第99話 夜の集会──静かな決断
夜闇が村全体を包む頃、一軒の空き屋の中に、ランタンの小さな灯だけが点っていた。
マリス、グレンナ、ティナ、エルメラ。
そして光也、ヒカリ、エルナ、ミロシュの姿が、静かな輪を描くように集まっていた。
外ではまだ封律隊の詠唱音が遠く響いている。
時折、木々を揺らす不穏な風が、結界の根を軋ませるように呻いていた。
マリスは端的に切り出した。
「まず、私たちは二つの外敵を前にしている。一つは封律議会による魂柱封印の強行。もう一つは、結界を奪い乗っ取ろうとしている"第三勢力"——たぶんカリムたち」
ティナが頷く。
「今夜中に、どちらかが動く。最悪、同時に」
ヒカリは膝に霊環を乗せながら、波形の紙片を皆に示した。
「これが魂柱の"核"——中央核律への共鳴波形。今は波が二つある」
一つは魂柱本来の祈りの残響。もう一つは、光也が触れたときだけ跳ね上がる——規則に収まらない律動。
「この波形……。たぶん、結界に"選ばれている"」
光也は驚いたが、すぐに真剣な表情で言った。
「選ばれてるかどうかはわからない。でも、僕は守りたい。この村を。……祈ってた人たちのことも。だから、僕を使ってくれて構わない」
その言葉に、空気がわずかに変わった。
エルナは息を飲み、小さく首を振った。
「あなたを犠牲には——」
すると光也は静かに遮った。
「犠牲じゃないです。これが僕にできることなら、ちゃんと使ってください」
ミロシュがわずかに目を細めた。
「……たしかに、"使い方"を誤らなければ、あなた自身が結界の支柱になり得る。その意味で、私も全面的に協力しよう」
マリスが拳を握り、深くうなずく。
「よし。では今夜、『魂柱の修復組』と『外敵迎撃組』の二班に分ける。光也、エルナ、ミロシュ、ヒカリは供物台の深部へ。私たちルミナリスが防御線を張って、その間にカリムの部隊を抑える」
グレンナは腕を鳴らし、ティナはすでに周辺偵察の地図を広げ始めていた。
エルメラもそっと光也の隣に座り、「大丈夫」とだけ囁いた。
その手のひらは少し震えていたが、温かかった。
「封律議会のことは?」
ヒカリが問う。
マリスは深く息を吸い込み、言い切った。
「まずカリムたちを止める。その後で封印の儀式を"中断"させる手を探す」
全員の視線が交わった。誰も反対しない。
この夜、ようやく村を守る者たちの意志がひとつに繋がった。
ランタンの明かりが、強く揺れた。
闇の外で風が鳴り始めていた。
その音を背に、マリスは刀の柄に手を添える。
「夜が明ける前に、全部終わらせるわよ」
その静かな言葉が、全員の胸に火を灯した。
*
作戦会議が終わり、仲間たちがそれぞれの配置についた後、光也は一人で森の奥へと続く細い獣道をたどっていた。
木々の枝が冷たい夜気に揺れるたび、わずかな光が地面に滲む。
その先に、ひとつの影が立っていた。
ミロシュ——薄灰の外套。
月明かりのせいか、その輪郭はいつにも増して淡く無機質に見えた。
彼は静かに問いかけた。
「迷いはないのか?」
光也は足を止め、小さく息を吐いた。
「正直に言えば、怖いです。何が正解なのかも分からない。……でも、もう誰かが犠牲になるのは、これで最後にしたい」
ミロシュの視線が、一瞬だけ柔らかくなった。
それでも声は澄んだまま、感情の起伏を抑えた響きで告げた。
「君は、ここに来るべくして来た。ここにいる誰よりも……この結界に"触れる資格"がある」
光也は目を見開いた。
だがそれは嫌悪ではなく、言葉の底にある予感を掴もうとする視線だった。
「僕はただ——」
言いかけて、深く言葉を探す。
「僕はただ、知りたいだけです。封律議会がこの村にどれほど深く干渉しているのか。そして……この村に残された"祈り"が、本当にまだここにあるのかどうか」
ミロシュの黒衣が風に揺れた。返事は短い。
「なら、原初の供物台へ案内しよう」
光也は、瞳をわずかに震わせながらミロシュを見つめる。
「そこに全ての答えと祈りが刻まれている」
それは誘いであって命令ではなかった。
彼自身に歩み出す判断を委ねるような言い方だった。
光也はゆっくりと頷き、夜の闇の中でその背について行く。
足元は冷たいが、不思議と足取りは重くない。
木々の影を縫うように歩きながら、光也は小さく呟いた。
「怖くないわけじゃない。でも、行くよ」
その言葉に、ミロシュは振り向かずこう返した。
「それで充分だ。君は"未定義"のまま、選び取ることができる」
光也は思わず息を詰めた。
……そこに、原初の祈りが残っている。
まだ誰にも触れられていない、最初の"願い"が。




