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第12話 クロウの夜

情報の隙間に生き、誰にも見つからない場所で刃を握る。


そんな男がいたとして、果たしてそれは「生きている」と言えるのか。


これは、記録に残らない英雄の物語。


名を持たず、顔も知られず、ただ“クロウ”として存在し続けた男の、たった一つの選択の話。


常識も、論理も、国家の枠組みすら意味をなさない世界の片隅で。


彼が守りたかったものとは何か。


そして、守れなかった日々を超えたその先に、何があるのか――。


ビルは黒く沈んでいた。



十階建ての廃墟――かつては通信会社のオフィスビルだったが、今は武装集団の根城と化していた。


人質七名。残された時間は、あと三時間。



「交渉は決裂。突入は上層部の判断待ちだ。ただし、中で何かあれば即時制圧に移行する」



署内の臨時作戦会議室。指揮官の声が重く沈む。


そのとき、背後の扉が静かに開いた。



「……彼が来た」



誰かの囁きが漏れる。


空気が張りつめる。現れた人物は影のように佇んでいた。


黒の戦術ジャケット。ノーエンブレム。短い髪に無表情。


だが、その目の奥だけは異様なほど"静かに燃えていた"。



「コードネーム、クロウ。突入許可が下り次第、任せる」



彼は無言で頷いた。





時刻は21時32分。


警察の包囲網が敷かれたビルの裏手、換気口から"クロウ"は無音で潜入した。



敵の見張りの位置、武器の種類、廊下の死角、床の軋み――すべてが、既に彼の脳裏に刻み込まれていた。



一階、二階、三階……。


必要最小限の動きで制圧を重ねる。


ナイフの反射すら警戒し、ライトは使わない。



代わりに、敵の"呼吸音"を頼りにする。



五階。最初の難所。


巡回中の二人組の一人が、不意に足を止めた。



「……なあ、今、誰か通らなかったか?」



その言葉が消える前に、影が舞う。


刹那。二人の男は音もなく床に崩れ落ちた。


睡眠導入剤入りのガスピストルが喉元に刺さっていた。


クロウの姿は、既に六階へと消えていた。







九階で、彼は足を止めた。


ここから先は"変数"が多すぎる。


敵が仕掛けたはずの地雷――だが、その配置に違和感があった。



「囮か」――その読みを確信したクロウは、あえてそのルートを選んだ。



予想通り、それは敵の"逃走経路"だった。


クロウは音もなく、監視の死角へと滑り込んだ。





十階――最上階。


人質が拘束されている会議室。


敵リーダーが叫ぶ。



「包囲されているのは分かってるんだ! こっちには地雷もあるぞ! 下手に動いたら――」



その瞬間、室内の電灯が"瞬く"。



次の瞬間、リーダーの背後から伸びた影が、その腕をねじり上げた。



悲鳴も出ない。


銃声もない。


ただ、静かに。




"制圧"は完了した。







翌朝のニュース。


「昨夜の立てこもり事件は、警察による迅速な制圧により、人質全員無事に保護されました。なお、事件の詳細や突入の経緯については非公開となっており――」



記者たちは問い続けた。

誰が突入したのか。なぜ人質に一切の傷もなかったのか。


一部では「クロウ」という名前がささやかれていた。


都市の影。


命の境を歩く"設計者"。


生還率1%のミッションを完遂した、誰よりも静かな"亡霊"。


だが、彼の素顔を知る者はいない。


ただ、ひとつ。

真夜中に、その名を耳にした者たちは、こう囁く。



「奴がいるなら、大丈夫だ」







夜風が静かにビルの屋上を撫でていた。


この高さまで登る人間など、まずいない。


警察への報告義務すら果たさず、光也はただそこに立っていた。制圧したばかりの建物の最上階。喧騒が去った後の静寂に包まれ、彼の気配は夜景に溶け込んでいた。


黒いジャンパーの裾が風に揺れ、背負った木刀がかすかに軋んだ。


腰には数本のナイフ。どれも、研ぎ澄まされた"人間の意志"でしか扱えない武器だった。



イヤホンからは英語のニュースが淡々と流れる。国際情勢、武装蜂起、紛争地の緊張、破綻国家のレポート。


彼にとっては、眠る前の読み聞かせのようなものだった。




「お前なら、どんな仕事でも成功する」




過去の声が耳の奥で蘇る。



それは"祝福"ではなかった。ただの烙印だ。



武術の師たちは、彼を弟子とは呼ばなかった。「兵器」として育てた。


拳も刃も、人の命を奪うために研ぎ澄まされた。


その期待に応える毎に、彼は"人"を失っていった。


感情も、優しさも、未来も。



けれど、ある日ふと気づいたのだ。



これは、本当に"過去を取り戻すための力"だったのかと。



「俺は、誰かの未来を守るために戦う」



そう決めた。


そうして今、"クロウ"は存在する。


警察のデータベースには痕跡すら残らない。


情報は暗号でやりとりされ、作戦は極秘裏に遂行される。


任務が終われば、彼の存在も消える――まるで最初から存在しなかったかのように。


今夜もまた、生還率1%のミッションを完遂して帰還した。



多くの者が倒れ、すべてが壊れた後に。



生き残ったのは、"クロウ"ただ一人だった。



耳に馴染んだニュース音声が、突如として歪む。




「……breaking news…国連からの声明によれば……バイオ――」


「――анализ завершен――」


「――無限循環ノ臨界、観測範囲ヲ超過――」




異なる言語。意味不明の文節。


ノイズと共に混線した音声が流れ込み、空気が静かに"異質"さを帯びていった。




次の瞬間、世界が揺れた。


空が――揺れている。



夜空に浮かぶ月のそばで、淡い青白い"円"がゆらめき始めた。


まるで、ガラスの水面に石を投げ込んだように、空が脈打つ。




光也はイヤホンを外し、静かに目を細めた。


無表情の奥で、何かが動いた。



「……世界が歪んでいく」



重力が、微かに乱れているのを感じ取る。



直感が警鐘を鳴らす――これは単なる異常気象ではない。



空間そのものが、境界線を崩し始めていた。




風が吹き抜けた。




街のネオンがかすかに揺らめき、時間が"遅れる"感覚に包まれる。


「俺はもう、守れなかった日々に戻るつもりはない。必要なら、どんな世界でも――俺は、"クロウ"であり続ける」



何を守るべきか――彼はそれを深く理解していた。



だからこそ、いかなる場所に立とうとも、ただ静かに刀を握り直すのみ。



上空の断層が、ゆっくりと回転を始める。


夜空に開かれる"扉"――それは音もなく現れた。



世界が変わろうとしている。


光也は、一切の迷いなく屋上の縁へと歩み寄り、静かに息を吐いた。


その佇まいは、凍てつくように冷たく、限りなく静謐だった。


まるで、この瞬間を待ち望んでいたかのように。




「理屈も理由もいらない。ただ、必要とされるなら――行くだけだ。」




その呟きを最後に、光也の姿が夜風と共に掻き消えた。


屋上には深い静寂だけが残された。


そして、再び世界は動き出す。


―To be continued in Another World.

『12話まで読んでいただき、本当にありがとうございます。』


光也という男は、決して強がっているわけではありません。ただ「クロウ」として在るしかなかったのです。


無表情で、冷徹に見える彼の奥には、確かに“人間の温度”があります。そう感じていただけたなら嬉しいです。


ここから、物語はいよいよ異世界へと突入します。


魔法、スキル、別の価値観――クロウにとっては「また別の戦場」に過ぎないのかもしれません。



どうかこれからも、静かに見守っていただけたら嬉しいです。


また次のページでお会いしましょう。


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