04_起点
――篠田浩輔。
五年前の戦いの時からの勇治の仲間。
立ち置的には、お世話になった人、と言うべきか。
だというのに『彼こそが悪』という言葉に、勇治の脳裏に明確な否定の言葉が浮かばなかった。
最初に出会った時は、勇治にとってたしかに頼れる大人であった。
が、戦いの途中で彼の過去を知らされた後、表向きは協力してくれているものの、どこか自分を蚊帳の外に追いやりたいような様子を勇治は感じていた。
――そしてなにより、今でも、彼は自分達に何かを隠し続けている。
あの戦いの後、三年は国の復興と共に日常を過ごしていたが、その疑念が晴れることはなく。
だからこそ、勇治も距離を置いた。物理的に。
「――どうした?言い返さないのか?」
勇治の思考に間がはっきりと出来ていた。
目の前の男が言うこと、言いたいことに、100パーセントの反論が出来ない。
たとえ相手が自分の敵という事実が揺るがないとしても。
「……たしかに。あの人は、そう言われても仕方ないかもしれない。だけど、俺が始末すべきかどうかは別の話だ」
「ふん、圧倒的な財持ち、世の中を動かすだけの力を持っていながら、己の正体を隠したまま保身に走り『何も変えようとしない』男を、かばうというのか」
勇治は目の前の男の批評よりも、浩輔の情報が既にそこまで漏れていることに懸念を覚える。
篠田浩輔は、かつて五年前に国家転覆を目論み、日本国に内戦状態をもたらした『黎明』という組織の資産を引き継いでおり、さらに国の復興のどさくさで第二次世界大戦後から続く財閥系の資産をも手にしていた。
そこからは、外資系を装った企業グループを作り、自らはグループの一職員という体で、架空のトップを据え、やろうと思えば政治界や経済界を裏から操れるくらいまでの権力を有しているのである。
その結果として、日本という国は未曽有の混乱から数年足らずでほぼ元通りに復興している。
その手腕もさることながら、浩輔自身も寝る間もなく働いており、勇治も批判を挟む余地はなかった。
――彼を打ち倒したとしても、誰が次の責任を取るのか。
――今の彼の役目を、誰が果たすことができる?
――少なくとも、自分には到底無理な話だ。
この事実が、勇治が大人になるために、受け入れなければならなかったもの。
「岳杉くん。君の答えは、人々の平穏を護るという意味では、実にらしいものだ。……しかし、一つ気になるのだが、今の日本は、本当に平和なのかね?誰の意思にも縛られてないとしたら、君自身は何故ここにいる?慰安旅行ではあるまい?」
「…………」
「言えないか。まぁ、聖母の噂でここに来たのなら、我々にとっての単なる障害でしかない。……ただ、君の言うとおり、ここに、こうしているのが本当に『たまたま』だとしたら、実に気の毒な話だよ。正義のヒーローとやらも、いずれは落ちぶれていくものだな」
相手が見え透いた挑発をしているのは分かっている。
そうだとしても、割り切れない部分を見て見ぬふりすることはできなかった。
勇治も、自身の額が静かに熱くなっていくのを感じていた。
「……さて、対話はここまでだ。これを最後通告としよう」
「黎明の残党が、今更何をするつもりだ。聖母とやらを使って慈善事業でも始めようってのか」
「我々は新たな集まりを作るだけだ。あのキナ臭い錬金術師等と違って、信頼し合える協力者を得られたのでな」
勇治とユーリアの目が合う。
その横で男が僅かに頭を下げる。
「自己紹介が遅れたな。私の名前は横井 保。今は、世界改変組織『プライマー』の参謀を務めさせて頂いている」
「改、変……!?」
あまりにも大きく出過ぎた台詞に勇治は面を食らっていた。
かつての黎明という組織、そのトップだった東郷も、その協力者でありながら独自の目的で動いていた錬金術師ユミルも、そこまでの事は企んでいなかった。
ともすればあまりにも馬鹿げている名前に勇治が言及する直前、ユーリアが声を荒げる。
「止めなさいっ!そんな事のためにあの子たちを利用しないで!」
横井はその怒号を軽く受け止め、怪しい笑みを浮かべる。
「利用?違いますな。『プライマー』のリーダーは、貴方の子の一人、ペルル殿です。他の子供達も幹部ですよ。言ってしまえば、我々こそ、彼らの協力者に過ぎない」
「そんな、ことを……!」
「そして、彼らも望んでいるのです。貴方の再起を。貴方ほどの力を持ったお方が、このまま『追放されし者』として、こんな僻地で一生を過ごすことなど、それこそ世界の損失でしょう」
勇治は見知らぬ単語の連打で話の流れに置いていかれそうになるものの、聖母の反応で己の中の決断を済ませる。
「状況は今一つ読み込めないが……黎明の残党の妙な企みを見過ごすわけにはいかない……!」
「決裂、か。決め手はユーリア殿の反応か?やはり君は目の前の事に捕らわれ過ぎるところがあるな」
「黎明の残党とは何度もやり会ったことがあるが、お前らほど現実が見えていない奴はいない!」
その瞬間、その場の空気が全て火薬の素となったかのように、室内のあちこちに火花が走る。
部屋の中の男達の体から光が放出され、象形文字を形作る。
そして光の文字が各々の全身を覆い、この世界の空間に『装甲』を生み出した。
「錬装……」
「着甲ッ!」
そこから先は一瞬の現象。
勇治の体が瞬時に漆黒の装甲に覆われる。
それと同時に、対峙する男三人もダークグレーの装甲を全身に纏い、さらには突撃銃をも形作り、そのまま発射態勢に入ろうとしていた。
だが、次の行動は勇治の方が早かった。
目の前の敵と、目的となる女を放り出し、入口に向かって踵を返し、建物の外から脱出する。
外からの驚声が部屋の中に流れてくるが、男達は一旦その場で静止し、隊長の判断を仰ぐ。
「……ちっ、三対一なら一旦距離を置くのは当然だ。外で待ち構えているかもしれん」
「彼女はどうします?」
「心苦しいが、囮になってもらおう」
白々しい台詞を吐きながら、横井はユーリアの車椅子に手を掛け、入り口に向かって走らせる。
「奴のヒートナイフに気を付けろ!こちらの装甲でも易々と貫いて来るぞ!」
その指示を受け、部下の男達の突撃銃を握る手の隙間に、新たにコンバットナイフが生成される。
横井の手が離れると、ユーリアはすぐに両手で車椅子を止めようとするが、勢いが収まらず、そのまま外に投げ出され、地面へと投げ出される。
外の村人たちの悲鳴が起きるのを見計らって、三人は一斉に外に飛び出す。
「クリアッ!」
「クリア」
「む、隠れたか……おい、ここから出てきた奴はどこに行った?」
横井が外にいた村人の一人に銃を突きつける。
手ぶらで建物に入って行った男達が、いきなり全身パワードスーツ姿で出てきたとあって、外の村人たちも、まともに言葉を紡ぐことをできずにいた。
「この建物から一人、黒ずくめの奴が出てきたはずだ。どこに隠れた?」
「ひっ!あっちへ……!」
怯えたギャラリー達の示す方角は、村の外への出口の方向であった。
「逃げたのか……?まぁいい、上のヘリを使わせて貰うぞ」
兵の一人が最初の襲撃者の元に行き、聖母を確保したとの適当な嘘をつき、彼女が車椅子なのでここからでは回収できないと、無線機で別の回収地点を指定する。
上空のヘリのパイロットも、無線機の声に少し違和感を覚えていたようだが、とりあえずは動き出し、開けた場所へと向かって行った。
「よし、次はユーリア殿をお連れし……っ!?」
横井の声が詰まる。
思いもよらぬ異変に周囲をぐるりと見回した。
「どこへ行ったっ!?」
「えっ!?」
「あっ!?」
部下の二人も慌てたように辺りを見渡すが、地面に倒れていたはずのユーリアは車椅子ごと忽然と姿を消していた。
「くそっ!なぜ彼女から目を離したかっ!」
隊長は吼え、部下は予想外の失態に息を震わせる。
原因は隊長自身もすぐに理解できていた。勇治を警戒しすぎたのだ。
逆にユーリアの方はこの悪路の上での車椅子なら遠くには行けないとの、油断があった。
「時間的にはよくて数十秒のはずだ……例の空間跳躍か?彼女一人ではそう簡単に使えないはずだと、あの子供達は言っていたが……」
そんな最中、明後日の方向を見ながらざわつく一団が横井の目に入る。
「おい」
「ひっ!撃たないでくれっ!せ、聖母様が……!」
「どうした?何か見たのか?」
「か、車椅子ごと体が浮いて、森の奥にすっ飛んで行ったのを見たんだ!き、奇跡だ……!」
「方向はっ!?」
「あ、あっち……」
怯える村の男の指の指し示す先は、村の出口とは反対方向。
つまりは鬱蒼と茂るジャングルの奥であった。
「隊長、追えますか……?」
「聖母はそんな力も……」
「……違う。だとしたら、こうなる前に最初からとっとと逃げていたはずだ」
彼女の性格からして、村の人間に露骨すぎる力はそうそう見せることはないはず。
そう確信していた横井は、ユーリアが飛んで行ったとい方向を観察する。そしてすぐに、地面を抉るかのような足跡が転々と続いているのを見つける。
「おい、さっきの男を連れて来い」
「は!」
ようやく解放されたと思ったら再度確保された男が、部下の兵士に放り投げられる。
「聖母が飛んで行く様子は、真っ直ぐだったか?それとも、上下に動いてなかったか?」
「そういえば、なんかこう、ふわふわと……」
「足音は?」
「あー……ったような……よく分かりません!」
横井は黙って男の鳩尾に蹴りを入れ、部下達を近くに呼び寄せる。
「子供達に連絡を取れ。こちらもすぐに後を追うぞ。まだ追い付けない距離ではないはずだ」
「はっ!……ですが、あの日本人の男は一体どこに?」
「彼女を連れていったのは十中八九奴だ」
「えっ?」
「問題は、奴が『我々の知らない能力』を持っていることだな……」
横井はそう呟き、すぐに部下を連れて足跡をたどりながらジャングルの奥へと駆け込んでいく。
残されたフーポックの村人は白昼夢を見ているかの如く、ただ茫然としていた。
聖母が連れ去られたことも、襲撃者が来たことも、いや、そもそも聖母の存在すらも、夢の中の出来事であったのではと思う者もいた。
陽が沈み切った村に、現実が帰ってくる。
その惨状は日常とは程遠いが。
あまりにも、出来事が急すぎた。
◇ ◇ ◇ ◇
星空の光が僅かばかり届く熱帯雨林の中を、人が乗ったままの車椅子が宙に浮いて進んで行くという何とも奇妙な光景は、幸いなことに、その場に人間の目撃者がいないことで場の静寂が保たれていた。
ユーリアは怪訝な表情をしながらも、車椅子から落ちないように両手でしっかり捕まっており、一言も声を発することはなかった。
「……この辺まで来れば、大丈夫かな」
何もないはずの空間が声と共に揺らめくと、空飛ぶ車椅子がその場で停止し、そのままゆっくりと地面に下ろされた。
そしてその隣に、全身黒づくめの装甲の人間が、じわり、とその輪郭を表し、女性に話しかけた。
「聖母……ユーリアさん、でしたか。手荒な手段を取ったのは謝ります。俺はただ、その、貴方と話をしたかっただけです」
流石に走ったばかりで上手く台詞が出ないのか、どうにも要領を得ない語りかけに、ユーリアは乱れた髪を整えながら答えた。
「……そうですか。ですが、まずは、その仮面を取ってください」
傍から見れば、奇怪な人物による誘拐と脅迫の現場にしか映らないことを理解し、勇治は周囲を軽く確認する。
ほどなくして、彼の全身を覆う装甲は一瞬にして塵となって、辺りの風に吸い込まれていった。
「……これでいいでしょうか」
「ええ」
互いに目が慣れてきたのか、勇治の悪意のない顔を確認すると、ユーリアも表情を崩す。
ゆったりとした目つきは、たしかに相手に安心感を与えるものだ。しかし、先程のやり取りのせいか、あからさまな影が出来ているのが分かる。
「まずは単刀直入に尋ねます。貴方の病気を治す力は本物だとして、貴方は錬金術か何かを使ってますか?」
「錬金術……?」
「賢者の石……赤い宝石を使った力です。両手を見せてくれませんか?」
ユーリアは言われた通りに軽く両手を上げる。
手の指先はおろか、白く細い腕にも、装飾品のようなものは見当たらない。
「違うのか……?」
「少し、お顔を近づけて頂けますか?」
「はい?」
なまじ敵意が感じられないだけに、勇治は言われるがままにユーリアに寄ると、目の前に視界の中心だけを遮るように、手のひらがかざされる。
一瞬、手から光が発せられたかと思うと、勇治の顔に僅かな熱、温もりが流れる。
「治りましたよ」
「え、別に怪我してる訳じゃ……あっ」
勇治は思い出したかのようにスマホを取り出し、自分にカメラを向ける。
予感のとおり、一月前についた顔の仰々しい傷痕が、綺麗さっぱりと無くなっていた。
こんな簡単に、と、勇治は目を見開いてユーリアから体を少し離す。
「ですが、錬金術というものは本当に存じあげません。この力では金なんて作れませんから」
「……以前、貴方と似たような力を持っている人がいましてね。その力を錬金術と呼んでいたんです」
「それでは、貴方がたの力は?」
「俺とさっきの男達の力は、その錬金術によって産み出されたものですよ、簡単に言うと」
勇治はどこから説明したものかと考えつつも、ユーリアの全身を見つめる。
着の身着のままで連れ出してきたのは己のせいだが、鬱蒼と生い茂った熱帯植物と虫や鳥の声が聞こえるようなこの土地には似合わない服装だ。
「ユーリアさん、貴方はここの人ではないですよね?」
「はい」
「そんな力を持ってるが故に隠れ住んでいた、という訳ですか?」
「……逃げ隠れていたのは事実です。ですが……」
ユーリアが次の台詞を言おうとした瞬間、勇治の耳に風が切り裂かれるような衝撃が走る。
続けて木の枝が折れる音が背後から鳴り、近くにいた鳥達が一斉に空へと避難する羽音が響く。
「追手かっ!?こんなに早く……」
勇治が車椅子の傍に身を屈め、ユーリアの体を地面に下ろそうとすると、やんわりとそれを拒む手が添えられる。
「私の事は構いません。貴方は逃げてください」
「えっ?」
「貴方が争いを好まない方なのは分かります。私と出会ったことが偶然ならば、巻き込みたくありません」
巻き込みたくない、という言葉に勇治は僅かに躊躇する。
純粋な厚意と捉えるか、逆に自分を誘うための言葉巧みの罠と捉えるか。
一時の間ののち、理性が勝利を収め、勇治の手が車椅子から離れる。
そして、ユーリアの口元から笑みが消えた。
勇治の視線が上がると、そこに飛び込んできたのは、強膜がドス黒く塗り潰された人ならざる目。
水晶体のみが不気味に青白く輝いている。
「あん……たは……?」
勇治が問いかける間も無く、周囲の薄暗い夜の熱帯雨林が爆音と共に赤白く炎上する。
木々の破片が勇治達の元へと向かってくるが、見えない壁のようなものに阻まれて弾き飛び、周りの炎の中へと散っていった。
「遅かった……いえ、早過ぎる……!」
聖母という呼び名とはかけ離れた形相のユーリアの呟きと共に、勇治は悲痛な視線の先を追う。
火柱を上げる森を背にして、四人の少年と少女が姿を現した。