第115話 揺らぐ面影、揺るがぬ決意
拠点の一室。
厚い石壁に囲まれた静かな空間で、二つのパーティが対面していた。
光也、ミロシュ、イレーネ、エルナ――そこへ合流したのは、女性だけの冒険者集団だった。
冷静に場を仕切るリーダーのマリス、壁際で腕を組む剛腕戦士グレンナ、そして緊張した面持ちで一行を見つめるエルメラ。
ティナが一歩前に進み、息を整えて口を開いた。
「……確認できた。敵の指揮官は"ヴェスタン"。目標は三つ。第一が光也、第二がディアル領域結界の核、そして副次目標として"魂柱"の回収」
言葉が落ちると、部屋の空気が一気に重くなった。
光也は静かに息を呑み、他の面々も無言で耳を傾けている。
ティナは続ける。
「その横にいた女――ティセルと呼ばれていた。彼女はヴェスタンの言葉を補うように、兵たちの配置や退路、想定される抵抗まで一つ残らず指摘していた。まるでどんな犠牲が出ても構わないかのように、冷徹に作戦を組み立てていたの」
ティナの声には、わずかな震えが混じっていた。
「……兵士が怯んだ瞬間、彼女は容赦なく叱責した。『理の前に命の価値はない』と。あの場にいた誰も、彼女に逆らうことができなかった」
――その名が告げられた瞬間。
ミロシュの表情が険しく揺らぎ、唇から言葉が零れた。
「……ティセル?」
普段は揺るぎない彼の声に、明らかな動揺が滲んでいる。
続いて、エルナが悲しげに瞳を伏せた。
「ティセルさん……」
その呼びかけは幼い記憶の底から掬い上げたように柔らかく、切なかった。
かつて彼女を助けてくれた、あの一瞬の温もりを今も覚えているのだ。
沈黙が降りる。
ルミナリスの四人は思わず顔を見合わせた。
言葉を交わさずとも互いに理解できた――この"ティセル"という人物は、ただの敵ではない。
彼らの過去に深く関わる存在なのだ。
重苦しい沈黙を破ったのは、イレーネだった。
彼女はまっすぐにティナを見据え、静かに口を開いた。
「……ティセルは、かつて私に告白したのだ。封律議会のやり方には疑問がある、と。そして、叡智の環に加わりたいとも」
語りながら、イレーネの声には微かな寂しさが滲んでいた。
「だが彼女は言葉を続けた――『まだ議会の内部でやるべきことがある』と。だから私は彼女の意思を尊重した。内部にいる者だからこそ可能なこともあるだろうと」
イレーネは言葉を区切り、小さく首を振った。
「……しかし、今の話を聞く限り、彼女は議会の思想に忠実に従っているとしか思えない」
部屋の空気が一瞬で冷え込む。
ミロシュの拳が膝の上で強く握りしめられた。
違和感――それは鋭い棘のように胸に突き刺さり、彼の呼吸を乱した。
(ティセル……お前が、そんなはずはない……)
彼の脳裏に浮かぶのは、共に過ごした日々の記憶、そして信じて疑わなかった仲間の姿。
今伝えられるティセルの像と、記憶の中の彼女は、あまりにもかけ離れていた。
重苦しい沈黙が部屋を満たしていた。
ミロシュは腕を組み、深く視線を落としたまま動かない。
思考の深淵に沈んだその姿に、誰も声をかける勇気を持てなかった。
やがて彼はゆっくりと顔を上げた。
「……確かめる必要がある」
低く、しかし確固とした声が部屋に響く。
「本当にあのティセルが議会に従っているのかどうかを」
イレーネが眉をひそめ、一歩踏み出した。
「無謀だぞ。ヴェスタンと行動を共にしている彼女に近づくなど、命を賭けることになる」
だがミロシュは首を横に振った。
「それでも見過ごせない。俺の知っているティセルは……そんな人間ではない」
その決意に満ちた眼差しに、イレーネは言葉を失った。
マリスが静かに口を開く。
「気持ちは理解できる。だが、今は無謀な行動を取るべきではない」
淡々とした口調ながら、その言葉には重みがあった。
「確かにティセルの動向は見過ごせない。だからこそ、冷静に対処すべきだ」
しばらくの沈黙ののち、全員の視線が自然と一点に集まった。
最終的に、マリスの提案を中心に意見は収束していった。
「……情報収集を優先し、機会を見て接触を試みる」
その決断が交わされると、部屋の空気が緊張で張り詰めた。
彼らの胸には、避けられない対決の予感が静かに刻まれていた。