第36話 確認の夜会
一行が利用している中規模な冒険者向けの宿へと移動する。
夜はさらに更け、宿の廊下は静まり返っていた。
壁に設置されたランプの明かりが、足元をぼんやりと照らしている。
宿の主と短い言葉を交わしたマリスは、部屋の手配を済ませると光也の方を向いた。
「私たちの部屋に」
光也は、その言葉に戸惑いを隠せない。
女性四人のパーティに、自分が加わることへの違和感。
「えっと……ボク、男なので、別の部屋のほうが……」
グレンナが呆れたように言い放つ。
「バカ、別の部屋で何かあったらどうするんだ。お前じゃ何もできないだろう」
ティナが口元に皮肉な笑みを浮かべ、さらに追い打ちをかける。
「それに、アンタが"襲う側"だったとして? 私たちに何かできると思う?」
光也は顔を真っ赤にして、慌てて否定した。
「え、いや……そんなつもりは……!」
マリスが冷静な声で二人の言葉を制した。
「落ち着いて。これは"信頼"でも"疑い"でもなく、状況判断よ。あなただけ異常値が多すぎる。だから、私たちの目の届くところにいてもらう」
その言葉は、光也の持つ「スキルゼロ」という異質性が、彼らにとっていかに警戒すべき情報であるかを改めて突きつけるものだった。
光也は、なすすべもなく彼らの判断に従うしかなかった。
彼の「自由」への道のりは、まだ遠い。
シンプルな宿の一室は、ロウソクの灯りが柔らかく照らしていた。
部屋の隅で光也は膝を抱え、身を縮めていた。
緊張と孤独の中、できるだけ気配を消そうとするものの、慣れない状況に体は震えていた。
エルメラがそっと近づき、冷えた体を気遣うように毛布をかけてくれた。
彼女は優しく隣に腰を下ろし、ティナは湯気の立つマグカップを差し出した。
グレンナは腕を組んだまま無言で座っていたが、光也の近くに陣取っていた。
マリスは壁にもたれ、落ち着いた声で話し始めた。
「ねえ、光也くん。親は? どこから来たの?」
光也は少し俯きながら、唇を結んだ。
「……僕は、もともとこの世界の人間じゃありません。異世界から……突然、召喚されて来ました」
その言葉に、四人の視線が一斉に注がれた。
「……元の世界では、僕、家族と一緒に暮らしてました。父と母と、妹がひとり。ごく普通の家族でした」
光也の声は、かすかに震えていた。
「でも、ある日。強盗が家に入って……」
言葉を詰まらせ、光也は手元を見つめた。
あの日の光景が、鮮明に脳裏に蘇る。
「……僕は、たまたま外にいて……助かったんです。でも……家にいた家族は、**全員……**」
重苦しい沈黙が部屋を満たした。
マリスの表情が曇る。
誰もすぐには言葉を継げなかった。
その静寂が、光也の過去の痛みを雄弁に物語っていた。
ティナが、その沈黙を破るように声を上げた。
その声には、わずかな苛立ちと戸惑いが混じっていた。
「"スキルなし"って、文字通り"ゼロ"なの? ステータスに空欄が並ぶってこと?」
光也は首を振った。
「……よく分からないけど、召喚されたとき、他の人たちは"剣聖"とか"魔導皇"とか、すごいスキルを得て……みんなで盛り上がってた。でも、僕だけ、スキル欄が空白のままで……」
「それで?」
「みんな"バグじゃないか"とか言ってたけど……ずっと、何も出なかった。能力も、何も」
ティナは黙って光也を見つめた。
彼女の目にはまだ警戒心が残っていたが、それでも、光也の言葉に嘘はないと感じ取れたようだった。
グレンナの問いには棘があったが、それは責めるというより、何かを確かめたいという意思の表れだった。
「この時間に、なんで一人で歩いてたんだ?」
光也は小さく息を吐いて言う。
「……逃げ出してきました。城から」
「理由は?」
「……僕だけがスキルもないのに、なぜか特別扱いされて、丁重に保護されてた。でも……周りの人たちの目が痛かった。"なぜあんなのが王族のそばにいるんだ"っていう視線ばかりで……」
光也の目が潤んだ。
「たぶん、僕は"研究対象"として見られてたんです。誰もそうは言わなかったけど、まるで壊れ物みたいに扱われて……何かされるかもって、怖くなった。だから、逃げました」
グレンナは黙って膝の上で指を組んだ。
その表情は、普段の豪快さからは想像もつかないほど真剣だった。
ティナが鋭い視線を光也に向けた。
その声には、光也が命の危険を顧みず行動したことへの怒りが混じっていた。
怖かったはずなのに、この子は。
「……それと、あの状況でなんで助けに入れたの? 何もないなら、"普通"は震えて動けないよ」
光也は拳を握りしめた。小さな手が震えながらも膝の上に強く押しつけられる。
「……怖かった。めちゃくちゃ怖かったです。手も、足も、動かなくなりそうだった」
「それなら……」
「でも……それでも……放っておけなかったんです!」
突然、光也の声が少し大きくなった。
彼は顔を上げ、ティナをまっすぐに見つめた。
「目の前で誰かが襲われてるのに、何もしないでただ見てるだけって……それが、一番怖くて」
「……"何か"しないと、後悔するって分かってたから。何もできない自分が嫌だったから……!」
部屋が静まり返った。
オイルランプの灯だけがゆらゆらと揺れ、光也の頬に影を落としていた。
冒険者たちは、光也の切実な言葉に耳を傾けていた。
ティナはしばらく光也から視線を外したあと、ぽつりとつぶやいた。
「……それで動けるって、ちょっと普通じゃないわね。あんた」
グレンナが苦笑を浮かべながら、頬杖をついた。
「ま、それも悪くないけどな。」
マリスがそっと光也の肩に手を置いた。
その手の温もりが、光也の緊張を少しだけ解きほぐした。
「偉いよ。よく頑張ったね、光也くん」
最後に、エルメラがとびきりの笑顔で光也を見た。
彼女の金髪がランプの光を受けて柔らかく揺れた。
「だから私は、最初から信じてた。君は、助ける人間だって」
光也は黙って俯いた。
けれど、胸の奥がほんの少し温かくなるのを感じた。
──この人たちは、僕の話をちゃんと聞いてくれた。
この日初めて、光也は「一緒にいてもいいかもしれない」と、この世界で生きていく希望を見出し始めていた。
彼の新たな旅が、今、始まった。




