第137話 葛藤と決断
セリーナは静かに続ける。
「ずっとあなたを守ってきたわ。あなたが倒れぬよう、孤独に沈まぬよう……いつも傍にいた」
「でも……今度は私が、この村と、あなたを未来へ繋ぐ番」
光の中で彼女の気配は揺らめき、温もりとなってセラフを包む。
「だから、迷わないで」
その一言が、胸の奥深くに突き刺さった。
涙が視界を滲ませる中で、セラフは両の手を石板に重ね、全身で祈りを受け止めた。
セラフはその場に膝をつき、石板を両腕で抱きしめた。
冷たい石の感触が胸に食い込み、嗚咽が喉を震わせる。
「……姉さん……あなたがいなければ、俺はここまで来られなかった」
声は掠れ、震えていた。
「だけど……本当にいいのか。もう一緒に歩けなくなるのに」
その問いに、心の奥で柔らかな気配が応える。
微笑みをたたえたような、穏やかな温もりだった。
「私はもう、あなたと共に生きてきた。あなたの目で見て、あなたの声で感じてきた」
「これ以上の願いはないのよ、ラファス」
涙が熱く頬を伝い落ちる。
それでも彼は顔を上げ、石板に額を押し当てた。
震える唇で、最後の祈りを紡ぐ。
――どうか、この村を。
――どうか、未来を。
その祈りは、涙に濡れた声とともに石板へと沁み込んでいった。
セラフの祈りに応えるように、石板がまばゆい光を放った。
刻まれた紋様のひとつひとつが脈打ち、そこから淡い炎のような光が立ち昇る。
その光はやがて形を帯び、セリーナの面影を宿した揺らめきとなった。
柔らかく、温かな気配――それは確かに姉の魂だった。
「……姉さん」
セラフが震える声で名を呼ぶと、炎は微笑むように揺れ、細い糸となって石板の刻印へと吸い込まれていく。
光はひとすじひとすじと編み込まれ、複雑な紋様と一体化していった。
その瞬間、大地が低く鳴動し、北の丘に立つ大樹の影が大きく揺らぐ。
やがて、大樹の頭上に透明な「柱」のような光が立ち上った。
それは天へと真っ直ぐに伸び、夜空を貫くほどの輝きを放つ。
セラフは立ち尽くし、その光を見上げた。
そこには確かに――姉の魂が、未来を守る力となって生き続けていた。
天へと真っ直ぐに伸びた光の柱は、夜空の闇を押し分けるように広がり、谷を覆う結界の輪郭へと接続された。
その瞬間、結界全体が震えるように波打ち、淡い光の層が一枚、また一枚と重なっていく。
谷を見つめる外界の「視線」は、まるで霧の中に吸い込まれるように逸れていった。
誰もここを探せず、誰も思い出せず、誰の記憶にも残らない――そんな力が結界に宿っていくのをセラフは感じた。
彼は立ち尽くし、胸に残る温かな響きを聴く。
「ラファス……もう泣かないで。これで、あなたは前を向ける」
姉の声が静かに消えていく。
頬を伝う雫を袖で拭い、セラフは深く息を吐いた。
眼下には、まだ煙の立ちのぼる谷が広がっていた。
だがその光景を見下ろす彼の瞳には、確かな手応えが宿っていた。
――北は守られた。
セラフは拳を握りしめ、結界の強化が果たされたことを胸に刻んだ。