第121話 再定義の力
ティセルの瞳から涙が零れ落ち、崩れ落ちるようにエルナの胸へと身を預けた。
その瞬間、場を覆っていた重苦しい気配が嘘のように消え去った。
ミロシュは剣を下ろし、深く息を吐いた。
だが――心の奥で、別の震えが止まらなかった。
(今のは……何だ……?)
彼は確かに見た。
光也が叫んだ瞬間、世界そのものが震え、ティセルの魂を縛っていた鎖が砕け散るのを。
エルナの共鳴が道を作り――しかし、決定的に"現実を塗り替えた"のは光也の祈りだった。
(……祈りが、現実を……? そんな理屈はありえない。だが、目の前で起きたことは紛れもない事実だ)
ミロシュの背筋に冷たいものが走る。
仲間たちに悟られぬよう表情を抑えながら、胸の奥で静かに誓った。
(……叡智の環に報告しなければならない。光也――この男について、もっと詳しく調べる必要がある……)
その眼差しは、戦いの終息を喜ぶものではなかった。
ただ一人、彼だけが――光也という存在に潜む、得体の知れぬ"規格外"を見抜きつつあった。
ティセルは震える身体を支えながら、ゆっくりと立ち上がった。
瞳には涙が残っていたが、先ほどまでの絶望の色は消えていた。
「……ごめん……でも、もう大丈夫」
掠れた声でそう告げ、剣を握る指先に再び力を込めた。
ミロシュが隣に歩み寄り、剣を構え直す。
「……ああ。今度こそ、俺が守る」
マリスは冷ややかな眼差しで敵を見据えながら、術式を編み始めた。
「状況はまだ絶望的だ。だが、希望は戻った——それで十分」
エルナは消耗しながらも、仲間の背中を見つめて強く頷いた。
その様子を、光也はただ呆然と見つめていた。
心臓が痛いほどに高鳴り、足は震えている。
(俺は……戦えない。けど……せめて、みんなが生き残る未来を、祈ることなら……!)
——その時。
「……馬鹿な」
低い声が場を震わせた。
ヴェスタンだ。
普段は冷徹に抑えている表情に、露わな苛立ちが刻まれていた。
「完全に修復したはずの駒を、ここまで戻すとはな……」
忌々しげに吐き捨て、唇に歪んだ笑みを浮かべる。
「……いや、いい。ならば——私自らが叩き潰すまでだ」
黒衣の袖が翻り、彼は一歩前に進み出た。
その瞬間、空気が一変した。
世界そのものが敵意を帯びて迫ってくるようだった。
「来る……!」
マリスが術式を完成させ、前方に結界を展開する。
ミロシュとティセルは剣を並べて前へ。
エルナは後方に下がり、光也はただ必死に拳を握りしめた。
「——砕け散れ」
詠唱もなく、ヴェスタンの掌から光が閃いた。
一撃。
それだけでマリスの結界に罅が走り、衝撃波が地面を割った。
「っ……ぐ……!」
マリスが奥歯を噛みしめる。
ミロシュとティセルが間合いを詰めようと飛び込むが、ヴェスタンはわずかな動きで二人を同時に押し返した。
「甘い」
吐き捨てられた声と共に、さらなる魔力の奔流が迫る。
光也は目を見開いた。
(強すぎる……これが……本物の……!)
祈りにも似た思いが、胸の奥で必死に叫んでいた。