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第84話 疑念と報告


朝靄の残る査定拠点の仮設小屋。


冷えた空気の中、ヴェスタンは扉を荒々しく開けて入ってきた。


「——ティセル。少し話がある」



帳簿を整理していたティセルは、わずかに肩を震わせたが、表情には出さないよう努めた。


「……なんでしょうか」



ヴェスタンは黙って彼女を見据えた。


瞳の奥には鋭利な光が宿り、査定官というより刃そのもののようだった。


「昨夜、対象区域を離れて単独行動をしていたな。記録には残されていない。どういうことだ?」



ティセルは一拍、呼吸を止めた。


そして静かに、用意していた言葉を紡いだ。


「対象の魂波に異常な増幅が見られたため、確認のために周囲を監視していました。その際、対象とその母親が逃亡を図ったため……やむを得ず、処理しました」



ヴェスタンは目を細めた。


冷たい眼光でティセルを値踏みするように見つめながら、重く問いかけた。


「"処理"とは?」



「……魂波、反応ともに消失。対象は……消滅しました」



数秒の沈黙が流れた。



やがてヴェスタンは満足げにうなずいた。


「判断は迅速だったようだな。律に従った処理、異議はない」



ティセルは浅く頷いた。


だがその瞳には、微かに揺れる影があった。





王都、封律議会。


第五処理棟、魂律記録区画。


冷たい光の下、無機質な石壁に囲まれた封印処理室。


幾重にも重なる術式円が静かに回転し、その中心に置かれた記録晶が淡く発光している。



記録官の声が静かに上がる。


「対象個体、識別コード:MIO-0724」



続いて、主査が鋭い声で宣言した。


「魂律測定、最終反応:消滅。理外反応値、確認できず。識別不能につき、対象は完全消失と認定。処理完了」



淡々とした声が石壁に吸い込まれていく。


「理外コード:F-014として記録。補足追跡の可能性は?」



別の補佐官が結界情報を照合しながら応じた。


「古代式祈祷痕跡を検出。結界構成、母体依存型。消失直前に微弱な魂反応の偏移あり……ただし、構成不明。現在の技術水準では再構築不可能と判断されます」



「結界の下に逃れた可能性は?」



「……理論上は存在しますが、確率は0.08%。極めて微小です」



「抹消処理を完了とし、記録を封印。以後、F-014は理外封印管理下に移送」


記録官が手元の帳面に重々しく封印印を押すと、術式円が静かに消えた。



全てが「なかったこと」にされた。



この議会において、存在とは記録にあるもののみを指す。


記録のない魂は、存在しないに等しい。







光也の視界が白い靄に包まれた。


耳に届くのは、どこか懐かしい子守唄のような旋律。



——風の音ではない。血の中に刻まれ、記憶の奥底で眠っていた声だった。



彼はゆっくりと振り返る。



そこにいたのは一人の女性。


彼女は柔らかく微笑んだ。


「私の中に、この子を残しました」



その声は風のように透き通っていたが、確かな意志を宿していた。


「他の誰かが奪うくらいなら……私の祈りになってほしいと、願ったのです」



光也は言葉を失い、ただ彼女を見つめていた。


女性の姿は靄とともに薄れていく。


「どうか、あの子の心が……誰かに触れるその日まで——」


最後の言葉とともに、彼女の姿はふっと消えた。



——気づけば、光也は供物台の前に立ち尽くしていた。


霧はすでになく、風が草を揺らしていた。


空はいつの間にか晴れていた。



彼の頬には、一筋の涙が流れていた。



誰かの祈りが、確かにこの場所に残っている。


その確信とともに、光也は静かに手を合わせた。



「……あなたは、まだここにいるんですね」



供物台の上には、どこからか舞い降りた一輪の白い花が、そっと揺れていた。



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