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第105話 森を駆け抜ける影


ティナは全力で跳躍し、森の闇に紛れて後退を試みた。


枝葉を裂く風の音、心臓の鼓動が異様に大きく響く。


(急げ……! このまま抜ければ……!)



その刹那、森全体が低く唸った。


足下から不気味な光が走り、無数の紋が大地に浮かび上がる。



「──捕縛結界、発動!」


兵の声と同時に、四方から光の鎖が迸った。


それは生き物のようにうねりながら、逃げるティナの四肢に絡みついた。



「っ……!?」


(しまっ──!)


鎖は一瞬で締め上げ、彼女の身体を宙に固定した。


背中に食い込む圧力。


肺が押しつぶされるよう、息が喉に詰まる。


その力はまるで鉄の塊に全身を圧迫されるかのように、一切の動きを許さなかった。



喉から洩れるのは、声とも悲鳴ともつかない掠れた音。


「……く、ぅ……っ……!」



鎖は冷たい光を放ちながら、彼女の魔力までも吸い取ろうと脈動していた。


まるで生きた呪縛に取り憑かれたかのように。



胸の奥で息が詰まり、肺が焼けるように痛む。


(……このままじゃ……捕まる!)



一瞬の焦りの中で、彼女の視線が鎖の根源へと走る。


大地に刻まれた捕縛紋のうち、一か所だけ、樹の根に遮られて線がかすれている。


(あそこだ……! "完璧じゃない"!)



残る力を振り絞り、指先だけをわずかに動かす。


小さく呟いた詠唱は、かろうじて漏れる気息。


「……影縫、断ち……!」



地面に落ちる自分の影を刃に変え、鎖に突き立てる。


カン、と乾いた音と共に、光の束が一瞬だけ弛緩した。



「──ッ!!」


その隙を逃さず、ティナは全身を捻り、裂け目へ身を滑り込ませる。


鎖が裂ける。圧迫が解け、呼吸が戻る。


肺に冷たい夜気が流れ込み、痛みと同時に生の実感が胸を満たした。


背後からは封律兵たちの怒号。


「逃がすな! 結界を張り直せ!」



だがティナは振り返らない。


枝を踏み砕き、闇を駆ける。


(危なかった……! あと一瞬遅ければ……!)



それでも口元にはかすかな笑み。


心臓は激しく脈打ち、全身を駆け抜ける緊張が彼女を奮い立たせる。


(──必ず仲間に伝える。光也を狙っていることも……魂柱を奪うつもりだということも!)


森の奥へ消えるティナの背に、なお追手の気配は迫る。



ティナの靴裏が湿った土を蹴り、夜の森に小さな破裂音のような足音を刻んだ。


背後では封律兵たちの詠唱が次々と重なり、木々の間を光弾が雨のように飛ぶ。



「くっ……!」


ひとつが頬をかすめ、熱と痛みが走る。


だが立ち止まる暇はない。


ティナは枝を蹴って宙に舞い上がり、身体をひねって葉の影に紛れて着地した。



その直後、先ほどまで走っていた場所に雷撃が落ち、土が炸裂する。


(やはり……幹部級の術者が紛れている! 追撃が速すぎる……!)



息が詰まるほどの恐怖と緊張が背筋を焼いた。


だがティナの唇は、わずかに吊り上がっている。


(いいじゃない……生き残れば、全部"戦果"になる!)



木々の間を縫い、崖下に差しかかる。


ここで選択を誤れば捕まるのは必至だ。


ティナは短く印を切った。


「幻歩──!」



足元で影が二つに裂け、片方が彼女の分身となって崖を飛び降りた。


直後、追手の魔弾が分身を撃ち抜き、霧のように消え去る。



「──っ、どこだ!?」


「逃げた!?」


兵たちが混乱する隙に、ティナは逆方向へ疾走した。



胸の鼓動は爆音のよう。


喉は焼け、肺は悲鳴を上げる。


それでも足を止めず、やがて遠ざかる追跡の気配を感じ取ると、ようやく一本の大樹の影に身を隠した。


「……はぁ、はぁ……っ……危なかった……」



心臓はまだ破裂しそうに鳴り響いている。


しかし、瞳の鋭い輝きは失われていなかった。


(光也を狙っている……。魂柱を奪う計画……。そして、ティセルとヴェスタン。)



森の冷たい風が頬を撫でる。


ティナは小さく拳を握り、震える指先を押さえ込んだ。


「……絶対に、仲間に伝える」


彼女は再び、夜の森の奥へと駆け出した。



背後に迫る気配はもうない。


だが緊張とスリルの余韻は、なお胸を焼き続けていた。



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