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第34話  屋根上の監視者たち


王都の最下層に広がる貧民街を見下ろす、古い教会の屋根瓦の上。


月明かりと影がまだら模様を描く中、4つの人影が息を潜めていた。


彼らはCランク冒険者パーティ《ルミナリス》。



王都で流通する違法薬物「ナイトシェイド」の密売ルートを調査中、この袋小路が取引場所の一つだという情報を掴み、張り込んでいたのだ。



瓦の冷たさが尻に伝わり、吹き抜ける夜風がマントを揺らす。


眼下からは遠い喧騒とすぐ近くの静寂が混ざり合う独特の空気が立ち上ってくる。


湿った夜霧が視界をわずかにぼやかすが、訓練された彼らの目には問題なかった。




パーティのスカウトで、猫のようなしなやかな体つきのティナが、特殊なレンズを組み込んだ単眼鏡モノクルを覗き込み、眉をひそめた。



「……ん? ターゲットとは別の動きね。チンピラのカツアゲ……にしては、様子が変だわ」



リーダーの魔術師マリスと、大剣を背負った歴戦の戦士グレンナが、ティナの視線の先、眼下の袋小路に意識を集中させる。


そこには強盗に囲まれた少女と、唐突に現れたボロ布の少年・光也の姿があった。



グレンナが鼻で笑うように吐き捨てる。



「なんだあいつは。痩せっぽちのガキが一人で。自殺志願者か?」



マリスが冷静に制する。



「待て。状況が不自然すぎる。我々を誘い出すための手の込んだ罠かもしれん。全員、動くな」



ティナは単眼鏡から右目を外し、眼下の光也に集中する。


彼女の右目に淡い魔法陣の光が灯る。


鑑定スキル《千里眼クリアサイト》――対象のあらゆる情報を読み取る、彼女の切り札だ。


どんな些細な情報も見逃さない、はずだった。



だが数秒後、ティナは信じられないという表情で目を見開いた。



「……対象を鑑定……。ステータス、スキル、装備、称号……なっ!?」



彼女の動揺した声に、マリスが鋭く問う。



「どうした、ティナ」



ティナの声が震える。



「……スキル反応、ゼロ。魔力反応、ゼロ。ステータス値は衰弱した一般人以下……何も、ない。完全な『無』です。情報が、存在しないんです……」



一同に緊張が走る。


これまでの経験で、こんなことは一度もなかった。



グレンナが鼻で笑う。


「はぁ? ゼロだと? 高位な隠密ステルススキルか、幻影系のアーティファクトで偽装してるんだろ。最近の盗賊団は厄介なことをする」



「鑑定結果そのものを『無』に偽装するとはな……」


マリスは腕を組み、警戒を強める。


「やはり罠だ。我々が動いた瞬間、周囲に潜む本隊が襲ってくる算段だろう。まんまと乗るな」



神官の衣装に身を包んだ回復役のエルメラだけが、唇を固く結び、眼下の光景を食い入るように見つめていた。


光也が震えながらも強盗と対峙し、「頼むから」と虚勢を張る姿を。



「……もし、本当に……鑑定が正しいのなら? あの子が、本当に何もない、ただの子供だったら?」



マリスは冷ややかに返す。



「だとしても、だ。我々の任務は密売組織の捕捉。ただの強盗なら騎士団の管轄だ。私情で動いて本来の目的を見失うのはプロではない」



ティナが不安げに付け加える。



「でもリーダー……鑑定結果に『エラー』も『妨害』も表示されず、ただ『何もない』なんて、前代未聞です。システム的にあり得ない。それが逆に不気味で……」



「だから言っているだろう!」


グレンナが苛立ちを隠さずに言う。


「鑑定にすら引っかからないということは、最高レベルに怪しいということだ。あのガキの虚勢に騙されて甘い顔をすれば、こちらが死ぬことになるんだぞ」



エルメラは小さく首を振った。


彼女の目には、光也の姿が、計算された罠を演じる役者には到底見えなかった。


あの瞳は、絶望の淵で最後の何かを燃やしている者の光だった。



「でも……」


彼女は独り言のように呟く。


「打算も、計算も、自分の命さえも顧みず、あんなふうに誰かのために叫べる子を、私は見たことがありません……。あの声は、本物です」



彼女の脳裏に、かつて救えなかった命、見て見ぬふりをしてしまった自分への後悔が、苦い記憶として蘇っていた。


その記憶が、彼女の足を動かそうとしている。



眼下で、痺れを切らした強盗が「生意気なガキが!」と怒鳴り、錆びたナイフを光也の頭上めがけて振り下ろした。


少女の短い悲鳴が上がる。



マリスとグレンナが「馬鹿め」と心で呟くのと、エルメラが動き出したのは、ほぼ同時だった。



エルメラは祈るように胸の前で聖印の刻まれた杖を握り、澄んだ声で、しかし切迫した速度で詠唱する。



「《癒光ヒーリングライト》!」



それは本来、傷を癒すための慈愛の魔法。


だが彼女が放ったのは、攻撃魔法と見紛うほどの強烈な光の玉だった。


光は強盗と光也の間を正確に飛翔し、炸裂した。



閃光が強盗の目を眩ませ、一瞬、その動きを止めた。


ナイフを振り下ろす腕の軌道が狂い、刃は光也の肩をわずかにかすめただけで、石畳に甲高い音を立てて弾かれた。



光の残滓が消えぬうちに、エルメラは屋根から軽やかに飛び降り、光也の前に立ちはだかった。


足音一つ立てずに着地した彼女は、即座に光也へと振り向く。



「あなた、大丈夫……!?」



屋根の上で、残された三人が呆然とする。



「ちょっ……あのバカ! 何してんのアンタ!」


グレンナの怒声が響く。



「……チッ、最悪のタイミングだ!」


マリスは舌打ち一つすると、即座に思考を切り替えた。


「こうなれば仕方ない! グレンナ、前衛! ティナ、周囲の警戒を続けろ! 伏兵が来るぞ!」



覚悟を決めたグレンナが大剣を引き抜き、マリスが魔法の詠唱を開始する。


こうして、彼らもまた、望まぬ形で裏路地の戦いに巻き込まれることになった。


夜の貧民街に、新たな騒乱の予感が満ちていく。


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