わらしべリリエット
リリエットは男爵家の一人娘であった。
いずれは婚約者である幼馴染みと結婚して男爵家を継承する予定であったが、リリエットが15歳の時に両親が馬車の事故で亡くなり運命が変わってしまった。
寄親の伯爵家を味方につけて王宮の役所にも根回しをした叔父が、正当な後継者のリリエットではなく男爵の新しい当主となったのである。
「おまえには男爵位はまだ早い」
と言って。
リリエットは抗議したがすでに遅かった。
全ての手続きは正式に完了してしまっていたのである。覆すには莫大な費用のかかる貴族裁判しかない。それに王国では基本的に男性が当主になる暗黙のルールがあった。女性当主は法的には許されているが極々少ない特例なのである。それ故にリリエットは男爵位を諦めて、叔父の勧めで王宮へと働きに出ることにしたのだった。
それにずっと優しかった叔父なのだ。
温和な性格のリリエットには憎むことができなかった。
叔父は合法的にリリエットを男爵家から追い出せる方法として王宮務めの後押しを全力でしたので、リリエットは王宮の下級侍女ではなく上級侍女にとなることができた。叔父は強欲ではあるが非情ではなかった。
「上級侍女として王宮に勤めることができるなんて嬉しい。叔父様が大金をばら撒いてくれたおかげだわ。それに後ろ盾もないままの私が当主にならなかった方が領民のためには良かったかも、と思っているの。後継者としての勉強もそれほど進んでいなかったし……。商人の叔父様は男爵位を利用して商業網を拡大する計画を立てているらしいけど」
リリエットも幼馴染みも15歳と若い。幼馴染みの家は下級貴族、後ろ盾にはならない。もし結婚して男爵家を継いだとしても社交界で侮られることは明白であった。
それに、すでに婚約は破棄となっていた。
リリエットが男爵家の後継者であるという条件で成立していた婚約なのだ。契約条件を満たしていないと判断した幼馴染みの家は即座にリリエットを切り捨てていた。契約で始まり、契約で終わった婚約であった。
「爵位は残念だったね。でも安心した。リリエットが上級侍女になれて。これで俺も後顧の憂いなく結婚ができるよ」
「……え? 結婚?」
一瞬、呼吸が止まった。時間も止まる。一瞬が永遠のようにリリエットは感じた。
「うん。リリエットとの婚約が破棄になったから両親が新しい結婚相手を探してくれたんだ。美人なんだよ」
風よりも軽く紡がれた幼馴染みの言葉に、リリエットは縋りつくこともできなかった。
リリエットが声を絞り出す。
「……おめでとう、幸せになってね」
「ありがとう。ごめんね、リリエット。リリエットとのことは残念だけど……、両親も反対しているし……」
もはや二人の間には境界線がくっきりと引かれていた。
幼馴染みとは相愛の関係とリリエットは思っていた。婚約は破棄になってしまったがそれでも想いあっていれば。今は不可能でもお互いに自立して家からの干渉がなくなれば将来的にはと夢みていたのだ。未来を信じていたのである。
しかしリリエットには爵位もなければ両親もいない。リリエットには旨味がなくなってしまったのだ。父親の死によってリリエットの穏やかな世界は表情を変えてしまっていたのである。下級とはいえ幼馴染みも貴族だった。幼馴染みの選択は貴族として当然だと無理矢理にでも納得するしかしなかったのであった。
そうして王宮では、リリエットは幼馴染みとの思い出を振り切るように懸命に働いた。
蕾のまま、花開くことなく終わった恋心を枯らすために。叶わなかったからと好きという気持ちがすぐに消えることはない。それでも、水を与えず光から遠ざければゆっくりと萎み枯死するだろう。
どんな花もいずれ枯れる。萎れる。花弁が散り舞い、落ちる葉があり、木守のごとく残る葉もある。
そして、また花は咲く。
リリエットは、負けない強さよりも立ち直る強さがあった。
心を切りかえるために、15歳のリリエットは働くことによって新たに歩み出そうとしたのだ。
真面目なリリエットは労を惜しまず細かいところまで勤勉に働いたので侍女長にも気に入られて、評価も高く信頼も厚かった。
上級侍女は王族に仕えることもある。
それ故に侍女長は、素直でひたむきなリリエットに高度な教育を受ける機会も与えてくれた。侍女長はリリエットを補佐として側に置いて礼儀作法や教養や仕事を徹底的に覚えさせたのだ。たいていの令嬢は侍女長の厳しさに逃げ出すが、リリエットは侍女長の後ろをカルガモの雛のごとく付いて回った。
ミルクティーのような柔らかい色彩の髪をふわふわさせて、侍女長の後ろをトコトコついて歩いて仕事をする小柄なリリエットの姿は一生懸命で可愛い。本物の雛のようにチョコチョコするので密かな癒やしと目で愛でる者も多かった。なので侍女長は【カルガモの母】、リリエットは【カルガモの雛鳥】とファンから呼ばれていたのだった。
それが午前中の仕事で。
午後の仕事は宰相室であった。
宰相室にてお茶係(雑用係)として控えるリリエットの最重要な仕事は、宰相室の生き字引といわれる相談役のカリム老人の通訳だった。
むにゃむにゃぼそぼそと息(言葉)を漏らす老人の言葉を誰も聴き取れないが、リリエットには通訳ができたのである。
「どうしてあの方の言葉が理解できるんだい? わたしたちは筆談がメインだったんだよ」
と尋ねられたリリエットは懐かしげに言った。
「私の亡き曽祖父も口をもにゅもにゅして喋っていたのです。家族はわからないと言っていましたが、私は生まれた時から曽祖父のもにゅもにゅを聞いて育っていたので理解ができたのです」
カリム老人がリリエットを手招きした。
もにょもにょ。
口を動かすカリム老人にリリエットが明るく応える。
「はい、ロビンソン産の渋めの紅茶ですね。ただいまご用意をいたします」
満足げにカリム老人が頷く。
リリエットのお茶は美味しい。芳醇な香り、温度、渋みと甘み、全てが絶品である。病みつきになるほどで、宰相室の面々はマイカップを持参してリリエットのお茶を心から味わっていた。
「リリエット嬢。カリム様に隣国との国境にある川の20年前の権利資料の場所を聞いてくれるかい?」
お茶を運ぶリリエットに声がかかる。ミルクティー色の髪がふわふわと振り返った。仕事の邪魔にならないように三つ編みにしているのだが、頭頂部は綿飴のようにふわふわなのだ。王宮では室内帽があるのは下級侍女で、上級侍女には室内帽はなかった。
「悪いがその交渉時の様子も聞いて欲しいんだけど」
「はい、わかりました」
というわけで宰相室でもリリエットは重宝されて凄く可愛がられているのだった。
カリム老人は侯爵家の血筋である。
そして宰相室は王国頂点の有能な人間揃いで、高位貴族も少なくない。
侍女長に気に入れられて、宰相室で可愛いがられて、そんなリリエットを早計にも手放した幼馴染みの家は後悔先に立たずの臍を噛んでいた。しかもリリエットの叔父は独身であったので、実はリリエットは男爵家の後継者のままであったのだ。きちんと調べもせずに幼馴染みの家は早とちりをしたのだった。
叔父が幼馴染みの家の勘違いを訂正せずに婚約の破棄を受け入れたのは、見限ったからだ。叔父の方が幼馴染みの家を不要としたのである。無から有を生み出す錬金術師のごとく生きた金山との別名のある大金持ちの叔父にとって、縁切りのためならば婚約の破棄料は安いものであった。ある意味、叔父は表面的には優しいがリリエットに寄り添ってもくれない幼馴染みを試したのだった。
痛恨の極みであるが、全て後の祭りである。幼馴染みの家は宝石を石ころとして捨ててしまったのだ。
幼馴染みの家は、侍女長と宰相室の面々に厳重にガードされているリリエットにはもはや近づくこともできない。
そうして王宮で勤務するようになって2年の月日が流れた、ある日のこと。
リリエットは宰相室の黒髪の文官からお菓子を貰った。
「もう仕事は終わりの時間だろう? 人気の店の菓子なんだ、宿舎で食べるといい。いつも頑張っているご褒美だよ」
リリエットよりも5歳ほど年上の文官は、折に触れてお菓子をくれた。この黒髪の文官の他にもリリエットにお菓子や花を頻繁に贈る文官や騎士は複数いた。アクセサリーなどは禁止されている。侍女長と宰相室の重鎮たちの目が光っているからだ。直接なアプローチはできないが機会を狙っては何気なくお菓子や花で自分を売り込んでいるのである。皆、社会的地位もあり野心もある者たちであった。リリエットは人脈という宝の山なのだ。
「ありがとうございます」
リリエット自身はアプローチされているなんて夢にも思っていない。【カルガモの雛鳥】と呼ばれていることを知っていたので、単なる餌付けごっこだと考えていた。
幼馴染みとままごとのような清い関係であったので、今は仕事の方が楽しいリリエットには恋愛の感覚が薄かったのである。
リリエットが庭の片隅を通ってトコトコと宿舎に戻る途中、すれ違った侍女仲間が目ざとくお菓子に視線を向けた。
「それ人気店のお菓子じゃない。いいな、ちょうだいよ」
「あ、はい。宿舎で皆様にもお分けしようと思っていましたので……」
リリエットの言葉に侍女仲間が眉を上げた。
「分ける? わたしはリリエットの先輩よ。箱ごとどうぞと差し出すのが当然でしょう!」
大柄な侍女仲間の攻撃的な勢いに小柄なリリエットは怯んでしまう。蛇にロックオンされたカルガモの雛状態である。
普段からリリエットへの妬みを持っていた侍女仲間にお菓子の箱を取り上げられてしまう。宰相室での仕事は一種のステータスなのだ。リリエットを羨む侍女もおり、この侍女仲間もそんな一人であった。
とはいえ、この侍女は室内帽の下級侍女である。宰相室勤務は雲の上であった。だが侍女仲間は子爵家、リリエットは男爵家、身分の差により強気な姿勢で高飛車なのだ。
「代わりにこれをあげるわ」
ポケットから取り出した干し杏をリリエットの手に置く。そのまま侍女仲間は意気揚々とスカートを翻して足早に行ってしまった。
リリエットが抗議する間もなかった。
「どうしよう、いただいたお菓子が……」
黒髪の文官の顔が頭に浮かぶ。
リリエットは次に会った時にお礼を言うのが常であった。「美味しかったです」という言葉を添えるのだが、食べていなければ嘘になる。
生真面目なリリエットは肩を落とした。
そこへ。
お菓子の箱が干し杏一個に変わってしょんぼりするリリエットに追い打ちをかけるように、突然カラスが舞い降りてきたのだ。
「カァ!」
びっくりして固まるリリエットからカラスが干し杏を奪う。怪盗さながらの鮮やかな腕前である。
呆然とするリリエットの手のひらには指輪が。
どうやらカラスは盗人だったみたいで、どこかから指輪を盗んで巣へ持ち帰ろうとしていたらしい。干し杏を優先して、掴んでいた指輪を離したのだ。
バッサ、バッサとドヤ顔で飛び去るカラス。
そこへ。
「カラスはどこだっ!? 俺の指輪を返せっ!」
と叫びながら走ってくる血眼の騎士が現れた。全力で追いかけてきたのか、息が荒い。
「チキショウ! 一世一代のプロポーズの最中だったんだぞ! 給料を貯めて買ったのに、泥棒め!!」
殺気立ってカラスを探す騎士に、リリエットは勇気を振り絞った。
「あの、あの、騎士様。カラスがこれを。私、泥棒ではないです。カラスが指輪を落して飛んで行ったのです」
「俺の指輪!!」
騎士が駆け寄る。リリエットが指輪を渡すと騎士は涙を流さんばかりに歓喜した。喜色が溢れるのを抑えられない。
「感謝する! 本当にありがとう!!」
ゴソゴソとポケットをあさって、騎士はリリエットの手に小さな小石を置いた。
「礼だ。アンドレス地方に遠征に行った時、川で発見した石なんだ。ほら、金色の細い筋が綺麗だろう。彼女の土産にするつもりだったのにすっかり忘れていたんだよ」
なるほど。てへっと笑う騎士は、カラスに指輪を盗られるくらいの粗忽者のようだ。しかし愛嬌はあるので憎めない。
そうして。
「プロポーズの再挑戦だっ!」
と凱旋する将軍のごとく意気軒昂と騎士は嵐のごとく去って行ったのだった。
リリエットは唖然茫然として雛鳥のように口をぽかんと開けた。
有名店のお菓子の箱が干し杏となり、干し杏が指輪となって、指輪が小石となってしまった。わずか数分の間に乱高下しての転落である。
「アンドレス地方……?」
ミルクティー色の髪が傾く。
お菓子をくれた黒髪の文官の姓もアンドレスである。何か関係があるのかも、とマジマジと小石を見つめるリリエットであった。
「カァ」
と、遠くでカラスの鳴き声が響いた。
王宮には相応しくない野生の花であるが、名前が美しいと植えられている黄色の鈴のような金蘭と銀白色の小花の銀蘭がたまゆらの風に吹かれて、リリエットの足元で踊り子みたいに揺れていたのだった。
翌日。
黒髪の文官に昨日の経緯を説明して、リリエットは小石を見せた。
「アンドレス様から頂戴したお菓子がアンドレス産の小石に変化するなんて、ちょっと不思議な成り行きでしたのでお話をしたくて」
黒髪の文官、ギリウム・アンドレスが肩を揺らす。
「ふふふ、おかしな展開だね。ふふ、カラスに指輪。アンドレス姓の僕にアンドレス産の小石。ごめんね、ちょっと想像したら面白くて」
たまらないとギリウムがお腹を押さえた。どうやらカラスはギリウムのツボにはまったらしい。
「く、苦しい。プロポーズの最中にカラス。カラスが。本当にごめん。笑いが止まらないんだ、ふふふ」
朗らかに笑うギリウムにつられてリリエットも笑う。
二人で声を上げて笑っていると、興味をひかれた宰相室の面々も近寄って来て、事情を聞いては笑い声が増えていく。
とうとうカリム老人までが来て、
「もにょもにょもにょもにょもにょもにょもにょ」
と小石を指差して口を挟んだ。
「え? 金の鉱石!?」
動揺したリリエットが手のひらの小石を落としそうになる。
驚愕で周囲の笑い声もピタリと止んだ。
「アンドレス様、たいへんです! カリム様が川の上流を調べろとおっしゃっています。きっと金の鉱脈があるから、と。この小石は金の鉱石に間違いないそうです。普通は微細な粒子なのに、この小石は含有量が多く珍しい、故に金山も質や量がもしかしたら期待できるかも? らしいです」
「「「「「はぁぁぁあ!? 金? 金の鉱石だと!!」」」」」
リリエットの言葉に仰天して周囲が叫ぶ。
ギリウムも頬を引き攣らせた。
「金山!? アンドレス伯爵領に?」
もし本当に金山が発見されたならばアンドレス伯爵領の未来は繁栄が約束される。王国の未来も変化するだろう。
宰相室の面々は、ゴクリと息を呑んでリリエットの手のひらの小石を凝視したのであった。
そうして三ヶ月後。
金蘭と銀蘭はもう咲いていないが、金木犀と銀木犀の香りをそろそろ待とうかとする頃。
リリエットはギリウムとお昼をともに食べるほどに仲良くなっていた。
ギリウムが金山のことで報告がある、と口実を設けては毎日リリエットをお茶やお昼に誘ったので自然とリリエットも打ち解けるようになったのだった。
迂闊なことにリリエットは、好感度をセッセとあげる計画を日夜練るギリウムに囲い込まれつつあることに気がつかない。
ギリウムが他のライバルたちを静かに生皮を剥ぐみたいに蹴散らしていることも、川の上流の山で金鉱を発見したアンドレス伯爵家が本気でリリエットを獲得しようと外堀を着々と埋めていることも、何も知らなかった。
空が黄昏に染まっていた。
一瞬だけの夢のような色で。
夕顔の花弁がほぐれるように。
真珠貝の内側のように刻々と空の色が変化している。
色づくみたいに。
色褪せるみたいに。
グラデーションとなって空の色彩と濃淡が移りゆく。
秋と呼ぶには浅く、まだ夏の匂いを濃密に残す夕暮れの風は太陽の気配を帯びていた。
リリエットとギリウムの影が夏の末の夕日に照らされて旗のごとく長くなびく。ふわふわのミルクティー色の髪が風に吹かれてアホ毛のようにクルンと立ってしまっているのが愛らしくて、ひそかにギリウムは口元をゆるめた。
日が翳りはじめた王宮の庭の隅をリリエットとギリウムは歩いていた。仕事が終わったリリエットを宿舎まで送って行くことをギリウムは日課としていたのだ。
「リリエット」
穏やかな声だった。幼馴染みがリリエットの目の前に立っていた。かつて自身で引いた境界線などなかったように平然と踏み越えて、厚かましくもリリエットに微笑んだ。
「久しぶりだね。会いたかったよ」
ギリウムがリリエットを庇うように前に出た。
リリエットの周辺を調査していたギリウムは、幼馴染みが新しい婚約者と破談した理由を把握していた。幼馴染みの浮気だ。破棄料が高く困窮してしまい、生家でも社交界でも窮地に立った幼馴染みはリリエットに焦燥と執着で縋りに来たのだ。
情に訴えればリリエットは手を差し伸べてくれる、と幼馴染みは安易に考えていたのである。まだリリエットは自分を好きであると愚かにも固執していたのだ。
「お久しぶりです」
短く返すリリエットの声音に乱れはない。すでにリリエットの初恋の花は根すら残っていなかった。
「わざわざ会いに来たんだからもっと嬉しそうな顔をしてくれよ。今日はリリエットが喜ぶことを告げに来たんだから。僕たち、もう一度婚約をしようよ」
あまりに恥知らずな幼馴染みの言葉にリリエットは絶句する。
それを都合よく解釈して、リリエットは感激しているのだと幼馴染みは更に言葉を続けた。
「あれから僕も後悔したんだ。リリエットも僕のことがまだ好きだろう。だから僕たち、やり直さないか?」
幼馴染みは告白をしに来たのではない。自分の荷物を背負わせ、後始末をリリエットに押しつけに来たのだ。
そのことを瞬時に理解したリリエットは温度のない声で答えた。
「お断りします」
距離は近いのに、もはや立場は遠い。
時計の針は巻き戻せないのだ。
15歳だった時に、リリエットを切り捨てる線を引いたのは幼馴染みだった。
今度は、17歳になったリリエットが幼馴染みに拒絶の境界線を引いた。
「婚約の破棄料は叔父が払っております。無関係な間柄となっていますのに、私があなたに愛情を残していると勘違いしてもらっては困ります」
羞恥で幼馴染みの頬が紅潮した。
拒否されるなんて欠片も考えていなかったのだ。
「リ、リリエット。拗ねているのか? 僕が迎えに来たのが遅かったから」
幼馴染みがリリエットの手を掴もうとする。が、ギリウムが素早く幼馴染みの手を払い除けた。
「無礼な! 未婚の令嬢に許可なく触れようとするなど、おまえは貴族としての礼儀作法を習得していないのか!」
毅然とした態度でリリエットを守るギリウムに、幼馴染みが怖気づいて後退る。
「令嬢って。でもリリエットは単なる王宮侍女じゃないか!」
幼馴染みの弁明に、ギリウムの眼差しが冷ややかに凍った。
「リリエット嬢は上級侍女であり、男爵家の令嬢でもある。だからおまえは未練がましくリリエット嬢に寄生をしに来たのだろう?」
「き、寄生!?」
「愛でもなく政略でもなくメリットすらない婚約をリリエット嬢に求めたのだ。寄生以外の何がある?」
「寄生……、ヤダ、寄生虫なんて気持ち悪い!」
ギリウムは虫とまでは言っていないが、リリエットの頭の中では寄生虫に結びついてしまったようだ。ウニョウニョのイメージがウニョウニョと脳内に広がり、ぶわっと背筋のうぶ毛が逆立つ。
「虫唾が走るぅ〜」
ゾゾゾと震えて、リリエットはミルクティー色の髪をぶるぶる揺らした。
「寄生虫、大っ嫌いっっ!」
ウニョウニョへの嫌悪感いっぱいのリリエットの表情と叫びは、度重なる心理的ダメージを受けていた幼馴染みにトドメを刺してしまった。
たちまち幼馴染みが決壊する。幼馴染みは、誰かが何とかしてくれるという無責任で甘ったれな性格を表面的に優しく見えるようにコーティングしただけだった。
なので、鉱石から金属を正しく抽出するように幼馴染みにとって正しい行動をした。
「ひ、酷い!」
と、半泣き顔になって逃げ出すことである。
そして幼馴染みと入れかわるように。
「酷いのはどっちがだ」
溜め息を吐きながら姿を現したのはリリエットの叔父であった。ものすごくタイミングがいい。ギリウムはピンと閃いた。幼馴染みを煽った犯人だと。
「やっぱりあの男は試す価値もなかったな」
リリエットはヒュッと息を呑んだ。瞳孔が全開となる。2年ぶりの叔父であった。
「叔父様!?」
「リリエット、おまえの婚約が決まった。アンドレス伯爵家次男のギリウム殿だ」
目を見開いて、リリエットは隣のギリウムを見た。
嬉しげに口元を引き上げたギリウムが、柔らかい笑みを浮かべた双眸でリリエットと視線をあわす。
「お茶が美味しくて、笑顔が可愛くて、一目惚れをしたんだよ」
と蕩ける声でギリウムが言った。
ギリウムと見つめあうリリエットに叔父が口を開く。
「おまえは恨んでいるだろう。だが、あの元婚約者は不適格だった。優しいが優柔不断で意志が弱い。その時の感情と空気で傾く、頼りとならない男だ。兄上は自分が男爵家の実権を握り、いずれリリエットの子どもに爵位を譲るつもりだったから婚約を許していたが。それでも何かある時は、男爵家とおまえを守ってくれと兄上から頼まれていたのだ。兄上が亡くなったからには、あの元婚約者ではリリエットも領地も支えられないことは明瞭だった。イザという時に自己保身に走るか自分の生家を優先するか、厄災しか予想できなかった」
叔父は口調も冷静にスパッと幼馴染みを真っ二つにする。商人である叔父の観察眼は的確で鋭い。
「元婚約者が家に従ったことは貴族としてはやむを得ないとも言えるが……。だが、あの男は下級貴族で家の縛りの薄い五男なのだ。結局は我が身を正当化して、その生家が婚約破棄をしてきたのも目先のことのみを視野に入れていただけだ。自身の利だけを掴み取ろうとする家、まぁ、それも貴族としては正しい一面だ」
カリム老人のようにリリエットは口をもにゅもにゅと動かした。転げたカルガモの雛のようにチョロっと視線が泳ぐ。反論したいが否定できない。
王宮で働いて、たくさんの人と触れ合って、ギリウムと親しくなって。加えて先ほどの幼馴染みの薄っぺらさをも見てしまった。
もし15歳の時に、幼馴染みとの仲を正面から力ずくで禁止されていたならば反発をしていたかも知れないが。
リリエットは17歳となり。
見えていなかったことが見えるようになっていた。
宝箱の蓋を開けるように。
あるいは答えのページをめくるように。
幼馴染みである元婚約者との狭い世界だけではなく、世界は他にもあり、そして世界そのものは広いのだと知ってしまっていたのである。
叔父を敵視していた時期もあったが、王宮勤めは簡単ではない。叔父が裏側でリリエットを援助してくれていたことに気づいていた。何故、どうして、と疑問は尽きなかったが今ならば理解ができる。全部、15歳だったリリエットを助けるためであった。
地位に立たすことだけが守ることではない。
叔父は降ろすことでリリエットを守ったのである。
「リリエット」
叔父は優しく目を細めた。
「王宮はどうだった? 屋敷と領地以外の世界はおまえに何かを教えてくれたか?」
素直にリリエットは頷く。
「はい。今まで気づかなかったことや新しい発見が数多くありました。たいへんなこともありましたけれども、それ以上にとても新鮮で得難い毎日でした」
深々とリリエットは頭をさげた。
「叔父様、ありがとうございました。私、王宮で知りました。頑張ったら報われる、認めてもらえると思えること、そう思える環境にいられること。それがどれほど恵まれた環境であるのか、私は知りました」
「有益な経験ができたようだね、荒療治だったが良かったよ。女性は結婚相手によって幸福が大きく左右されてしまうのに、2年前ならばどれほど説得をしても納得はしなかっただろう? おまえはあの元婚約者を愛していたから。若く一途であったし、15歳のおまえは元婚約者を信じていた。すまない。男爵家の当主になるおまえの伴侶に対して、わたしは兄上のように甘い考えはできなかったのだ」
鞄から叔父は書類の束を取り出した。
「これを、リリエット。爵位の譲渡書類だ。全て署名済みで不備はない。領地も整備しておいた。川の護岸工事もした、橋も架けた、主要な道にも石畳を敷いた。男爵家の財産も資産運用をして十倍にしてある。案ずることはない、領地を管理する代官は誠実で有能な人物にかえてある。書類仕事はギリウム殿がおまえを補助してくれるだろう、頑張りなさい」
リリエットは目をまん丸にした。
あまりの至れり尽くせりに言葉が出ない。
「あの、その、叔父様……?」
いたずらっ子のように叔父が笑った。
「わたしの仕事は終わった。自分の商会に戻るよ。わたしを恨んだままでもかまわない。だが、困ったことがあれば訪ねて来なさい。カリム様も商会にいらっしゃるから」
「カリム様が!?」
「年齢のこともあって宰相室を勇退なさるそうなんだ。以後はわたしの商会で相談役をしてくださる。カリム様は祖父の親友だったお方なんだよ」
ニヤリ、と口角を上げた顔で叔父はギリウムの肩にポンと手を置いた。重力のような圧が肩に喰い込む。
「大事な姪だ。不幸にしたら許さないよ」
悪魔との契約を彷彿とさせる笑顔である。
しかしギリウムも図太かった。叔父に負けない覇気を放つ。
「必ずリリエット嬢を幸せにします」
「ふ、ふふ」
「フ、フフ」
バチバチと火花を散らして笑いあう叔父とギリウムは、人の懐にスルリと入る人畜無害の仮面が得意だがお互いに腹の中は真っ黒である。お互い笑顔のまま、少しも譲らない。
双眸の奥に刃のような剣呑さを帯びている雰囲気が似ているわ、二人はちょっと相思相愛? と思ったリリエットはくすくすと微笑んでしまったのだった。
「幸せになりなさい」
叔父が背を向けて歩き出す。
実りの秋の兆しがするトロリとした夕陽が、リリエットと叔父の影を一瞬だけ交差させた。
リリエットとギリウムの影は手を繋いで、叔父の遠ざかる影を見送る。ふわりと吹いた風が優しく影をなぞったのであった。
後日談
干し杏の侍女は、誰かが意図的に広めたお菓子の件が噂となり、アプローチしていた騎士から拒絶され王宮に婚活にきていたのに他からも拒否されて全滅状態に。
指輪の騎士は、ダメな子ほど可愛いという嗜好の女性だったのでプロポーズに成功。駄犬としてよしよしされて甘い新婚生活をおくっている。
なのでカラスに感謝して日々餌を捧げて、カラスと仲良しとなった。夕方になると餌をねだる複数のカラスが騎士の頭上でカァカァと輪を描くために、あらゆる意味で有名になったのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。
【お知らせ】
「追放、5日後。 〜悪名は利用してこそ価値がある〜」がリブレ様の「悪役令嬢は溺愛イベントに強制突入しました!アンソロジー」にてコミカライズしました。漫画は咲宮いろは先生です。
「ララティーナの婚約」がコミカライズ連載しました。
短編での短い一話のコミカライズはありましたが、電子書籍の方での連載版となります。現在マグカン様にて無料で読めます。漫画はカ加羽先生です。
どうぞよろしくお願いいたします。




