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第134話 結界の胎動


炎の揺らめきの中、リーダー的な男がよろめきながら姿を現した。


その腕には、血に濡れながらも決して手放さなかった石板が抱えられている。



石台に置かれたそれは、黒々とした岩肌に複雑な紋様が刻まれていた。


まるで命そのものが封じ込められたかのように、微かに脈打ちながら青白い光を放っている。


人々が息を呑む。


そこに刻まれていたのは——かつて「何の力も持たぬ」とされた加護なき子の魂の痕跡だった。



男は仲間たちに顔を向け、声を震わせながらもはっきりと告げる。


「……この力は、弱き者のものだ。だが……組み合わせれば、強き守りとなる」



彼は石板を撫でるように持ち上げる。


その表面には、《拒絶の魂》を核として、村人たちが持ち寄った小さなスキルの印も重ねられていた。


水を清める術、火を安全に扱う術、わずかな治癒の力。


一つひとつは取るに足らぬ技でも、重なれば確かな環となり、結界の形を成していく。



炎の照り返しを受け、石板の刻印はさらに強く光を脈動させた。


それはまるで、弱き者の魂が今こそ村全体を守ろうとしているかのように。



リーダー的な男は石板を前に置き、声を張り上げた。


「……皆の祈りを重ねてくれ。それが、この地を救う唯一の道だ」



その言葉に、人々は涙を流しながらも両手を合わせる。


だがその奥で、真実に気づいた者たちがいた。


——この術は、ただの祈りでは成り立たない。


誰かの魂を糧としなければならないことを。


最初に動いたのは、一人の母親だった。


腕に抱いた幼子を仲間へ託すと、小さな頬を撫でて微笑んだ。


「この子に……どうか、明日を……」


涙をこらえ、背を伸ばし、迷いなく石台へと歩を進める。



次に、老学者が杖を地に置いた。


その顔には、諦念ではなく穏やかな笑みがあった。


「私はもう、長くは生きられぬ身だ。ならば知の一片として、この祈りに加わろう」


その声は不思議と澄み渡り、人々の嗚咽を静めた。



そして最後に、若き戦士が前に出た。


脇腹からは血が滴り落ち、片膝をつくたびに地が赤く染まる。


仲間が止めようとするが、彼は弱く笑って首を振った。


「どうせ……ここで命は尽きる。なら、せめて最後に……みんなを守る盾になりたい」


折れた剣を杖のように突き立てながら、彼もまた石台へと歩んでいった。



三人は石板の前に並び、その掌を紋様へと伸ばす。


光が脈動し、青白い輝きが彼らの身体を包み込む。


母は子を思い、老人は知を託し、戦士は仲間を願う。


それぞれの覚悟が「祈り」となり、炎の轟きの中へと吸い込まれていった。



石板の刻印が脈打ち、青白い光が夜を照らし出した。


その光は炎よりも鮮烈で、炎よりも冷たく、石台に立つ三人をゆっくりと包み込んでいく。



母親は最後まで子の方へ視線を向けていた。


腕を伸ばそうとしたが、その手はすでに透き通り、光に溶けていく。


「……泣かなくていいよ。必ず明日が来るから」


その声は柔らかく、風のように消えていった。



老学者は、まるで授業の締めくくりを告げるかのように微笑んだ。


「ただ……続いてくれれば、それでよい」


光に飲まれながらも、その瞳は未来を見据えていた。



若き戦士は血に濡れた折れ剣を地に突き立てたまま、最後に仲間へ振り返った。


「……頼んだぞ。お前たち……」


声は途切れ、彼の姿は剣と共に霞のように消えた。



光に包まれた三人の姿は、やがて完全に見えなくなった。


残されたのは、石板の上に揺らめく青白い輝きだけ。


それは祈りの結晶であり、犠牲の証であり、そして村を覆う結界の胎動そのものだった。



炎の轟きが押し寄せる中で、光也は幻視の中に立ち尽くしていた。


——命が消えていく感触までもが、胸の奥を痛烈に貫いていた。



石板が震えた。


刻まれた紋様が一斉に脈動し、青白い輝きが炎の赤を呑み込んでいく。



祈りと犠牲に呼応するように、《拒絶の魂》を核とした術式が目を覚ました。


三人の魂が光へと溶け、石板から天へと伸びていく。


その光は夜空を切り裂き、谷全体を覆うように広がっていった。



次の瞬間、炎が押し返される。


轟々と燃え盛っていた火は壁にぶつかるように弾かれ、逆巻く黒煙ごと掻き消されていく。



討伐兵たちの振るう刃は見えない障壁に阻まれ、甲高い火花を散らすだけだった。


術師たちが符を投げ放つも、呪文の光は触れる間もなく霧散し、虚空へと溶ける。



「な、何だ……これは……!」


兵士の叫びはすぐに炎よりも冷たい沈黙に呑まれた。



谷を覆ったのは、すべてを拒絶する力だった。


外からの侵入も、破壊も、理の名のもとに振るわれる暴も——一切を拒む。


それは祈りによって生まれ、犠牲によって支えられる結界。


人々が夢見た「もう誰にも見つからない世界」は、この瞬間、世界から隔絶される形で叶えられた。



光也は幻視の中で、息を呑んだ。


その力は確かに希望をもたらしていた。


だが同時に、消えてしまった命の重さを突きつけるように、胸を締めつけた。



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