第103話 エルメラの逆鱗
森の奥へと急いでいたマリスたち迎撃組は、戦いの波動が突然途絶えるのを感じた。
代わりに――混乱した足音と折れる枝の音が次々と近づいてきた。
「……来るぞ」
グレンナが盾を構えた瞬間、茂みを突き破って数人の封律兵が飛び出してきた。
彼らの鎧は裂け、顔には恐怖の色が濃い。完全な敗走の体だった。
兵たちはマリスたちに気づくと、怯えながら剣を下げた。
「ま、待て! 我らは戦う意思はない!」
マリスが鋭く問い詰める。
「お前たち、何者と戦っていた?」
兵の一人が肩で息をしながら答えた。
「……信じられん。あの村には、あそこまでの実力者が潜んでいたとは……」
エルメラはすぐに駆け寄り、手をかざした。
淡い光が彼女の指先から広がり、地面に緻密な回復陣を描き出す。
「今は説明よりも手当てが先です。これ以上の出血は危険です」
癒しの光が兵の裂傷を閉じていく中、別の兵が思わず口を滑らせた。
「……まさかあんな実力者がいるとはな……スキルを持たぬただの人間を一人捕らえるだけの、簡単な任務のはずだったのに……」
その言葉を聞いた瞬間、エルメラの表情が凍りついた。
彼女の瞳に鋭い光が宿り、怒りの炎が灯った。
「……スキルを持たぬ……人間……?」
その声は低く、震えていた。
彼女は展開していた回復陣に指先でほんの一筆——わずかに符を加えた。
すると癒しの光が一瞬にして変質し、白銀の閃光が走る。
治癒の陣は崩れることなく、ただ形を変えて聖なる攻撃へと姿を変えたのだ。
「……光也くんを狙っていたのは、お前たちか」
声はもはや怒りというよりも、冷たい確信だった。
マリスが気づき、低く叫ぶ。
「エルメラ、待て——」
だが遅かった。
次の瞬間、陣から放たれた聖光が封律兵たちを包み込んだ。
激しい閃光に飲まれた兵たちは、苦痛の叫びを上げることなく、強烈な快感に全身を打ち抜かれ、白目を剥いて次々に気絶していった。
その姿はまるで、救済にも似た光に呑まれて堕ちていくようだった。
沈黙が訪れた森に、白く燐光を残した回復陣だけが淡く輝き続ける。
マリスが険しい顔で吐き捨てた。
「……エルメラ。怒りで力を乱すなといつも言ってきただろう」
グレンナが低く呟く。
「……敵に慈悲をかけようとしたあんたが、一番怒ってるとはな」
しかし彼女は小さく首を振り、唇を噛んだ。
「光也くんを"ただの人間"と呼び、捕らえようとする者に……癒しを与えるわけにはいきません」
彼女のその言葉に、グレンナもティナも黙り込むしかなかった。
燃えるような誓いをその目に宿したエルメラの姿は、癒し手というより——光也を守るための聖なる刃そのものだった。