第118話 ミロシュの怒り
松明の火がはぜる音だけが響く。
兵士たちは主の様子をうかがいながら一歩も動かず、野営地全体が異様な静けさに包まれていた。
ミロシュは胸の奥で渦巻く疑問を抑えることなく、静かに口を開いた。
「……ひとつ、聞かせてもらおう。議会の任務――お前たちの使命とは、何だ」
ヴェスタンは重々しい沈黙の後、淡々とした口調で応じる。
「理から外れた人間を排除する。それだけだ。我らは混沌を断ち、秩序を護る」
その言葉は冷たく、まるで自分自身を説明するのではなく、既に刻み込まれた規則を口にしているだけのようだった。
ミロシュの目が鋭さを増す。
「それが……例え仲間であってもか?」
問いかけは刃のように鋭く、ヴェスタンの胸元に突きつけられた。
ヴェスタンの眼光が一瞬、鋭く細められた。
「……何が言いたい?」
その声は重く、冷たい警戒心がにじみ出ていた。
ミロシュは拳を強く握り、真っ直ぐに相手を見据えたまま言葉を投げかける。
「私はかつて、友を失った。セファという名を……知っているか?」
その名が夜気に響いた瞬間、ティセルの肩がかすかに震えた。
だがヴェスタンは、長い沈黙の後、低く鼻で笑った。
「……あぁ、いたな。昔そのような名の部下が。なるほど――友達だったか。それは残念なことだ」
その淡々とした響きには、哀惜のかけらもなかった。
むしろ言葉の端々には冷ややかな嘲りが滲んでいる。
「危険な思想を持つ友を抱え込んでしまったのだな。己の選びが己を滅ぼす。理から外れた者は、いずれ淘汰される」
ミロシュの胸に激しい怒りが走った。
だがヴェスタンはその感情すら愉しむように、皮肉を込めて口角を吊り上げる。
「……貴様も少々、危険なにおいがするな」
松明の炎がゆらめき、二人の影を鋭く切り裂いた。
張り詰めた沈黙の中で、ミロシュの鼓動だけが確かな抵抗のように響いていた。
ミロシュの拳が震えた。
長い間抑え込んでいた感情が、ついに堰を切った。
「……そうやって! 自分たちに都合の悪い人間を粛清するのはやめろ!」
その怒号は夜を切り裂き、野営地中に響き渡った。
兵たちの視線が一斉に集まり、松明の火が不穏にゆらめく。
ティセルも一瞬だけ表情を崩したが、すぐに硬い面持ちに戻った。
ヴェスタンは眉一つ動かさず、まるで突風が吹き抜けただけのような冷静さで応じる。
「……声を荒げるな」
低く、しかし絶対的な威厳を帯びた響き。
「我々もかつてのやり方は反省した。今は粛清などしていない」
その冷淡な口調に、ミロシュの胸の内の怒りはさらに燃え上がった。
「……どうだか」
吐き捨てるような声。
理を盾にした正当化こそが、彼の怒りを最も煽り立てていた。
ヴェスタンは微動だにせず、飄々とした声音で言葉を紡いだ。
「本当だよ。なぜそんな"もったいないこと"をしていたのか、不思議に思うくらいだ」
その口元には、笑みとも冷笑ともつかぬ影が浮かんでいる。
「我々の下に集うのは、元々優秀な人間ばかりだ。不具合が発生した場合は——」
彼はわざと間を置き、ミロシュを真っ直ぐに見据えた。
「きちんと修理して、再利用しているさ」
その言葉が耳に落ちた瞬間、ミロシュの血が凍りついた。
「……なに?」
胸の奥で燻っていた怒りが一気に爆ぜる。
「どういう意味だ、それは!」
声は激情に震え、松明の炎さえも煽るように空気を震わせた。
ヴェスタンは一切表情を変えず、ただ冷ややかにミロシュを見据えていた。
怒気を剥き出しにする男を前にしても、その瞳には微塵の揺らぎもない。
「……なるほど」
淡々とした声が、焚き火の爆ぜる音に重なる。
「やはり危険なにおいがするな」
次の瞬間、彼はわずかに顎を傾け、背後に立つ影へと言葉を投げた。
「……ティセル。彼を拘束しろ」
「——はっ」
即座に返答したティセルの声は、冷えた刃のように澄み切っていた。
その目は迷いなくヴェスタンに従い、命じられた通りの行動へと移る。
黒衣の裾が揺れ、足音ひとつ立てぬまま距離を詰めてくる。
闇の中で、ミロシュの全身に緊張が走った。
ティセルの双眸には、かつての温もりは微塵も残っていなかった。
ただ主の命令を果たすために動く、冷酷な執行者のそれ——。
空気が張り詰め、場は一瞬にして緊張の頂点へと押し上げられた。