第79話 再び祈りの場所へ
村の午後は、どこか張りつめた静けさに包まれていた。
遠くで聞こえる木槌の音が、空気の奥で鈍く響く。
「そういえば……光也。あの"供物台"、覚えてる?」
声をかけたのはマリスだった。
「……供物台?」
光也が振り返ると、マリスは少し口元に指を添えて、言葉を探すように間を置いた。
「洞窟の中で見た、不思議な石の台よ」
マリスの声は静かだったが、どこか威厳を帯びていた。
「祈りの痕跡が残っていて、あなたが何かを"感じ取っていた"場所」
「……ああ」
光也は短く答えたが、背中にうっすらと冷たい感触が這うのを感じていた。
「同じような台が、この村の北側にもあったのよ。旧区画——誰も行きたがらない、あの場所に」
マリスの語尾は、意図的に抑えられていた。
「似ていたんだ」
グレンナが続けた。
「雰囲気も、香りの残留も、ほとんど一致していた。何かを"再現"している可能性がある」
「この村全体の妙な一体感と何か関係があるかもしれない」
ティナが少し苦い表情を浮かべる。
「私たちだけが、その異常に気づいている。だったら、その理由を突き止めなきゃ」
マリスが真剣なまなざしで言った。
「あなたが、あの供物台の前で感じたもの——それが鍵になるかもしれないの」
光也は一度だけ目を閉じ、静かに息を吐いた。
「……分かった。行こう」
三人の表情がわずかに緩む。
「ありがとう。何かあっても、すぐ対応できるようにしておくわ」
マリスが小さく頷いた。
「変化が起きても……あなたが"戻って来られるように"」
ティナの言葉には、わずかな恐れが滲んでいた。
光也は立ち上がり、胸の奥に残る"音の記憶"に耳を澄ませる。
かすかな鐘のような響き——それが、彼の中の何かを静かに揺らしていた。
そして四人は、再びその祈りの場所へと足を向けた。
真実と偽りの輪郭が交差する、記憶の底へ。
*
再び踏みしめる苔道は昼間よりも冷たく、湿った風が木々を揺らし音を立てていた。
光也はマリスのすぐ後ろを歩きながら、何かに呼ばれているような感覚に包まれていた。
やがて、例の供物台が姿を現した。
「ここだよ」
マリスの声に導かれ、光也はゆっくりと台座の前に立つ。
焦げ跡の残る石板、祈りの気配、そして……
「……香り」
確かに感じる。
懐かしく、優しく、そしてどこか切ない匂い。
光也は静かに膝をつき、台座に手を伸ばした。
瞬間——
意識の底で、"何か"が震えた。
波の奥に沈んでいた記憶が、こちらを見つめていた。
台座に触れた指先から、光のような残滓が広がる。
景色が反転した。
風が止み、空気が反響し始める。
自分の呼吸が、別の誰かの鼓動と重なっていく。
マリスが気づいたとき、光也の瞳はすでに虚空を見つめていた。
その表情は驚きでも苦痛でもなく、ただ静かに、遠い何かを追いかけているようだった。
「始まった……」
ティナが小声で言った。
その瞬間、光也の視界に淡い光の残像が浮かび上がる。
それは、母と幼い娘の姿。
まだ"理外"という言葉すら知らなかった頃、
ただ生きたいと願ったふたりの魂が交わした祈りの記憶が、今再び、光也を通じて現れようとしていた。




