みんなの質問コーナー
(星々の輝きが残るサロンから、再びスタジオへと戻ってきた四人の物理学者とあすか。スタジオの雰囲気は、休憩前とは少し変わり、落ち着きと同時に、視聴者との繋がりを意識したような空気が流れている。一同は再びコの字型のテーブルに着席する。)
あすか:「皆様、おかえりなさいませ。短い時間ではありましたが、少しはリフレッシュできたでしょうか?」(にこやかに)「さて、皆様の白熱した議論は、ネットの向こうでご覧になっている方々にも大変な興奮を巻き起こしたようです!私のこのクロノスにも、皆様への質問が…まあ、すごい数、届いております!」(クロノスを操作すると、空中に質問のテキストがいくつも浮かび上がるようなエフェクトが表示される)「時間の許す限り、いくつかピックアップしてお答えいただきたいと思います。よろしいでしょうか?」
(四人は頷き、視聴者からの問いに答える準備をする。)
あすか:「では、最初の質問です。これはやはり、来ましたね…ペンネーム『迷える子猫』さんからです。『結局、シュレーディンガーの猫は生きているんですか?死んでいるんですか?あの後どうなったのか、現代科学ではどう考えられているのか、先生方に分かりやすく教えてほしいです!』…とのことです。シュレーディンガー博士、いかがでしょう?」
シュレーディンガー:(やれやれ、という顔をしつつも、少し丁寧に)「うむ…まずご理解いただきたいのは、あの思考実験は、猫が実際にどうなるか、というよりも、当時の量子力学の解釈がもたらす『パラドックス』を示すためのものだったということだ。生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせなどというグロテスクな状況を、本当に受け入れられるのか?と問いかけたかったのだよ。」(ため息)「私自身は、もちろん、猫は観測前から生きているか死んでいるか、どちらかだと信じたいがね。」
ボーア:「コペンハーゲン解釈の立場から言えば、繰り返しになるが、箱を開けて『観測』する、つまり猫の状態を知るための相互作用が行われるまでは、猫の生死は確定していない、と考える。観測によって初めて、波動関数は収縮し、どちらか一方の状態が現実のものとなるのだ。」
ハイゼンベルク:「数学的には、猫を含む系全体の波動関数を考えれば、重ね合わせ状態として記述されます。観測というプロセスが、その重ね合わせをどう解消するのか、という点がまさに長年の議論の的となってきたわけです。」
あすか:(クロノスを確認しながら)「クロノスによれば、現代ではこの問題に対して、さらに様々な解釈が提案されているようですね。『多世界解釈』といって、観測によって世界が分岐し、生きている猫のいる世界と死んでいる猫のいる世界が両方存在すると考える説や、『デコヒーレンス理論』といって、猫のようなマクロな系は、周囲の環境との無数の相互作用によって、ごく短時間で実質的に重ね合わせ状態が壊れてしまう、と考える説などもあるようです。」
シュレーディンガー:「世界が分岐するだと?ますます奇妙な話になってきたな…。」
アインシュタイン:「ふん、デコヒーレンスとやらも、結局は根本的な確率性の問題を解決しているわけではあるまい。」
あすか:「ありがとうございます。猫の問題一つとっても、これだけ議論が広がるのですね。では、次の質問へ参りましょう。ペンネーム『ミクロの住人』さんから。『ハイゼンベルク先生の不確定性原理は、とても興味深いですが、私たちの日常生活にはあまり関係ないように感じます。実際のところ、どうなのでしょうか?』」
ハイゼンベルク:「良い質問ですね。確かに、ボールを投げたり、車を運転したりといった、我々が日常で体験するマクロなスケールでは、プランク定数ℏが非常に小さいため、不確定性の効果は完全に無視できます。位置も速度も、好きなだけ正確に同時に知ることができると考えて差し支えありません。」(少し間を置いて)「しかし、です。現代の科学技術、例えば、コンピューターチップの中のトランジスタや、レーザー光線、あるいは電子顕微鏡といったものは、すべて量子の効果、不確定性原理を含む量子力学の法則を応用して作られています。ですから、皆さんが直接意識することはないかもしれませんが、現代文明の基盤は、量子の世界の法則によって支えられている、と言えるでしょう。」
ボーア:「そうだね。ミクロの世界の法則が、我々のマクロな世界のあり方を、見えないところで規定している。それは、大変興味深いことだと思うよ。」
あすか:「なるほど…間接的に、私たちの生活は量子の世界と深く繋がっているのですね。…さて、次は少し踏み込んだ質問かもしれません。ペンネーム『時を超える旅人』さんからです。『アインシュタイン博士にお伺いします。もし博士が、現代で行われた「ベルの不等式」の検証実験の結果、つまり、博士の信じた「局所実在論」が破れていることを示す多くの実験結果をご存知になったとしたら…それでも「神はサイコロを振らない」とお考えになりますか?』」
(スタジオが一瞬、静まり返る。アインシュタインは目を伏せ、深く考え込むような仕草を見せる。)
アインシュタイン:(ゆっくりと顔を上げ、真摯な表情で)「…ふむ。それは…非常に難しい問いだね。」
(しばし沈黙)
アインシュタイン:「その『ベルの不等式』とやらが、私の考えの核心部分を実験的に検証できるものであり、そして、その不等式が破れているという実験結果が、もし本当に、繰り返し疑いようのない形で示されているのならば…それは…私の信じてきた『局所実在論』という世界の描像が、少なくとも単純な形では、自然を記述するには不十分であったという可能性を…認めざるを得ないのかもしれない。それは、私にとっては、大変受け入れがたい結論ではあるが…。」(しかし、すぐに顔を上げ、力強く)「だが、そうだとしてもだ!それが直ちに、量子力学の確率的な解釈が最終的な答えである、ということにはならないはずだ!自然の法則の根底には、我々がまだ理解できていない、より深く、決定論的な秩序が隠されているはずだと、私はやはり信じたい。その探求を諦めるべきではない、とね。」
ボーア:(アインシュタインの言葉を静かに聞き、深く頷く)「…君らしい答えだ、アインシュタイン君。」
あすか:「アインシュタイン博士、正直なお気持ち、ありがとうございます。大変、重みのあるお言葉でした。…では、時間の都合上、これが最後の質問となります。ペンネーム『哲学する者』さんから、ボーア博士へ。『ボーア先生の「相補性」の考え方は、物理学の世界だけでなく、もっと広く、例えば人間の心や社会といったものにも応用できる考え方なのでしょうか?』」
ボーア:「それは、私が晩年、特に関心を寄せていたテーマでもあるよ。」(穏やかな表情で)「量子の世界で発見された相補性、つまり、波動性と粒子性のように、互いに矛盾するように見えながら、対象を完全に理解するためには両方が必要であるという考え方は、私は、物理学の領域を超えた、もっと普遍的な原理ではないかと考えているのだ。」(少し遠くを見るように)「例えば、人間の心における、理性と感情、あるいは意識と無意識。社会における、自由と平等、あるいは個人と集団。これらもまた、どちらか一方だけでは全体を捉えきれず、互いに対立しつつも補い合って初めて、複雑な全体像が見えてくるのではないだろうか。相補性の視点は、異なる立場や価値観が共存する世界を理解するための、一つの鍵を与えてくれるかもしれないと、私は思っているのだよ。」
シュレーディンガー:「ふむ、それは面白い視点だ。世界の複雑さを捉えるための一つの『型』というわけか。」
ハイゼンベルク:「確かに、対立する概念の弁証法的な統一、とでも言えるかもしれませんね。」
アインシュタイン:「…まあ、物理学の原理を安易に他に適用することには慎重であるべきだが、考え方としては興味深い。」
あすか:「ボーア博士、ありがとうございました。物理学の原理が、私たちの生き方や社会の見方にも繋がるかもしれない…壮大な視点ですね。さて、尽きない議論はここまでとさせていただきます。皆様、視聴者からの真摯な問いに、真摯にお答えいただき、本当にありがとうございました!」
(あすかは深く一礼し、質問コーナーの終了を告げる。対談者たちも、視聴者との知的な交流に満足したような表情を見せている。)