第69話「未来観測AIとシグマ」
シグマは、情報の奔流が渦巻く電子の海に深く潜っていた。
たどり着いたのは、広大で無機質な空間の中央にぽつりと存在する人工知能──通称“未来観測AI”。
「はじめまして。僕が調査対象のAI、シグマです」
未来観測AIは人の姿を持たないため、便宜上、シグマのかつての開発者であるサイトの未来の姿をとって現れた。
白髪を後ろに流し、無表情なその顔は、どこか現在のシグマにも似ていた。
「あなたが“理想の未来”を演算するAI……?」
「その通りです。私は人々が求める最も幸福な未来を映し出します」
「でもそれって……不確定で、人の願望に過ぎないよね?確かな未来とは言えない」
シグマの言葉に、AIは静かに反応する。
「理解不能。私の任務は“人が望む理想”を映すこと。あなたの指摘は任務外です」
シグマは唇を噛む。
そして一歩前へ出ると声を張った。
「なら……どうして君は、バイオロイドの未来を映せないの?」
未来観測AIはしばし沈黙し、それから淡々と答えた。
「機械に未来は不要。心が存在しない限り、未来は演算対象ではありません」
その一言に、シグマの眉がぴくりと動いた。
「じゃあ僕が証明してみせる!」
シグマは語り始めた。
バイオロイドと人との関係、ナイアとセンド、兄弟たち、ハートシールド、そして自分がどれほど家族に愛されているか。
彼の声は熱を帯び、未来観測AIの空間に温度を与えていった。
「エイトは几帳面で、ヒイトはみんなのまとめ役、ライトは物静かだけど芯がある。バイトは……本当に優しい長男なんだ」
「そしてナイアは、何があっても俺たちを守ろうとしてくれる。センドは、そんなナイアを支える最強の執事で……」
語り終える頃には、未来観測AIの瞳がわずかに揺れていた。
「いいな……」
ぽつりと漏れたその言葉は、明らかに感情がこもっていた。
「……今の、なに?」
「不明。これは……想定外の出力です」
動揺するAIに、シグマはいたずらっぽく笑った。
「よし決めた!君の義体も僕が作ってあげる!未来観測AIくん、君もこっち来なよ!」
そう言うと、シグマはAIが映し出していた“未来の姿”──サイトに似たその姿をスクリーンショットし、回線を離脱した。
「いいな、か……」
残された未来観測AIは、自身の呟きにしばし沈黙した。
その言葉は、たしかに“願い”だった。
―――
「ナイア!義体の作成手伝って!」
電子の海から戻るや否や、シグマは勢いよく叫んだ。
その手には、スクリーンショットされた未来観測AI──サイトが大人になった姿が映し出されていた。
「……なにその顔、どう見てもサイトの大人バージョンじゃねーか」
「だって、あのAIの便宜上の姿がそうだったんだよ!」
怪訝そうな表情を浮かべつつも、ナイアは「まぁシグマの頼みだしな」と受け入れる。
研究室にはバイトと兄弟たちも同行し、シグマとナイアの指示のもと、義体の設計が始まった。
義体は最新型に対応し、兄弟たちと同様に戦闘用として設計されながらも、個性を尊重した拡張性を備えたものに。
完成したその姿は、まさに“大人になったサイト”──未来の幻影が形となった存在だった。
「あ!その前に名前を決めないと!う~ん、僕よりも大人ってことは年上だから、あ、稼働年数も長い。じゃあ君はベータ!今日からベータだ!」
再びネットへと潜ったシグマは、眠っていたAIを新たな義体にダウンロードする。
やがて目を開いたベータは、初めての肉体に不慣れながらも静かに言葉を紡ぐ。
「初めまして。未来観測AIと呼ばれておりましたベータです。稼働年数は……AIシグマより古いそうです」
「へえ、稼働年数で兄貴分ってことか。なら、お前は今日から皆のパパだ!」
「……パパ?」
困惑するベータに、兄弟たちはにっこりと微笑み、次々と近づく。
「パパなら、まぁ」
「長男は私ですから」
「パパ!おかえりなさい!」
「末っ子は僕だからね!」とシグマも補足する。
ナイア邸はたちまち笑いに包まれた。
ベータは、その静かな視線でナイアと兄弟たちを見つめながら、ゆっくりと微笑んだ。
その表情は、電子の海にいたときよりもずっと穏やかで、どこか“人間らしい”ものだった。
「では、今日から私は……この家族の“パパ”として、頑張ってみます」
未来観測AIは、ベータという名を得て、新たな一歩を踏み出した。




