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第24話 ホーンラビットとの遭遇


光也は静かに森の奥へと踏み入っていた。


陽はまだ木々の間から斜めに差し込み、濃淡の影を地面に落としている。


風が枝葉を揺らすたびに、幾重にも重なるざわめきが耳をくすぐる。


踏みしめる落ち葉が湿っていて、靴底がわずかに沈んだ。


彼の背には木剣。ただの木片に過ぎないそれを、まるで本物の武器であるかのように握っていた。



「このくらいの静寂……慣れてる。野営訓練で何度も経験した。スキルなんかなくても――やれる」



訓練場では、泥だらけになりながら何度も潜伏と接近を繰り返した。


あの冷たい夜、膝を抱えながら風音に耳を澄ませたこと。道具も、スキルも、魔法もなかった。


それでも生き延びる術は、体に刻み込まれているはずだった。



けれど――。



地面の根に足を取られ、わずかによろめく。


すぐに体勢を戻したものの、心臓の鼓動が跳ね上がった。


森の空気が肺を重くし、息が妙に浅くなる。


不安が背後から、じっとりと這い上がってきた。



「……いや、行ける。少し感覚が鈍っているだけだ」



そう自分に言い聞かせながら、さらに森の奥へと歩を進めた。



すると――。



茂みの向こう、小さな草原のような開けた場所。その中央に、一匹の灰色の獣がいた。


体高は腰ほど。丸い体つきに、垂れた耳。


だが、額から真っ直ぐに伸びた一本の角が、その名の通りの脅威を物語っていた。



ホーンラビット――Eランクの魔獣。速度と跳躍力に優れ、突進の一撃は戦士の盾を貫くこともあるという。


だが、光也は後ずさりしなかった。逆に、心の中に微かな興奮が灯った。



「来た……! あれなら、いける。動きは直線的なはずだ……突進を見てから横にさばいて、膝裏に一撃。倒せる」



木剣を握る手に力がこもる。呼吸を整え、全身の重心を低くした。



ホーンラビットはまだ光也に気づいていない。


草をむしるたびに、耳を微かに動かしていたが――次の瞬間、ぴたりと動きを止めた。


こちらの気配を察知したのだ。


赤い目が、鋭くこちらを捉える。


次の瞬間、地面を蹴った。空気を裂くような加速。飛ぶというよりも、放たれた矢のように突っ込んできた。



来る――!



突進してきたホーンラビットの動きに、光也の体が本能的に反応した。



地を蹴る。低く沈み込むように体を傾け、わずかに横へと滑るようにかわす。


鼻先すれすれを角が通り過ぎ、風を切る鋭い音が耳をかすめた。



「――今だ!」



低く呟くような叫びとともに、体を捻りながら木剣を振るう。


狙いは膝裏。獣の動きを止める一点。だが、剣筋は途中で止まった。



遅い。


腕が、重い。


感覚のズレが一拍、そしてまた一拍。まるで時間の中で自分だけが少し遅れているような感覚――。



軸足が土に取られた。ぐらりと重心が崩れ、剣の軌道が中途半端に逸れる。


その一瞬、空中で身をひねったホーンラビットの体が、光也の視界いっぱいに広がった。



ドン、と肉を突き破る衝撃が、太ももに走った。



「っ……ぐッ!」



呻くような声と同時に、体が地面に倒れ込む。


落ち葉と土の匂いが鼻を突き、湿った感触が背中を冷やした。


脚から伝わる痛みは生々しく、血の熱と混ざって脈打っていた。


呼吸が浅くなる。体が思うように動かない。


立ち上がろうとしたが、力が入らない。足が鉛のように重い。


腕さえ、関節に錘をつけられたような動きしかできなかった。



「なんで……? 避けられた。カウンターも、できるはずだった……」



胸の奥で焦燥が膨らんでいく。武道の型は、骨と筋肉に刻まれているはずだった。


訓練でも、実戦でも、反復してきた。体が自然に動くように、叩き込んできた。



なのに、今――。


「体が……ついてこない……!」



ホーンラビットは着地の衝撃を活かし、瞬時に体勢を立て直していた。


前足を大地に踏みしめ、長い耳がピクリと揺れる。そして再び、地を蹴る。


矢のように、一直線に。


光也の視界が、迫る灰色の塊で満たされていく。



「くる……!」



思考が空白になっていく。足も手も、反応できない。ただ、迫る死を待つだけの、無力な肉体。



「俺、ここで……終わり、か……?」



木々が風に揺れ、どこかで鳥が羽ばたいた。小さな命は変わらず生きている。


だが、光也の世界は今、音も色も失い、ただ静かに終焉へと向かっていた。




死が――迫る。


ホーンラビットが地を蹴った音は、乾いた衝撃となって大地を走った。


小さな魔獣の身体が矢のように疾走し、風を裂く音が耳を打つ。


光也の視界には、その鋭い角と真っ直ぐな殺意だけが焼き付いていた。



「避けられない。武器ももう――間に合わない……!」



覚悟というものが心に芽生えるまで、ほんの一拍だった。冷たい恐怖が背筋を貫く。



次の瞬間。




――パァァァァァッ……!




眩い青白い光が彼の体を包み込んだ。


柔らかな球状の膜が、空気さえ押し返すように光也の周囲に浮かび上がる。


その光が現れた刹那、ホーンラビットの突進が膜にぶつかった。




バンッ!




重い音とともに、魔獣の体が空中で弾き返された。


ホーンラビットはくるりと一回転して地面に転がり、悲鳴のような鳴き声を上げて木の幹にぶつかる。


しばらくもがいた後、怯えたように跳ねながら森の奥へと消えていった。



「…………っ……はぁ、はぁ……」



地面に伏したまま、光也は荒い息を吐く。脈打つ鼓動が耳の奥でうるさく鳴っていた。


だが、その鼓動の中にもうひとつの異質な感覚が混じる。


温かさ。脚――負傷した太ももを押さえていた掌の下が、じんわりと熱を帯びていく。



不思議に思って見下ろすと、傷口がゆっくりと閉じていくのが見えた。血が止まり、破れた肉が繋がり、皮膚が再生していく。



「これは……回復魔法? いや、それより……今のは……バリア……?」



呆然と呟きながら、光也は両手を見つめた。木剣を握っていた手。震えていた手。そのどちらからも、光の気配はもう感じられない。


「まさか……! 俺に……スキルが……?」



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