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第111話 探していた者


靴音がゆっくりと響いてきた。


その歩みには奇妙な規律があり、場の空気を揺るがすような威圧感さえ伴っていた。



やがて、薄明かりの中から一人の女性が姿を現す。


長い外套に身を包み、知性を宿した双眸が光也を射抜く。


静かに張り詰める気配は、刃を抜かずとも戦場の緊張を呼び起こすようだった。



彼女はためらうことなく一歩進み出て、澄んだ声を放つ。


「——私は見てきた。千の召喚者を。だが……魂の硬度だけで世界を拒絶した者は、一人もいない」


その言葉は宣告というよりも観測の記録だった。


冷徹に聞こえるが、同時にどこか哀しみを孕んでいる。



光也は思わず背筋を伸ばした。


初めて見る人物。その気迫に、心臓が一つ強く跳ねる。


警戒心を隠せないまま、光也は口を開いた。


「……あなたは?」



女性が答える前に、傍らのミロシュが安堵の息を漏らした。


険しかった表情が、ふっと和らいでいる。


「イレーネ……来てくれたのか」



その呼びかけに、光也は即座に理解した。


目の前の女性がミロシュと同じ《叡智の環》の一員であることを。


イレーネと呼ばれた女性は、光也に視線を戻す。


その瞳には、見透かすような静謐さと、試すような強さが共存していた。


光也は無意識に息を呑んだ。


まるで自分の存在そのものが、魂の奥底まで測られているような感覚に襲われる。



——ここから何を問われるのか。


——自分はどう答えるべきなのか。


緊張が一瞬で広がり、空気が凍りついた。


沈黙の只中で、光也はほんの僅かに唇を引き締めた。



イレーネは光也をまっすぐ見つめた。


澄んだ瞳なのに、底知れぬ深さを湛えている。


光也はその視線から逃れられなかった。


「我々、叡智の環は……君のような存在をずっと探していた」


言葉は淡々としていた。


しかし、その重みは圧し掛かるようだった。


「どれほど研究を重ねても築き上げられなかった構造。それを、君は生まれながらに備えている」



光也の心臓が跳ねた。


自分には何の取り柄もないと思い込んでいた。


ここに立っているのも、ただ勇気を振り絞った一時の感情の高ぶりにすぎないと考えていた。


しかし今、目の前の女性は断言したのだ——「自然に備えている」と。



横でミロシュが静かに頷いた。


「もし君が力を貸してくれるなら、世界中で理不尽に命を奪われる人々を救えるだろう」


その声には期待と、わずかな懇願が混じっていた。



光也は言葉を失った。


自分の小さな行動が、世界の命運に繋がるというのか。



イレーネがさらに一歩、光也へ近づく。


足音が石畳に硬く響き、言葉に重みを添えた。


「だが誤解しないでほしい」


張り詰めた声は、冷たさと温かさを同時に宿していた。


「私たちは君を利用するつもりはない。協力するかどうかは、君自身が決めることだ。無理強いはしない」



その言葉は、光也の胸の奥に真っ直ぐ突き刺さった。


選択を委ねられている。


断れば、きっとこの人たちはそれを尊重するだろう。


だが——。



光也は拳を握り、視線を落とした。


脳裏に浮かんだのは、これまで出会った人々の姿。


助けを求める声。


無力さを痛感した夜。


呼吸が浅くなる。だが、心の奥底で何かが確かに答えを示していた。



光也は握りしめた拳をゆっくりと緩めた。


胸の内で答えが芽生えている。


しかし、すぐには言葉にできない。


目の前の二人が語る未来はあまりに壮大で、その責任は重すぎた。


「……待ってください」


絞り出すように声を発する。


イレーネの瞳がわずかに細められ、ミロシュは静かに耳を傾けた。


「もし、僕が……力を貸すと決めたとして。本当に救えるんですか? 世界中の人を。理不尽に失われる命を、全部……」


言葉の最後は震えていた。


助けたい気持ちはある。


だが、その重さに押し潰されそうになる。



イレーネはすぐには答えなかった。


彼女の沈黙は否定でも肯定でもない。


ただ、光也の問いを真剣に受け止めている証だった。



やがて、ミロシュが口を開いた。


「……保証はできない。どれだけ力を尽くしても、救えない命はある。だが、君がいれば——救える命の数は確実に増える」



光也は息を詰めた。


彼らは確かな救いを約束するのではなく、不完全な現実をそのまま突きつけてきた。


その誠実さに、逆に胸を打たれる。



イレーネが続けた。


「だからこそ、選ぶのは君だ。無理強いをしないのは、私たちがそれを理解しているからだ。大きな力には、大きな犠牲も伴う……それを担えるかどうかは、君自身の答えでしかない」



石造りの回廊に沈黙が満ちた。


光也は目を伏せ、胸の内で渦巻く不安と願いの狭間でもがいていた。



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