表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
123/142

第123話 セラフ・ハーデン


瓦礫と魔力の奔流の中で、ミロシュたちは防戦一方に追い込まれていた。


ヴェスタンの放つ一撃は結界を砕き、石床を抉り、ただ立っているだけでも困難な状況だった。



「――終わりだ」


冷ややかな声と共に、ヴェスタンの掌に黒い光が収束する。


その時だった。


空気を切り裂く音と共に、光の矢がその一撃を弾き飛ばした。



眩い残光が消えた先に、黒衣の魔導士とは対照的な影が立っていた。


長衣を翻し、片手には羽根ペン、もう一方には真新しい紙束を持っている。


白髪混じりの髪を風に揺らし、男は静かに筆を走らせていた。



「――記録するに値する魂だな、ヴェスタン」


それは挑発でも虚勢でもない。


ただ淡々と、目の前の存在を観察し、紙に刻みながら宣告する声。


その異様さと威厳に、誰もが一瞬息を呑んだ。



「セラフ・ハーデン……!」


マリスが驚愕を漏らす。


セラフは記録を終えると、筆先を払うように指を鳴らした。


その瞬間、炎が、雷が、重力が――彼の周囲に次々と現れる。


まるで数多の英雄の力を一身に宿すかのように。



「魂の残滓は、私の紙に眠る。」


彼の瞳は冷ややかだが、その奥底には鋭い戦意が光っていた。


ヴェスタンの眉がわずかに動く。


「……叡智の環、か。小賢しい記録魔が」



「小賢しいかどうか……試してみるといい」


セラフが紙片を翻した瞬間、爆炎が彼の足元から噴き上がり、ヴェスタンを呑み込もうと迫る。


だが同時に、背後から囁く声があった。


「セラフ、無駄口は後にして。……"今"よ」

女の声と共に、時間がわずかに軋んだ。


ヴェスタンの詠唱が、一瞬だけ遅れる。


その隙を逃さず、セラフの爆炎が直撃した。



「――っ……!」


ヴェスタンが後退し、土煙が舞う。



煙の向こうに立つのは、長髪を結い上げた女、イレーネ。


彼女の瞳は冷徹に時の流れを見据え、指先からは光の糸のような"時間の綻び"が伸びていた。



「イレーネ……叡智の環の、時紡ぎか」


ヴェスタンの声には苛立ちが滲んでいる。



セラフは紙束を閉じ、彼女の隣に並んだ。


「……いい連携だろう。魂の記録と、時間の綻び。」


男はそう告げて羽根ペンを構え直した。


その姿は、まるで世界をその手に書き換える書記官のよう――圧倒的で鮮烈だった。



セラフの筆先が止まったまま、紙面に文字が刻まれる。墨が乾く間もなく、彼は淡々と告げた。


「奴は兵を率いてなどいない。連れているのは、魂を燃やす炉だ」


その言葉が場に落ちると同時に、周囲の空気が一段と冷たくなった。


ヴェスタンの腹心たちの胸元が、微かに波打つ。


彼らの目が虚ろに揺れ、呼吸が短くなる。


誰よりも早くそれを察したのはマリスでもセラフでもなかった。光也だった。



光也は震える声で、しかしはっきりと呟いた。


「許せない……」



そのひと言が、皆の胸に火をつけた。


エルナの癒光が薄く揺れ、ティセルの指先が握りしめられる。


ミロシュは刃を握る手に力を込め、歯を食いしばった。



「無駄な命を、これ以上消費させはしない――全員、一気に片を付ける!」


マリスの声に応じ、セラフは紙束を鞄に押し込み、戦場へと向き直った。


イレーネは短く頷き、時の綻びを全方位に仕掛ける準備を整えた。



連携は瞬時に整った。


セラフは術式を次々と紙から呼び出し、映写するように展開していく。


炎が渦を巻き、風が裂け、重力が屈む。


イレーネが「今だ」と小声で合図すると、彼女の紡いだ時間の歪みがヴェスタンの周囲だけをほんの一瞬遅くした。


その隙間にセラフの一撃が重なり、破壊力を何倍にも増した。



ミロシュとティセルが並んで間合いを詰める。


マリスは戦術詠唱を重ね、遠方からの支援魔光でヴェスタンの動ける空間を削っていく。


エルナは負傷者の脈を押さえつつ、必要なら瞬時に癒せるよう準備を続けた。


光也は後方で祈るように目を閉じ、ただ仲間の名を心の中で呼ぶ。



だが――その刹那、異様な気配が全員の背筋を撫でた。


ヴェスタンの姿勢から、貪欲さが濃く滲み出している。



背後の兵たちの胸が、まるで誰かに絞られるように沈んでいく。


黒い糸のようなものが彼らの胸奥から立ち上り、一つの塊となってヴェスタンへと吸い込まれていった。


吸われる者は悲鳴を上げる間もなく目を白くし、魂の光が抜かれると皮膚は萎れ、瞳孔が曇っていく。



セラフは筆を握る手を一瞬固くした。紙面に素早く文字を書く。



「――魂炉の起動。燃料投入開始」


「くそっ……!」 


マリスの結界が光を弾き返すが、力の重量は増大していた。


ヴェスタンの掌から放たれる一撃は、それまでとは桁違いの厚みを帯びている。


打ち払われた衝撃は地をえぐり、風が吹き荒れて石の破片を空に撒き上げた。



「奴め、隠していたのか……!」


ティセルの嗚咽混じりの叫びが、誰の胸にも刺さる。


皆が全力で叩きつける。


セラフは次々とスキルを切り替え、イレーネは時間を断続的に歪めて攻撃の精度を補助した。


ミロシュとティセルの剣が交差し、マリスの魔力が炸裂する。



ついに――一瞬、ヴェスタンが後退した。


土煙の中で、かすかな動揺が見えた。


しかし、その後に起きたことは誰も想像していなかった。



ヴェスタンの顔に薄い笑みが広がる。


彼はゆっくりと両手を広げ、自分の周囲に集う部下たち――懐に抱いていた者たちを見渡した。


黒い光がさらに濃くなり、今度は一斉に、残るすべての部下たちの胸へと吸い込み始める。



「終わらせる……、全部燃やしてやる」 


その声には哀れみすら混じっていた。



セラフは紙を睨んだまま、淡々と書き記す。


「すべての燃料放出。大出力化」



イレーネは口元を固く結び、時間を凝縮して仲間を守ろうとしたが、数秒の歪みも足りぬほどヴェスタンの力は膨れ上がっていく。


部下たちの顔が次々と色を失っていく。


誰かの目が白く濁り、誰かの手がだらりと崩れ落ちる。


最後の一人まで吸い尽くされたとき、ヴェスタンの背後に巨大な黒い塊が形を成した――それは呻きと光と影が混じった禍々しい核。


彼はそれを掌で押し潰すように収縮させ、一気に解放する。



衝撃は戦場を裂いた。


轟音が石を砕き、熱と冷気が同時に流れ、周囲の空気が一瞬にして焦げる。


仲間たちは吹き飛ばされ、マリスの腕から炎の紋が剥がれ落ち、セラフは咳をしながら紙を押さえた。


イレーネの時間の綻びも、この凄まじい波の前では薄い膜に過ぎなかった。



煙と埃が晴れたとき、ヴェスタンの姿はそこになかった。


彼の残したものは、燃料として吸い尽くされた部下たちの抜け殻だけ。


表情もなく地面に横たわる彼らの体からは、かつての熱が消え、ただ空虚な静けさが広がっている。



ティセルが嗚咽を漏らしながら這い寄る。


ミロシュは呆然と立ち尽くし、光也は目を見開いたまま震えていた。


セラフは黒く焦げた紙を一枚取り出し、墨を舌で湿らせるようにして文字を書き添える。


「記録完了――名は、魂炉コンロ型喰魂術。危険度:極高。」



静寂の中、誰もが言葉を失った。


戦場には、無意味に失われた命の匂いと、逃げられた脅威の影だけが残されている。


ヴェスタンは確かに退いた。


だが、その代償はあまりにも大きかった。



ミロシュは静かに拳を握り締め、吐き捨てるように言った。


「……許せない。奴を、追う――必ず報いを…」



光也は小さな声で、しかし確固たる響きで呟いた。


「……まだ終わってない。あいつを、ここで野放しにはしない」


誰も気づかなかったが、セラフは短くこちらを見た。紙の隅に書かれた彼の字が、冷たい光を帯びていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ