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【アップ】50周年記念礼拝 男山教会2022年10月23日礼拝説教

初めまして、天川裕司です。

ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。

また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。

どうぞよろしくお願い致します。

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


【アメーバブログ】

https://blog.ameba.jp/ucs/top.do


【男山教会ホームページ】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【YouTube】(不思議のパルプンテ)

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos


【ノート】

https://note.com/unique_panda3782



【YouTubeドラマにつきまして】

無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、

お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。

基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。

創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪

出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬

でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、

どうぞよろしくお願いします(^^♪



※過去にアップしたものを再アップしております^^



【本日のメッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=QrqIRlbwOT0&feature=youtu.be


【ブログ】

https://ameblo.jp/yujiteiou/entry-12771524486.html

(ブログを見てくださると聖書と歌詞も閲覧できます)


前奏

招詞

哀歌3章22~25節

詩 編 歌 24番(4節)

開 会 祈祷

主 の 祈り

十戒・祈祷

子ども説教

子どもと親のカテキズム問6

「みことばは道のひかり」

こどもさんびか

たたえよ、このひ[改92(4節)]

牧 会 祈祷

讃 美 歌 85番(1節)

聖 書  

創世記12章1~9節(旧P15)

ヘブライ人への手紙10章32~39節(新P414)

説 教

「真実な神の約束~信仰の旅路」

横田隆

祈 祷

讃 美 歌 303番(1節)

みことばの交読文

ローマの信徒への手紙15章4~6節

感謝のささげもの・祈祷

頌 栄  539

祝 祷

執り成しの祈祷

報 告


讃美歌~♬


讃美歌85番

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=QrqIRlbwOT0&feature=youtu.be


1

主の真理(まこと)

荒磯(ありそ)の岩

さかまく波にも などか動かん

くすしきかな あまつみ神

げに尊きかな とこしえの主

2

主のめぐみは 浜のまさご

その数いかでか 計りうべき

くすしきかな あまつみ神

げに尊きかな とこしえの主

3

うつりゆく世 さだめなき身

ただ主に頼りて 安きをぞえん

くすしきかな あまつみ神

げに尊きかな とこしえの主

4

つもれるつみ ふかきけがれ

ただ主を仰ぎて 救いをぞえん

くすしきかな あまつみ神

げに尊きかな とこしえの主


2022年10月23日


宣教開始50周年記念礼拝説教 聖書朗読箇所


旧約聖書

創世記12章1~9節


◆アブラムの召命と移住


12:1 主はアブラムに言われた。

「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。

 2 わたしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し、あなたの名を高める 祝福の源となるように。

3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し あなたを呪う者をわたしは呪う。

地上の氏族はすべて あなたによって祝福に入る。」

4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。

アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。5 アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。 6 アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。

7 主はアブラムに現れて、言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」

アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。

8 アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。 9 アブラムは更に旅を続け、ネゲブ地方へ移った。


新約聖書

ヘブライ人への手紙 10章32~39節


10:32 あなたがたは、光に照らされた後、苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを、思い出してください。33 あざけられ、苦しめられて、見せ物にされたこともあり、このような目に遭った人たちの仲間となったこともありました。34 実際、捕らえられた人たちと苦しみを共にしたし、また、自分がもっとすばらしい、いつまでも残るものを持っていると知っているので、財産を奪われても、喜んで耐え忍んだのです。 35 だから、自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります。36 神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。

37 「もう少しすると、来るべき方がおいでになる。遅れられることはない。38 わたしの正しい者は信仰によって生きる。もしひるむようなことがあれば、その者はわたしの心に適わない。」

39 しかし、わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です。


〈My note〉


二〇二二年一〇月二三日(日曜日)

男山教会五〇周年記念の二週目。

横田 隆牧師。

〈午前の部〉

教会は天への門である。

(公同礼拝)

聖書『創世記』(第一二章一〜九節)

『ヘブライ人への手紙』(第一〇章三二〜三九節)

説教題「真実な神の約束〜信仰の旅路」

先生の男山教会での奉仕の期間は、一九八四年から二〇〇〇年の四月迄だった。四十二歳から五十八歳。

先生も八十歳になった。先生の妻は八十四歳。

先生は、教会設立の時からの牧師だった。

海援隊と言うフォークグループの『思えば遠くへ来たもんだ』と言う歌があり、最近になり、その歌がよく耳にこびり付く様になった(先生と奥さんはそう感じる様になった)。

牧師になる前、先生はサラリーマンだった。信仰を持ってから、先生は奥さんと知り合い結婚した。初めは、牧師に成るとは奥さん共々思って居なかった。でもそうは行かず、その後、牧師としての道を歩む様になった。

信仰の旅路。真実な神様に従い、忠実なしもべとしての歩みが始まった。この男山教会は、V・スタブス先生の福音から始まって居る。

誰でも、今までの夫々に長い旅路を終えてここに集って居る。先生の趣味は山登りで、実は信仰生活より山登りの生活の方が長い。山登りをして居ると、やはり山頂へ行く事が一つの大きな目標になる。でも向こうの山を見ながら、その山頂を勘違う事がある(手前の山に登ったりして)。山頂へ来れば「あぁ、来たなぁ…」と言う感動がある。

アブラムも神様に言われ、その街を出て、長い旅路に就いた。その時間は四十年である。エジプトの奴隷の道から救い出したのはモーセ。モーセにも同じく長い旅路が神様に依り用意された。これはモーセが八十歳の時だった。

モーセは赤子の頃に親に川に流され、その後、ファラオ(口語訳聖書ではパロ)に見付けられた。でもその後、モーセは殺人の罪を犯してしまう。

「ヘブル人を酷い労役を課して居たエジプト人を打ち殺し土の中に隠した」(『出エジプト記』第二章一一〜一二節)。

それからは逃亡の生活を送る。モーセの人生の青春時代は苦難の連続だった。

そのモーセの人生に思い掛けない出来事があった。それはシナイ山での神様からの召命だった(『出エジプト記』第三章七節〜一〇節)。

平凡な人生を望んでも、神様からの一方的な召命により、その後の人生が変えられる。時には「クリスチャンに成らなかった方が良かったんじゃないか…」と思う事がある。これは万民に共通の思いに在ろうか。

人の人生とは、儘成らないものである。なぜ私がそんな召命に従わねば…?この「何故」の連続に成る事がある。モーセはそれから四十年、波瀾万丈の生活を送る事になる。

それでは、私達(現代人)の旅路はどうだろうか?男山教会での伝道は五十年である。モーセの旅路は四十年。人は生まれてからこれ迄、夫々の人生を送って来て居る。人の人生は、大体、七十年と言われる。それ以降の人生は惰性の様なもの?何か大きな新しい事を始める事は一般的に見て普通に出来ない。でも夫々の人生がある。人生とは海に出た小舟の航海の様なものか。どの様な人生、どの様な歩みにしても、過去を振り返る事は大切な事である。

先生のずっと過去を見ると、それは戦争の事になる。先生は中国から、奥さんは朝鮮からの引き上げだった。戦争でも様々な事を経験して来た。人は過去のどう言う事を振り返るのか?単に懐かしむだけでは駄目である。過去を振り返る事は、前に進む為である。自動車は前に進む為にある。その車の中にバックミラーがある。そのミラーは後方の様子を確認し、車を安全に前進させる、その為の物にもなる。過ぎ去った過去を回顧する、それは前に進む為である。昨日よりは今日、今日よりは明日、更に信仰に於いて自分らしく生きる為、神様に喜ばれる人に成る為の生活をする為。

モーセは「自分は多勢を引き連れる能力は無い」と言うが、全てのもの(必要なもの)は神様が用意して下さる。そうある以上、その人が心配する必要はない。人は信仰に於いて、神様の御計画の為に手足となって動く。そしてモーセは約束の地へ皆を導いた。

『申命記』(第二九章一〜九節参照の事)。

四十年ものあいだ荒野に導かせ歩ませた時、着物は古びず、足の靴は古びなかった。又そのあいだパンも食べず、葡萄酒も濃い酒も飲まなかった。では何を食べたのか?飲んだのか?マナを食べ、湧水が用意されそれを飲んだ。神様は恵み豊かな方で、導いた者達を必ず護られる。神様の法を守るなら、その人は命を得る(『申命記』第三〇章一五〜二〇節)。

命の救いの道と、呪われた滅びの道がある。神様が人を導く道は命の救いの道であり、人の罪が選ぶ道は呪われた滅びの道である。アダムはあのエデンの園で、蛇に誘惑されたエバの言う事を聞き、神様から離れ、罪の道を選んだ。これは狭い道・罪の道であり、軽率な行動で選んだ道だった。イサクの時もそうだった。神様は「私とその一人子とどちらが大事か?」と問い、その一人子を神様へ捧げるように命じた。それに従おうとした時、神様はその二人を助けた(試された訳である)。

信仰の道とは、神様を愛する事、隣人を愛する事、この二つに尽きるのである。それを守る為にはどうすれば良いか?それは神様が人に教えられる御言葉に聴く事、それに従う事である。良心の声に聴き従え。

人は口で公言する事と、その心の中にある声(本音・正直の声)が違ったりするものだ。この違いを無くし、信仰に於いて正しい事へ一致させなければ成らない。

人の人生とは、選択の連続である。どの様な選択を採る場合にも、神様が喜ばれる方、信仰に沿うものに無くては成らない。この為には時に、信仰に於いて大胆に成る必要がある。聖書に現れる預言者や弟子達は皆、信仰に於いて悩み、そして大胆な行動に出た。この結果、アブラム(アブラハム)もモーセも、思いも寄らぬ大きな、神様に依る恵みに与った。

『テモテへの手紙』(第二章四節)

「神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。」

信仰生活を送る上では、一人ではない。信仰に歩む人達…兄弟姉妹が共に居り、それ以前に、一人一人と共に神様が居られる。信仰生活には忍耐が必要である。この忍耐は、神様の忍耐である。それでも神様は一人一人が救われるまで待って居て下さる。

人はこの地上から天に召される時が近付くにつれ、その自分の体を見ながら、感じながら、神様と一対一の空間を知り、その空間・時間がこの地上から天に向けて研ぎ澄まされて行く事を知る。これは必ずそう成る。

人間は一寸先が分からない。しかしクリスチャンにとって、一寸先は闇ではない。一寸先は光である。そしてこのクリスチャンには全ての人が成れるのである。

(横田先生の祝祷)

「平和の内に、この世に出て行きなさい。勇気を出しなさい。正しい事を確信し、悪を以て悪に報いず、心の弱い者を力付け、弱って居る者を支え、苦しんで居る者を助けなさい。全ての人を敬い、主を愛し、主に仕え、聖霊に依って喜びなさい。主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなた方一同と共に、とこしえに豊かにあるように、アァメン」。

〈午後の部〉

聖書を勝手に解釈しては成らない。旧約聖書と新約聖書は合わせて聖書に成る。どちらかで良いと言う事は絶対に無い。当り前の事だ。旧約聖書の理解の上に新約聖書が成り立って居る。

自分に都合の好い部分だけを採って解釈する事が多い。それは聖書の読み方を間違う機会を生む。

ウェストミンスター小教理問答が、最も体系的にキリスト教を教え纏めて居るとして、キリスト改革派教会はこれを原典の一つに採用した。聖書的解釈が土台に無ければ人の信仰は成らない。聖霊の働きが無ければ、その教会はただの人の集まりの場所に成る。

神様(天の父)とその御子・イエス様と、聖霊は、三位一体である。だからその位置付けは人間には出来ない。一足す一足す一は「一」と成る(横田先生)。人間の理解を超えた、三位一体の理解。信じる事に尽きる。

『ヨハネによる福音書』(第一五章を参照)

教会のカーテンの色やスリッパの色を決めるのに、多大な時間を要する事がある。そしていつの間にかそちらの方に全力集中し始めて、人の主観だけで教会の彩りを決めて行く。或る程度まではそれも大事にあろうが、それでも教会は礼拝をする場所で、何を決めるべき場所なのかを決める時、その様な事は大した問題には無い。

『マタイによる福音書』(第一六章一三節から二〇節を参照)

神様に依り、人が救われるかどうかが決められる場所。信仰に歩む場所。悔い改めの場所。

長老主義を改革派教会で最良の法として採用した。

『使徒行伝』(第一四章二一節から二三節、また二八節までを参照)

私達の教会は、聖書的解釈を目指す教会。その最も中心と成るものは聖書。だから聖書を忠実に解釈し、教え広める必要がある。

『使徒行伝』(第二〇章一七節から参照)

監督者とは、注意して見守る人の事(上から目線で何かを強制する者ではない)。親の様な世話の仕方。子供がどうすればちゃんと成長するか?教会が健全に成長して行く為に、それを見守る監督者が用意された。

イエス様の子羊の内にも、自分で草を食べられる者も居れば、教えなければ食べられない者も居る。それは人間の主観で人選されるものではない。どの様な羊であっても、全て神様の愛される羊(人達)である。具体的な奉仕が出来なくなったり、礼拝出席を自宅で守る人も在る。教会の人達は、神様が集められた人達である。監督者は、その一人一人の世話をする者だから大変である。急行で成長しなくても、ドンコ(各駅停車のローカル線)で皆で一緒に成長して行く事が大事。父と子と聖霊の御名に於いて洗礼を受けた者達は、みな神様の子である。皆、愛する兄弟姉妹である。神様の下にて、愛し合い支え合う兄妹姉妹である。天に召された兄弟姉妹の教会の籍を「除籍」とは言わない。天に籍を置く、送籍そうせきと言う。神様の子はみんな天国へ帰るのである。神様に導かれ、皆この地上から天国の家に帰るのである。その為に、天の家に居られる自分達(兄弟姉妹達)の父、神様に喜ばれる事を一つでも多く、ここでさせられるよう祈り願い、そして天の父に喜ばれる人に成れるよう、神様と聖霊により清められる事、イエス様の教えを連続して守る努力をし、それでもその状態から罪を悔い改める事への連続の努力をすべきなのである。

為さなければ成らない第一の事は、礼拝である。兄弟姉妹共に、神様の下で礼拝をして行けるよう目指す事。この事への努力も各自でする事が大事に在る。

聖書を読む時、神様の言葉を聴く時に必要なのは、信仰である。信仰が無ければ、その言葉が意味を成さなくなる。或いはすぐに意味を成さなくなる事がある。耳から言葉を聴いて、心でその御言葉を糧にする事。

私達(人)が強く成れるのは、人間の自力ではなく、神様の力、聖霊の力、信仰の力、イエス様が人々(世)に伝えられた全ての教えの力である。イエス様がこの世に遣わされ、人の罪が許される力である。

横田先生はメッセージをしながら、途中で信徒である兄弟姉妹の事を愛して思い、泣かれて居た。

教会はキリストの体である。だから本来、人がそこから離れる事は有り得ないのである(宮武先生)。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/


Table Caffe〜


榎本保郎牧師 ミニ説教1 「まず第一にしなければならないこと」

https://www.youtube.com/watch?v=q0lc_w0zV-I&t=1s


「このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。」

https://www.youtube.com/watch?v=nfQPrZUPbn0


星野富弘さん「特集 詩画作家・星野富弘 ②」

https://www.youtube.com/watch?v=E2x2A4S87Vo


使徒の働き(61)―ベレアでの伝道― 使徒17:10~15

https://www.youtube.com/watch?v=FkenCcHvxKg


不思議のパルプンテ

https://www.youtube.com/@不思議のパルプンテ/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


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