第85話 語られる仮説
供物台の前に立ち尽くす光也。
その光景を、少し離れた位置でマリスたちは黙って見守っていた。
マリスが口を開こうとしたが、ティナが軽く首を振って止める。
代わりにグレンナが、そっと声をかけた。
「……無理に話さなくてもいい。今は、ね」
光也は驚いたように彼女を見た。
だが、そこに責める色はなく、ただ静かな共感があった。
「ありがとう……でも、少しだけ……話させて」
彼は、まっすぐ供物台を見つめたまま、言葉を選びながらゆっくりと語りはじめた。
「……俺たちの馬車に何かを仕掛けていたのは……たぶん、王都の"封律議会"だと思う」
その名が出た瞬間、マリスとティナの表情が微かに引き締まった。
「もちろん、確証はないんです。でも」
光也は拳を握った。
それは恐怖ではなく、どこか悔しさに近い感情だった。
「きっと……俺は、あの人たちに"追われている"。俺はこの世界の理から外れた存在だと思うから」
「……光也」
マリスが穏やかな声で続ける。
「大丈夫。私たちが必ず守るから」
光也は微かにうなずいた。
だがその目には、まだ不安が揺れていた。
「じゃあ……俺たち、どうすればいいんですか?」
その問いに、誰もすぐには答えられなかった。
風がまた草を鳴らし、供物台の花びらがさらりと落ちた。
その沈黙の中で、誰もが確信していた。
この供物台には、まだ明かされていない《何か》が眠っている。
それはきっと、ディアルの真実と——この村に残る"かつての祈り"に、深く結びついている。
マリスは、ふと顔を上げた。
「……やっぱり、ここの供物台。何かあるわ」
ティナが振り返る。
「もっと調べる必要がありそうね」
「じゃあ、他にも同じような供物台があるか探してみるか?」
グレンナが腕を組む。
「でも、村の地図にそんなの載ってなかったよ?」
ティナが反論した。しかしすぐに付け加える。
「まあ、載ってないほうが"それっぽい"けどね」
「この村、古い地図と現実が結構ズレてるからな」
グレンナがうなずいた。
「北区画も忘れられてたし」
「私、帰ったら古文書庫を当たってみる」
マリスが思考を巡らせながら言った。
「村の古い区画配置図や、口伝記録も調べたい」
「じゃあ、私たちは現地調査に出るべきだね」
ティナが笑う。
「こう見えて、穴場探しは得意だから」
一同の空気が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
それでも、マリスの瞳は遠くを見つめていた。
この供物台が語ろうとしている"なにか"の真意に、まだ触れていないという確信があった。
「もし他にもあるなら……全部、見つけ出さないと」
その言葉に、誰も異を唱えなかった。
風が再び吹き抜ける。
その音は、まるでどこかの森の奥から、もう一つの"祈りの場"が彼らを呼んでいるかのようだった。




