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第26話 贅沢な監獄


濡れた土の匂いが鼻腔の奥にこびりついて離れない。


光也は城の中庭から戻ると、使用人たちに導かれるまま湯気の立ち込める浴室へと向かった。


熱すぎず、ぬるすぎない湯に浸かると、体にこびりついた外の埃が拒絶されるかのようにするすると流れ落ちていく。


きめ細やかな泡立ちの石鹸で体を洗い、柔らかなタオルで拭き取られる。


全てが至れり尽くせりだった。



「お着替えはこちらへ」



侍女に促され、光也は専用の小部屋へ入った。


そこには真新しい絹のシャツと、光沢のある深い青色のズボンが用意されていた。


生地は肌に吸い付くように滑らかで、仕立てたばかりの針仕事の繊細さが伝わってきた。


これまで着ていた色褪せて擦り切れた服とは別世界のものだ。


それを身につけるたび、自分の体がこの豪華な城の道具として完璧に管理されているような気がして、光也は背筋が凍った。



そして、その日の朝食が始まる。



王城の大食堂は朝の光を浴びて輝いていた。


巨大なクリスタルのシャンデリアが天井から無数の虹色の光を放ち、磨き上げられた大理石の床は足音を吸い込むように静かだった。


光也はあまりにも広い長テーブルの端に座っていた。


金の縁取りが施された白磁の皿、銀細工のナイフとフォークが整然と並び、光沢ある陶器のカップからはかすかに湯気が立ち上っていた。


テーブルの中央には色とりどりの花々が生けられた大ぶりの花瓶があり、その向こうにフィオナ王女の姿がぼんやりと霞んでいた。



目の前の朝食は絵画のようだった。


黄金色に焼かれたパンは艶やかに光り、湯気の立つ温かいスープからはハーブと野菜の香ばしい匂いがふわりと漂う。


皿に盛られた新鮮な果物は雫をまとって宝石のように輝き、どれもあまりに完璧で、まるでガラスケースの中の展示品のようだった。


光也は自分の粗野な手で触れることすら躊躇った。



「体調は?」



向かいに座るフィオナが口を開いた。


彼女の金色の髪は朝日を受けて静かに輝き、透き通るような肌は血の気が薄かった。


その声は感情が存在しないかのように抑揚がなく響く。


感情の気配すら感じさせない、ただの確認だった。



「え、あ、はい……」



光也は反射的に答えた。そのやり取りは事前に決められた定型文を読み上げているかのようだった。



(……本当に僕の心配をしているのだろうか? それとも義務で聞いているだけ? この人からは喜びも悲しみも、何の感情も伝わってこない。まるで精密な機械のようだ。この完璧な朝食も、僕のために作られたというより、この"場所"のために用意されたものに過ぎないのではないか?)



沈黙が重く、長くテーブルに降り注ぐ。


フィオナは一言も発することなく食事を進め、光也もまた、ほとんど味を感じることなくスプーンを動かした。



食後、フィオナは光也に一瞥もくれず静かに席を立った。


付き人たちが即座に彼女の周りを囲み、足音もなく部屋を出ていく。


光也は一人、広すぎるテーブルに取り残された。


遠巻きに見守る使用人たちの視線が背中に突き刺さるように感じられた。


彼らは光也を「特別扱いされている異物」として見ているのだろう。


その視線は彼の孤立感をさらに深めた。


急いで残りの食事を終えると、光也はその場から逃れるように席を立った。



食後、光也は執事に促され、自分の部屋へと案内された。



城の最上階に位置するその部屋は、陽当たりの良い角部屋だった。


窓からは手入れの行き届いた広大な庭園が見渡せ、遠くには城下町の瓦屋根が箱庭のように小さく見えた。


天蓋付きの大きなベッドには柔らかな白絹のシーツが整えられ、足元には毛足の長い豪華な絨毯が敷かれていた。


書棚には背の高い本が整然と並び、机の上には上質な羊皮紙と羽根ペンが置かれている。


部屋の隅々まで完璧に整えられていた。



執事が恭しく頭を下げ、部屋の設備について淀みなく説明した。


光也のために仕立てられたばかりの服は、普段着から寝巻きまで全て揃っており、どれも肌に吸い付くような滑らかな肌触りだった。


その全てが、光也のためだけに用意されたものだという。



(ホテルみたいだ。いや、もっと高級な、どこかのモデルルームか。私物は何も無いのに、こんなに完璧に整えられている。でも、ここに僕の居場所がある気がしない……)



部屋は静寂に包まれ、自分の心臓の鼓動すら響いて聞こえた。


耳を澄ませば、遠くで風が木々を揺らす微かな音と鳥のさえずりが聞こえるだけだ。光也にはこの静寂が、自分を外界から隔てる壁のように感じられた。



少し気分転換に廊下に出ようとすると、すぐに執事か付き人が現れた。



「光也様、どちらへ? 危険ですので、あまりお一人では……」



彼らの声は穏やかで、表情も丁寧だった。


だが光也には、その「優しさ」が自分をがんじがらめに縛りつける鎖のように感じられた。



(まるで囚人だ。ここがどんなに豪華でも、外に出る自由がないなら、それはもう檻じゃないか?)



その日の日課表が執事から手渡された。


起床から入浴、散歩、読書、食事、休憩まで、一日のスケジュールが細かく管理されている。


全てが誰かの意思によって決められていた。


(まるで僕が壊れた機械で、修理中みたいだ。彼らは僕を人間として扱っているのではなく、研究対象として見ているんだ……)


光也は、自分の意思が介在する余地のないこの「療養生活」に、言いようのない息苦しさを感じ始めていた。


窓の外に見える遠い城下町の屋根が、手の届かない自由を嘲笑っているようだった。


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