
思わず両手を取り声を重ねて叫んだサレンとシルフィは、次の瞬間にそれを見た。盟友
「『そう驚くな盟友よ。精霊たる小生に襲う意思などありはせん』」
どこまでも透明な。
白く澄んだ光を纏う、一匹の虎の姿を。
「『小生の名をマウナ・ロア。『脈動』の名において、盟友の鉾となりようぞ』」




