第18話 沈黙の中の火種
玉座の前――
絢爛たる天蓋に覆われた、その権威と威厳の象徴とも言える空間に、重々しい声が響き渡った。
「……これが王国の資源を費やして召喚した者か」
騎士団長。
老いた鉄獣のような男だった。
戦場を知り尽くし、幾多の血と泥をくぐり抜けてきたその顔には、鋼のような皺が刻まれていた。
眉間に深く刻まれた縦皺を寄せ、彼は吐き捨てるように言った。
「戦場に立つことすらできん、ただの小僧だな」
その一言は、誰かを叱責するような怒声ではなかった。
ただ、物言わぬ廃材を見下ろすような無感情な断定だった。
期待の裏返しですらない。最初から、価値がないと切り捨てただけの話。
それが、老練の騎士の結論だった。
場内の空気がわずかにざわめいた。
しかし、そのざわめきは驚きではなく、"納得"に近いものだった。
続けざまに、別の声が響いた。
今度は、より静かで、冷たく、知性を感じさせる声音――
「召喚陣が歪んだか」
細身の体に漆黒の法衣をまとった男。
王国魔導院の長、魔法大臣レストリアン・エイガス。
理知的な眼鏡越しに、光也の背中を品定めするように見据えていた。
「魔力の無駄だったな……」
軽く顎に手を添え、唇の端をわずかに歪める。
「――我々は、"空っぽ"を呼んでしまったらしい」
空っぽ。
それは、偶然にも光也自身が感じ始めていた言葉だった。
だが、他人の口から、あまりにも無造作に投げられたその言葉は――
魂をえぐるほどの重みを持っていた。
その瞬間。
会場のあちこちから、堪えきれないように乾いた笑いが漏れ始めた。
「空っぽ……くくっ……確かに……」
「期待して損したわ」
「スキルなし、魔力も凡庸、特性も無し――一体どうやって生きていくつもりなのかしら」
上座に並ぶ貴族たちの間で、笑い声が弾ける。
だが、それは決して陽気なものではなかった。
滑稽で無害な存在に向けられた、ただの余興としての嘲笑だった。
光也の背筋が、静かに凍る。
(……俺は、こんな扱いを受けるために呼ばれたのか?)
空気が張り詰め、静寂が広間を支配していた。
騎士たちの嘲笑も、貴族たちの囁きも、次第に消えていき、
それらすべてを押し黙らせる、奇妙な"視線"が漂っていた。
――王女フィオナ
玉座の横、黄金に縁取られた高座に佇む彼女は、
ただひとり、言葉を発していなかった。
広間の空気は、先ほどとは一変していた。だがそれは、光也にとって熱気が"冷めた"という意味ではなかった。
熱狂は、彼を除くすべての転生者たちへと集中していたということだ。
「……魔術適性Aランクだと!?」「王立学院への推薦をすぐに!」
「剣気が視えるだと……まだ十五だぞ、あの子!」
「あれは将来の将軍格……いま囲っておけ!」
貴族たちが紋章入りのカードを次々と差し出し、騎士団が膝をつき、魔術師たちが温かな微笑みを浮かべる。
転生者たちのもとへ、名誉と肩書と輝かしい未来が運ばれていく。
そのすぐ横を、光也は静かに通り過ぎていった。
誰一人として、彼に声をかけようとはしない。
まるでそこに"人がいない"かのように――
「……可哀想に。でも、仕方ないよね」
ひときわ存在感のある銀髪の少女が、小さく呟いた。
まだ十代半ばながら、すでに魔導書を携えた"天才型"の転生者だ。
紫紋のローブを纏い、魔法大臣直属の補佐として抜擢されていた。
その声は、確実に光也の耳に届くよう、計算されて発せられていた。
「無いものは無いんだから」
すぐ後ろから、今度は露骨な嘲笑が響く。
「ハズレ枠って本当にあるんだな」
鋼の剣を背負った少年――剣士型の転生者。
鑑定時に「技量A+」を叩き出し、複数の騎士団から取り合いになっていた。
彼は剣を軽く肩にかけ、まるで路傍の石を見るように光也を一瞥した。
ただの"敗北者"として嘲笑う――残酷な距離の取り方だった。
その言葉に、取り巻きの一人が吹き出す。
「はは、やめろよ。聞こえてんじゃねーか」
「いーんだよ、こいつには届かねーよ、何も。スキルも、未来もな」
光也は、何も言わなかった。
そのまま、ただ歩き続けた。
――けれど、耳に残るのは雑音ではなく、心の奥でふつふつと揺らぐ"熱"だった。
(……そうか)
"何も持たない"という事実が、ここまでの差を生むのか。
"最強だった"という過去が、ここでは空虚な妄言とされるのか。
それでも――
(だったら、見せてやろう)
胸の奥のどこかに、不思議な静けさと、燃えさしのような感情が宿っていた。
それが怒りなのか、悔しさなのか、あるいは諦めることを拒む意思なのか。
自分でもまだ、その正体はわからなかった。
だが、確かにそこにあった。
沈黙の中で笑う者たちの背後、
誰にも振り向かれることなく歩むその影に――
小さな火が、静かに灯っていた。
忘れられ、笑われ、置き去りにされた少年の中に灯った、小さな火種。
それがどんな炎になるのか、もし興味を持っていただけたなら――
次回も、ぜひお付き合いください。