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第9話 蒼き前兆

闇の中に灯るものは、いつも最初は小さな光だ。

それがやがて嵐を呼ぶのか、夜を照らすのか――誰にもわからない。

闇の静寂が、すべてを包んでいた。


廃工場の屋上。かつて騒音と火花で満ちていたその場所は、今では誰一人近づかない。


夜風が錆びついた鉄骨の隙間を吹き抜け、遠くの街の灯りをかき消すように揺らめかせる。



光也は一人、そこに立っていた。



身じろぎもせず、ただ夜空を見上げて。



「技術が増えるたびに、俺の中の“人間らしさ”が削れていく気がする」



自分の手が、誰かを傷つける道具になっていく。


力が増すほど、会話は減り、笑うことも忘れ、他人と歩調を合わせることさえ億劫になる。


守るために得た力が、同時に“誰かと生きる未来”を遠ざけていく。


皮肉だった。



「でも、あの日――あの夜の俺には、何もなかった。だからもう、迷わない」



荒らされた家。


呆然と立ち尽くす自分。



あの夜、何かが壊れた。そしてその“空っぽ”が、今の自分を形づくっている。



「強くなるっていうのは、孤独になるってことかもしれないな。

でも、今の俺にはそれしか残ってない」



誰かに誇るものじゃない。


誰かを感動させる生き方でもない。


ただ、あの日の自分を見捨てないために、ここまで来た。


それだけだった。



――そのとき、ふと。



夜空の深みから、ひとすじの光が差した。


雲間から顔を出した月が、屋上の片隅を照らす。



そして――



光也の拳が、わずかに蒼く、光った。


それは炎でもなく、電気でもない。


熱も発していない。ただ、月の光を拒むように、微かに輝く“異質”な蒼。


誰にも気づかれることなく、誰にも届くことのない、ささやかな異変。



しかしそれは確かに、“何かの始まり”だった。



光也は気づいていない。


この光が、やがて幾多の運命を引き寄せ、抗えぬ渦となっていくことを。


この拳が、ただの武術の延長ではなく、“異能”の胎動であることを。


だが今はただ、風が通り抜けていく音だけが、世界のすべてだった。


そして、少年の影は、月光の中でわずかに揺れ――



静かに、次なる運命の扉が、開かれ始めた。







小雨が降りしきる、人気のない武道館。


白い畳の上に立つ光也は、静かに呼吸を整えていた。対峙するのは黒帯を締めた男――道場の現役師範だ。四十代後半で体格もよく、腕には古傷が刻まれている。技術、経験、気迫――すべてにおいて一流の相手。



だが、光也の瞳はその動きの’’先’’を見ていた。


男がわずかに重心をずらしたその瞬間。


足の親指にかかった微かな重さ。


左の眉が一ミリだけ上がる。


呼吸が、静かに切り替わった。



――来る。



光也の身体は一瞬早く動いていた。相手が拳を繰り出す前に、滑るように間合いを潰し、逆手で脇を固める。そして無駄のない動作で、地面にたたきつけた。



畳が鈍い音を立てた。



男は呆然とした表情で光也を見上げる。



「……読まれている、全部だ」



光也は答えなかった。ただ静かに一歩下がり、構え直す。


その目に宿るのは、闘志でも優越感でもない。ただ冷徹な観察者の視線だった。







それは数ヶ月前のこと。


光也は武術の修練のかたわら、心理学の専門書を読み漁っていた。



「人は嘘をつくとき、無意識に鼻に触れる」「視線の動きに意図が宿る」「肩と腰の連動は攻撃の予兆」――



だが彼は、それらを単なる"知識"として学んだのではない。


身体に刻み込んでいったのだ。


大学の心理学講義に潜り込んでは質問を重ね、教授陣とディベートを交わす。


YouTubeでプロファイリングの実例を何度も観察し、街に出て実地検証を重ねた。


電車の中、コンビニ、夜の交差点――人々の思考は、言葉より先に表情と動作が物語っていた。


瞬きの加速は、目を逸らしたい心の表れ。


呼吸の乱れは、闘争か逃走かの決断の証。


つま先の向きが、心の指す方向を示す。


すべてが"言葉にならない戦意"の残響だった。





再び武道館。


二人目の対戦者は、俊敏な若手の実力者。間合いも速さも鋭い。だが――


一歩踏み込んだ瞬間、光也の手がその肘を捉えていた。


攻撃は空を切り、相手は肩口から崩れ落ちるように倒れ込んだ。



「な、何で……動いてもないのに……」



光也の脳内には、映像解析ソフトさながらに、相手の筋肉の動きと重心の推移が流れ込んでいた。


意識しなくても、それは"見えてしまう"のだ。




訓練のあと、年配の教官がぽつりと呟いた。




「……あの子、戦ってねぇな。見てるだけで勝ってる」





帰り道、光也は雨の中を歩きながら、自分の掌を見つめた。



「……読めば、動く前に制せる。

でもこれは、武術じゃない。"人間の構造"を利用しているだけだ」



雨粒が指先を伝って落ちる。


勝利の感触は、むしろ空虚だった。



「……これは、"戦うため"の力じゃない。"止めるため"の力だ」



知識が、彼を強くした。

技術を積み重ねるほどに、人は強くなるのか。

それとも、大切な何かをすり減らしてしまうのか。


光也の孤独は、ただの影ではありません。

彼の観察力、分析力、そして感情の奥底に宿る“虚しさ”は、強さの対価として彼に刻まれたもの。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。感想・評価などお待ちしています!

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