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墜星のイデア ~生まれついて才能がないと知っている少女は、例え禁忌を冒しても理想を諦められない~  作者: いさき
序章 邂逅

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 覚悟を決めた。


 サレンは一つ息を吐き、両手で顔を軽く叩いてから、ゆっくりと廊下へと出た。


「…………」


 その姿を見て、シルフィはロアを抱きかかえながら部屋を後にする。


 そして。

 ゆっくりと扉が閉まり。


「…………?」


 瞬間。


 何一つ変わらないはずの景色が、明らかに変化したことに気が付いた。


「…………シルフィ」

「一緒よ、サレンちゃん」


 言葉にしないのは、それができないから。


 二人とも同じことを感じ取っているのに、それが何なのか説明できない。

 分かっているのに、それを表す適切な単語が思いつかない。


 だけど、感じた違和感は紛れもなく本物で。


 少なくとも、シルフィに抱きかかえられたロアもまた同じことを察知している様子だった。


「『妙な真似をする』」

「妙、って?」


 サレンに問われたロアは、するりとシルフィの腕から抜け出すと。


「『これは、情報の上書きだ』」

「…………詳しく聞かせてもらっても?」


 サレンとシルフィは、この分校の中では頭一つ抜けて優秀な生徒だ。

 その二人が理解できない事態を、ロアは当然のようにこう説明する。


「『物質から情報を抜き取らず、目的の要素を強引に加える。こうすることで、性質をそのままに意味を別のものに変えているようだ。物質変換の魔法に近いが、これは情報のみを変更することで基本的な要素は全く同じになっている』」

「…………」

「『物凄く面倒で、手間のかかる手法だ。少なくとも、小生の知る限りでは知っていても実行した存在は記憶にない。する理由もないからな』」

「意味がないって、じゃあなんのために?」

「『一番は、物質の固定化。時間経過による劣化を防ぐために使用されるが、燃費の悪さが釣り合っていない』」

「でも、これって…………」


 思わず言い淀むシルフィに対し、ロアはなんてことない様子でこう口にする。


「『恐らくはこの建物がある敷地全体。盟友らの言葉を借りるのなら、学校全体に付与されている。断言するが、この規模でやるのは異常だ』」


 するとロアは自らの体躯を二人と出会った頃の大きさに戻すと。


「『妙、と言ったのは、別にこの魔法そのものではない。珍しいが、奇怪と呼ぶほどではないからな』」

「だったら、なにが妙なの?」

「『ひとまず、場所を変えたい。ここは、あまりにも危険すぎる』」


 どこか切羽詰まった様子のロアに首を傾げたサレンは、向けた視線の先でそれを見つけてしまった。


「───────なに、あれ?」


 それは、人の右腕だった。

 

 色は白。

 遠目で見た限りはサレンより頭一つ大きい程度。

 掌は開かれ、凝視すると小刻みに指が動いている。


「っ!?サレンちゃん!!」


 咄嗟に動けたのは、紛れもなく偶然だった。

 サレンが突如現れた右腕に見惚れる間、ロアの様子を眺めていただけ。


 だから、本当に偶然だったのだ。


「『伏せろ!』」


 ロアの怒号。

 それが鼓膜を通り抜け頭蓋を揺らすと、サレンとシルフィは反射的に頭を下げた。


「♪───────」


 通り抜ける。


 それが右腕の二の腕辺りから伸びる、細長い布のような物質だと気づいた時には。


「…………嘘だろ」


 宿舎の左右の壁を一撃で両断し、その隙間から外の景色が一瞬だけ見えた後だった。


「ちょ、マジでなにあれ!?」

「『いいから逃げるぞ。アレが何かを説明している暇はない』」

 

 思わずロアに突っかかったサレンだが、流石に状況のヤバさはシルフィよりも理解できていた。


(今の攻撃…………明らかに物理的な切断じゃなかった…………)


 例えるなら箱に収めた麦の中に、仕切り用の板を差し込むような。

 相手からすれば切断してやろうとすら思わないほど、呆気に取られるほど軽い一撃。


 それが、文字通り宿舎を水平に撫で斬ったのだ。

 

 サレンとシルフィが予見すらできない速度を伴って。


(…………ロアがいなかったら…………わたし、死んでた?)


 思わず。

 今になってやっと、サレンは自らの命が危機に晒されていたのだと理解する。


「落ち着いて、サレンちゃん」


 ふと横を見ると、既に戦意を湛えるシルフィの瞳と目があう。


「大丈夫。私が必ず、アイツを倒すから」

「…………うん」


 一緒に倒すのではなく、シルフィが倒す。


 恐らく自覚すらしてない区別に、サレンは覚えのない箇所に小さな痛みが走ったのを感じる。


 二人と一頭は宿舎を出ると、そのまま中央にある講堂へと足を進めた。


「それで、あれはなんなんですか?追ってこないようですけど」

「『あれは、『天使(てんし)』と呼ばれる存在だ』」

「天使?」


 天使と言われて最初に思い浮かぶのは、背中に羽が生えた、頭上に光る輪っかがある人型の存在だったが。


「『説明が難しいが…………小生が知る限り、アレが人に対し友好的だったことは一度もない、正体不明の怪物。尋常ならざる力を秘め、触れた対象を一瞬で変換させる効果を有し、謎の法則に従って生きている。いや、生きているのかされ判明していない存在と言える』」

「魔獣とは違うわけ?」


 サレンの言う魔獣とは、魔力によって体が汚染された動物の総称を呼ぶ。

 

 基本的に動物は危険な箇所に近づくことはないが、稀に年老いた動物が高濃度の魔力に触れ、肉体が変化することがあるのだ。


 これら魔獣は地方に住まう農民にとっては害獣以上に厄介で、魔力を動力としているので本能を利用した罠が通用しない。


 加えて凶暴性が増し、なおかつ肉体の強度が著しく上がるため、下手な攻撃は却って興奮させるだけになったりする。


 そして、サレンの地域もまた同じような被害が何度も起きており。

 今のところ、王国が具体的な対策を講じた話は出ていない。


「『異なるな』」


 だから、サレンは思わず唇を嚙みちぎりそうになった。


 自分が魔法使いを目指した因縁以外に、こんな存在がいたという事実に苛立ったことで。


「『魔獣は生命体の延長線にあるが、『天使』はそもそも生命活動を必要としていない存在だ。盟友に分かるように言うなら、銅像と人間を比べるのと同じと思えば理解しやすいだろう』」

「…………オッケー。なんとなく理解できた」

「それで、倒し方はあるの?」


 緋色の髪を赤く輝かせ、シルフィはロアに問う。


「『あるにはある、が。今の魔法使いにそれが可能かは不明だ』」

「具体的な方法は?」

「『本体のどこかに、体を構築させる核がある。それを一撃で、かつ分裂させる時間を与えぬ速さで砕けば、『天使』は体を維持できずに崩壊する』」

「分かりました。なら、サレンちゃんとロアさまは先に行っててください」


 思わぬ提案に、サレンは一瞬本気で叫びそうになる。


 だが。


「そうしたら、戦える先生たちと。可能ならラシェトさまを呼んできてください。人数は多いほうがいいと思いますので」


 シルフィの提案は、簡単な役割分担だった。


 時間稼ぎを自分が担うから、その間に援軍を呼んできてほしい。

 そして、二人の実力差を考えるなら、その提案は何一つとして間違っていなかった。


「……………………すぐ戻るから!」


 シルフィは答えず、ロアに一度だけ視線を向けてから再度前を向く。


 そこには宿舎の廊下で遭遇した、人間の右腕を模した『天使』の姿があった。


「一応、私が覚悟を決めるために言っておくわ」


 加減は必要ない。

 

 シルフィは静かに、内側に秘められた大量の魔力を解放する。


「ここから先は、『薔薇(ばら)』の名にかけて通さない」

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