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第4話 守る者として

人は、大切なものを失ったとき、初めて何かを選ぶ。


泣き崩れるか。受け入れるか。立ち上がるか。


天城光也は、ただ優れた少年だった。誰よりも速く、誰よりも強く、誰よりも“正しく”あろうとした。


けれどそれだけでは、守れない現実がある。


涙の底から生まれたもの。それは、強さとは別の名を持つ――覚悟だった。

光也は台所へ向かった。胸が締めつけられ、吐き気が込み上げる。



そして、’’それ’’ を目にした。



床にうつ伏せに倒れた母。


いつも夕食を作っていた台所で、右手に包丁を握ったまま、動かない。


背中には複数の刺し傷。流れ出た血が、床のタイルを朱に染めていた。



「……母さん……?」



声が震える。近づき、肩に触れようとしたが、その冷たさに指が届かなかった。



「……いやだ……こんなの……!」



ふらつく足で後ずさり、壁にもたれたまま崩れ落ちた。


だが、それで終わりではなかった。



「父さん……!」



光也は再び立ち上がり、廊下へ駆け出した。


視界がぼやける。涙か、現実が追いつかないのか。



廊下の壁には血のついた手形。



そして、角を曲がった先に、’’父の姿’’があった。



背中から刺されたように、うつ伏せで倒れている。


割れた眼鏡が足元に転がり、片方のレンズは血に染まっていた。



「……っ、父さん……」



膝から崩れ落ち、父の背に触れる。冷たい。返事はない。



喉から苦しげな声が漏れ、涙が堰を切ったように溢れ出た。


目の前の現実を否定したかった。全力で拒絶したかった。



だが、まだ……’’まだ一人’’ 残っていた。



「美玖っ……!!」



光也は叫びながら走った。廊下の奥、自室の前。


扉がわずかに開いており、そこに小さな身体が横たわっていた。



「みくぅッ!!」



駆け寄り、抱き上げる。妹の美玖。まだ温もりが残っていた。


細い腕には掠り傷。唇から血が滲み、目を閉じている。



「お願い……目を開けて……」



何度も呼びかけ、頬を撫で、胸に耳を当てる。




──鼓動は、もう、なかった。




「……うそだろ……なんで……なんでだよ……っ」



腕の中で、妹の身体は小さく、か弱く感じられた。


その柔らかさが、残酷な現実を突きつける。



「ふざけるな……! なんで……俺が……いない時に……!!」



叫び声が部屋に響く。涙と怒りで顔が歪んでいた。


自分の無力さを呪った。なぜ守れなかったのか。なぜこんな結末になったのか。



部屋の窓は割れ、風が吹き込んでカーテンが揺れる。


棚は荒らされ、金品が散乱していた。強盗……それだけの犯行なのか?


警察はまだ来ていない。この惨状を、まだ誰も知らない。


震える手でスマホを取り出す。番号を押そうとして指が止まる。




──いや、そんなことよりも……。




光也の胸の内で、何かが灯った。



静かに、確かに、黒い炎のように。



それは憎しみだったかもしれない。あるいは、’’誓い’’。



「……絶対に許さない」



唇を噛みしめ、妹の身体をしっかりと抱きしめる。




「絶対に……見つけ出してやる。お前らがどこにいようと、逃がさない」




夜風が、光也の頬の涙をなぞっていく。



その瞳には、もはや少年の姿はなく、’’闇を抱いた何か’’が宿りはじめていた。




玄関の扉は、いまだ半開きのままだった。雨が静かに降り始めたのは、それから間もなくのことだった。



光也は美玖の遺体を抱きしめたまま、動けずにいた。妹の小さな身体はまだわずかに温かく、その温もりが却って残酷だった。



「……うそ、だろ……?」



震える声が漏れる。答える者はいない。家族の声が消えたこの家は、もう"帰る場所"ではなかった。




ポツ……ポツ……。




壊れた窓から冷たい雨粒が吹き込み、頬に触れた。一滴、また一滴と、雨は容赦なく部屋に入り込み、彼と美玖を濡らしていく。



美玖の頬を伝う雨粒は――まるで、涙のようだった。



「……なんで……っ」



唇を噛む。喉の奥で嗚咽が昇るが、叫びにはならない。目の前で命を落とした家族に、何もできなかった自分が、許せなかった。



「俺には、全部あったはずだろ……!」



言葉が雨に消される。



「運動も、勉強も、勝つための才能だって……!」



握り締めた拳から血が滲んだ。爪が手のひらを裂いていた。



「なのに……大切なもの、一つも……守れなかった……!」



震える声は涙とともに崩れていく。だが――心の奥で、何かがゆっくりと目覚めはじめていた。


悔しさと怒りの果てに残ったもの。焼け付くような喪失の痛みの中で、光也の瞳は次第に鋭さを帯びていく。



ふと、空が裂けたように雷鳴が轟き、壊れた窓から差し込む光が彼を照らした。



立ち上がる。



びしょ濡れの服が肌に張り付き、髪から雫が床に落ちる。



美玖をそっと布団の上に寝かせ、静かに目を閉じてやった。まるで、まだ夢を見ている少女のように、彼女の顔は穏やかだった。



その顔を見て、光也ははっきりと、一つの決意を口にする。




「だったら……この力は……守るために使う」



それはただの強がりでも、空元気でもなかった。初めて心の底から"力を振るいたい"と願った瞬間だった。



「もう誰も……俺の前で、泣かせない」




月明かりが、その誓いに応えるように彼の瞳を照らした。



「俺が、すべてを守る」



その瞬間、少年・天城光也は――ただの"万能優等生"ではなくなった。




それは、"英雄"の種が、確かに心に芽吹いた夜だった。



第4話では、光也が“ただの優等生”から、一歩踏み出す瞬間を描きました。


強さとは何か。力を持つ意味とは何か。


彼がこれから進む道は、簡単に正解が出せるものではありません。

けれど、彼自身の誓いが、その道を切り拓いていくはずです。


静かな雷鳴の夜――一人の少年にとって、それは始まりの夜でした。


次回から、彼が誓いをどのように実現しようとするのか。どうか見守ってください。


毎朝6時に投稿していきます。

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