第8話 死の距離、生の技
合気、シラット、クラヴマガ――それぞれが異なる哲学を持つ戦術体系。
今回は、光也が“生きるための技”を身につけていく過程を描きます。
ただの強さではなく、「人を殺さないために、殺せるようになる」という逆説を、彼はどう乗り越えるのか。
一|合気:重心を奪う術
最初の師は、静かな町の路地裏にいた。
朽ちかけた木の門には、手書きの札が掛けられ、「古武道研鑽場」とだけ記されていた。
道着に身を包んだ老人は、光也を一瞥して言った。
「お前の目は、まだ『殺す目』だ」
光也は黙したまま、教えを請うように頭を下げた。
老人はすっと近づき、指先で彼の袖をつかんだ。
次の瞬間――
視界が回転した。
受け身を取る暇もなく、気づけば地に仰向けに倒れていた。
「合気は力ではない。『理』だ。お前が進もうとしている道に、それが必要かは知らんが――その足で歩け」
数日間、彼は合気の『崩し』と『捌き』を体に刻み込んだ。
目に見える技は少なかった。ただ、掴まれた瞬間に重心を外され、意識の向きを逸らされる。
『立っていられなくなる技』――それは暴力よりも恐ろしく、静謐だった。。
*
二|シラット:刃と肉体の呼吸
次に訪れたのは、倉庫を改装した小さな道場。
黒いシャツの集団が、無言で刃物を振るっていた。
シラット――東南アジアに伝わる戦闘術。
そこには舞踏のような流麗なリズムと、無駄を削ぎ落とした殺意があった。
トレーナーは刃渡り十数センチの短刀を光也に渡し、こう告げた。
「この刃を、心の延長だと思え。お前が動いた瞬間、もう相手は終わっている――それが"本物の実戦"だ」
初めての訓練で、彼は流れるように斬り込んだ。だが、易々と止められた。
「お前の動きには、"ためらい"がある。技はあるが、殺気がない」
光也はその言葉を、深く胸に刻んだ。
数日後、彼の動きから"間"が消えた。
腰の落とし方、刃の軌道、足の運び――すべてが"死に向かう動き"となっていた。
*
三|クラヴマガ:生き残る技術
最後に向かったのは、軍人の気配漂うジムだった。
防弾チョッキ、サバイバルナイフ、銃の模型。そこでは"生存のための護身術"が叩き込まれていた。
教官は元特殊部隊所属。灰色の髪と、焦げたような声を持つ男だった。
「ルールは一つだ。"生き残れ"。相手は常に武装していると想定して動け」
訓練は、まさに実戦そのものだった。
背後からの襲撃。刃物の抜き打ち。複数人による包囲。
光也は何も恐れなかった。すでに、恐怖の彼方に立っていた。
動きは鋭く、しかし冷たかった。
肘、膝、目潰し、喉打ち――必要最小限の暴力で敵を"止める"。
そこには感情はなく、技はすでに本能と化していた。
*
四|集団襲撃訓練:制圧の境界線
ある日、教官が告げた。
「今日は"複数人対応"だ。君には何も知らせない。ただ、生き残れ」
夜のジム。照明は消され、非常灯の赤い光だけが静かに揺らめいていた。
ざっ――という足音。
四方八方から襲撃者たちが姿を現した。ナイフを手に、声も立てず、訓練とは思えない速さで迫ってくる。
その瞬間――
時間が、溶けた。
光也の身体が、水のように流れ出した。
一人目――関節を極め、音もなく倒す。
二人目――刃を掴み、手首を返し、一撃で喉を制する。
三人目、四人目――合気の捌き、シラットの連携、クラヴマガの急所打ち。
動きは一瞬でありながら、静謐だった。
全てが終わったとき、周囲には倒れ伏した者たちだけが残り――
光也だけが、物音もなく立っていた。
汗一つかかず、呼吸さえ乱れていない。
*
ジムの奥から現れた教官は、しばらく沈黙した後、静かに言った。
「……この少年は、"死の距離"を完全に把握している」
その距離――踏み込めば終わり。逸れれば生が宿る。
光也はその一線を、自らの内に刻んでいた。
(奪うだけでは、強さにはならない。守るだけでは、届かない。俺はこの一線を、踏み越えないために会得したんだ。生きるための技を、"誰かのために使う"ために)
最初はただの訓練。しかし、その一つ一つが光也の“選択”に繋がっていきます。
強さとは、奪う力ではなく、迷わずに立つ覚悟なのかもしれません。
血ではなく、“意志”が流れる戦いへ――
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