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第20話 閉ざされた部屋へ

廊下には誰の足音もなかった。


ただ、前を歩く騎士見習い風の若者の背中だけが、心もとなく揺れていた。



光也は無言のまま、彼の数歩後ろをついていく。


口を開く理由もなければ、話しかける雰囲気でもない。



王城の賑やかな主翼を離れ、裏手の陰へと続く細い通路に入る。


薄暗く、窓もなく、風さえ通らない。歩くたびに、足元から埃が舞い上がった。


やがて辿り着いたのは、城の裏にひっそりと佇む一棟の古びた建物だった。


外壁は所々塗装が剥がれ、蔦が這い上がっている。


かつては物資倉庫か、使用人の詰所だったのだろう。



「……ここが、あなたの"待機部屋"になります」



案内人が、言いづらそうに口を開いた。


重々しい鉄の扉を押すと、鈍い軋み音とともに淀んだ空気が流れ出した。


冷たい。人の気配すらない。



中へ足を踏み入れた瞬間、光也は空気の違いを感じ取った。



「…………」



広くはない。


壁は石造りで冷え切っており、湿った空気が肌にまとわりつく。


家具は必要最低限。


壁際の細いベッドは、板の上に薄い布団が敷かれているだけ。


向かいの木製の机には、無数の傷が刻まれていた。


窓はない。



光源は、部屋の中央に据えられた一本の燭台のみ。


揺らめく炎が壁を不規則に照らし、影を踊らせていた。


使い捨ての静寂。


床は拭かれ、机にも埃はない。



清掃が行き届いているその様子が、かえって虚しさを際立たせていた。


光也は、しばらくの沈黙の後、小さく笑った。


苦く、乾いた笑みだった。



(まるで隔離部屋だな……)



──異世界召喚。


多くの者は希望に満ちて、剣と魔法の世界へ飛び込んでいった。


新たな力を得て、未来を約束された彼らとは違う。


自分は、こうして何の役目も与えられず、王城の隅に"封じられた"。



騎士見習いの若者は、寡黙に一礼すると、そのまま扉を閉めて立ち去った。


再び、鈍い軋み音。金属の噛み合う音が静寂に溶けていく。



部屋には、光也と、蝋燭の炎の音だけが残された。


冷たい石壁に囲まれたこの場所で、彼はまだ自分の立ち位置さえ掴めずにいた。







転生者たちが去り、玉座の間が静寂を取り戻すと、


それまで公的な面を保っていた貴族たちは、徐々に仮面を脱ぎ始めた。


絢爛な柱に囲まれた空間には、王族と限られた重臣たちだけが残されている。


そこに流れる空気は、祝福でも感嘆でもない。むしろ――冷たい、冷酷な判断の場だった。



「……さて、"コウヤ・アマギ"の処遇だが」



最初に口を開いたのは、銀縁の眼鏡をかけた壮年の貴族だった。


地位ある者特有の傲然とした態度で、彼は小さく鼻を鳴らす。



「はっきり言って"外れ"だ。何の資質もない者に、王国の資源を割くなど――」



言葉の終わりは、意図的に濁された。だが、誰もがその先を理解している。



「論外、というわけだな」



別の老侯が補足するように頷いた。



「追放でいい。むしろ早い方がいい」



若い貴族が腕を組み、冷笑を浮かべる。



「民に知られれば、王国の面目は丸潰れだ。"異世界の勇者様"が、実は無能だったと」



その言葉に、場の空気がわずかにざわめいた。


やがて、長く沈黙を保っていた一人の男が、低く苦々しい声を発した。



「……異世界召喚は、莫大な魔力と国家機構を使う事業だ」



魔法大臣・ヴァレリウス。白髪交じりの髪をなでつけ、隻眼に冷酷な光を宿した瞳が、座の全員を見据える。



「魔導庁から三名、魔力供給塔から十七名、補助陣の設営に十日間――それだけの人材とエネルギーを注ぎ込んだ。その結果が"あれ"か」



彼の声に怒りはない。しかし、それゆえに一層冷たく響いた。


まるで役立たずの実験器具を処分する技術者のような声音だった。



「――"残す"理由があるなら、聞いてみたいものだ」



その言葉に誰も反論しなかった。否定も擁護も、そこにはない。ただ、重い沈黙が降りる。


その沈黙に、重厚な鎧をまとった騎士団長・ガルドが応じた。



何も言わず、ただ一つ、ゆっくりとうなずく。それだけで十分だった。


彼の沈黙は、同意を示すには充分な威厳を持っていた。



場にいる誰もが理解していた。――この国には、"無能"を慈しむ余裕などないのだ。



追放の決定は、もはや確定事項として静かに会議を支配していた。


貴族たちは賛同し合い、魔法大臣は冷徹な理論でそれを後押しし、


騎士団長は無言の頷きで重みを添えた。反対の声は、もはや出ないはずだった。



――その時だった。



「……その者の処遇、私に預けていただけますか?」



静かに、しかし確かに響いたその声に、広間の空気が凍りついた。



王族席に座す、若き王女・フィオナ。



瞳は湖のごとき静謐を湛えていた。



「……フィオナ殿下、今、なんと?」



驚きを隠さず声を上げたのは、魔法大臣ヴァレリウスだった。険しい表情を崩さぬまま、彼は苦々しく続ける。


「ご冗談を。あの者に何の可能性があると?」



「"可能性がある"かどうかではありません」


フィオナは声を荒げることなく、むしろ柔らかに返す。だがその一語一語は、研ぎ澄まされた刃のように明確で揺るぎなかった。


「私は――"見極める"と申し上げているんです」



その瞳には迷いがなかった。


貴族たちが己の面子や効率、国益ばかりを口にするなか、


ただ一人、彼女だけが"目の前の一人"を見つめていた。



「この国の誰もが"無能"と断じるなら……その断言が正しいかどうか、確かめたいのです」



重臣たちはざわめいた。



「フィオナ殿下が?」


「姫様、なぜあんな少年に……?」



だが、誰一人として彼女の目をまっすぐ見返せる者はいなかった。風のない森に灯る小さな火のように、彼女の声は確かに広間を満たしていく。



「判断は、その後で構いませんね?」



玉座の奥、誰よりも長く沈黙していた老王が、ゆっくりと身を乗り出すようにして娘を見やった。


しわ深い瞼の奥で、何かを測るように目を細め、やがて――



「……よかろう」



その一言で、すべての議論が終わった。



貴族たちは不満を押し殺すように沈黙し、魔法大臣は一度だけため息を吐いて椅子の背にもたれた。


騎士団長はまばたき一つせず、再び沈黙を選ぶ。



王女の一存――否、意志が、少年の"命運"を手繰り寄せたのだった。



誰も知らなかった。


この日、王国の片隅に打ち捨てられた少年と、その手を取った王女との小さな選択が、


後にこの国の歴史を大きく変えていくことになるなどと。


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