第11話 “言葉”という戦場
言葉とは、ただの音の羅列ではない。
それは思考のかたちであり、戦略の武器であり、ときに真意を隠すための迷彩でもある。
今回の舞台は、言葉が武器として最も鋭く使われる場所――国際模擬交渉。
光也は、話さずに見抜く。
対話の行間に潜む「意図」こそが、彼の追う真実だ。
国際模擬交渉の会場は、白い光に満ちていた。
壁一面がガラス張りで、大学教授、通訳訓練生、軍事シンクタンクの観察官たちが会場を取り囲んでいた。
数カ国の言語が飛び交い、空間全体がノイズに包まれている中
ただ一人、沈黙のままメモを取り続ける青年がいた。
光也――十九歳。
彼は参加者の中で最年少だった。
交渉のシナリオは「仮想国家Aが開発中の防衛技術を巡る多国間協議」。
表向きは建設的な外交交渉だが、水面下では諜報、裏取引、情報戦が繰り広げられていた。
光也は、一言も発せずその場を観察していた。
彼のノートには、言葉ではなく矢印と記号が並んでいた。
それは、発言者の呼吸、目線、発言速度、切り返しの"間"といった、‘‘非言語的情報の地図‘‘だった。
中国代表の発言。
「今回の案件において、我々の開発は防衛用通信の強化を主軸に据えています。降噪算法は……」
その一瞬。
会場にいた何人かの通訳が、翻訳をためらった。
光也の脳内には、音が再生されるように過去の記憶が連なっていく。
降噪算法――通常は「雑音除去アルゴリズム」。しかし、特殊な文脈では"音響暗号化"や"機密通信のパッキング"を指す。
しかもその用語を、会話の流れと無関係に唐突に挿入した。
意図的に"誰か"へシグナルを送っているのかもしれない。
光也は、ゆっくりと顔を上げ、静かに尋ねた。
「確認させていただきたいのですが、降噪算法という言葉の選択には、どのような意図があったのでしょうか」
一瞬、中国代表の目に微かな緊張が走る。
だが、彼は即座に笑みを浮かべて返した。
「ああ、技術的には必要な表現でした。些細な専門用語です。あまり気にされないで」
その返答に、場は流れかけた――が。
光也は静かに返す。
「確かに、些細な専門用語……ですね。ただ、それをこの文脈で使うのは、少しだけ"情報量が多すぎる"気がします。技術仕様が不明なまま"アルゴリズム名"だけを提示するのは、"何かを隠す時"によく見られる構造です」
ザワリと空気が凍りついた。
質問の形式は"丁寧な問い"のまま。
しかし、その言葉には刀のような正確さがあった。
「もし誤解でしたら謝ります。ただ、誤解を招きやすい用語を意図的に選ばれたのであれば、それも戦略の一環……ということでしょうか?」
敵対的ではない。
だが黙って見過ごすことも許さない、静かな問いかけの刃。
中国代表は微笑を保ったまま、
「ご指摘ありがとうございます」と簡潔に応じた。
会議は途切れることなく続いた。
声を荒らげる者もなく、非を認める者もいない。
しかし、その後の議論で中国側は、技術の詳細への言及を避けるようになった。
他国の代表たちも慎重に言葉を選び始めた。
"降噪算法"のような専門用語は姿を消し、
代わりにより明確な表現が使われるようになった。
議論の速度は緩やかになったものの、
交渉の主導権は、密やかに光也の手に移っていた。
*
会議後、同席していたフランスの代表が光也に近づいた。
「あなた……中国語がわかるのですか?」
光也は、かすかに微笑んだ。
「多少は。ですが、あの場面では翻訳の必要すらありませんでした。どの言語でも、"不自然な単語"は浮き上がって見えるものです」
フランス代表は肩をすくめて立ち去った。
背後から、小さな囁きが聞こえた。
「まるで尋問官だ」
光也は、静かにノートを閉じた。
その中には、一言の会話も書き留められていなかった。
代わりに、こう記されていた。
『言語とは、文化という装いを纏った武器である』
言語が交わされた数だけ、真実が覆い隠される。
発言の裏にある「呼吸」や「間」が意味を持ち、
沈黙こそが最大の攻撃となることがある。
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