4ページ目・ヨハンとロウダ
倒れ込んだ男を見ると完全に気絶しているようで、ピクリとも動きません。
まさに一瞬の出来事で、私はともかくギルド内にいた冒険者達もこちらを見つめて驚きの表情を浮かべています。
お父様の実力…というよりその怪力を初めて知り、恐ろしいというよりは「凄い」と思いました。
自分もこの世界ではああなれるのでは?という、どこか憧れにも似た感情を抱きました。
ですが、同時にあれで殴られて無事な自分の体を不思議に思いました。
単に記憶を思い出したというだけではないのかもしれません。
ともかく、お父様は肉付きは良いのですが、それでも貴族ですからそこまで筋肉があるように思えませんでした。
流石は異世界、現実じゃありえないような刹那の攻防を、私は息を呑んで見つめることしか出来ませんでした。
「おい、あいつこの前ここに来たCランクじゃねぇか?」
「まじかよ、相手は何者だ?なんか見覚えはあるが…」
「いやー、でもあいつにゃ困ってたからスッキリしたぜ」
だのと冒険者達が口々に思いの丈を漏らしていましたが、お父様に睨まれると一瞬にして口をつぐみました。
ようやく奥から、恰幅の良さそうな男性が、先程の受付の人に連れられてきました。
「大変お待たせ致しました、ロウダ様。こんなところで待たせてしまい、申し訳ございません」
深々と頭を下げた後、お父様の足元で気絶をしている男を見て眉を顰めました。
「ギルマスが頭を下げるあいつは何者だ?」と戸惑う冒険者達の方に目をやり、
「おいお前ら、これはどういう事だ?」
と睨みつけました。
「お、俺らはただ見てただけだ。そこの、あいつが勝手に喧嘩売って勝手にぶん殴られただけだよぅ」
群衆の内、人が言った。口々に「そうだ、その通りだ」と肯定する声が増えていきます。
「はぁ……こいつが悪いんだな。前々からこいつは気になってはいたが……おい、お前ら、この方はこの街、いやこのロードラン領をお治めになっているロウダ・フォン・ロードラン様であられるぞ!よく覚えておけ。そして、二度とこんなこと起きねぇようにしな」
それを聞くと冒険者達は顔を青くして散らばっていきました。
ギルドマスターはこちらに向き直ると、もう一度頭を下げた。
「うちの者がご迷惑をおかけしたようで、誠に申し訳ございません。当ギルドとして、この手のいざこざは個人の責任でして、そのう…」
「ああ、構わん。ここには一冒険者として訪れたのだ。それに、お前からその口調で話されるのは未だに慣れん。砕けてもらっても構わない」
お父様のその言葉を待っていたと言わんようにニットと笑うと、
「ありがとよ、ロウダ。じゃあ奥の客室に行こう。積もる話もあるしな」
と言いました。
ギルドマスターさんの目はお父様を心底懐かしむように光っていいました。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
先程受付の女性が駆け上っていった階段を進み、2階に着くと1階とは随分と違った、落ち着いた雰囲気に意表を突かれました。
木造の床は歩くとギシギシと軋む音が響きます。
階段から1番離れた部屋、立派な装飾の施されたドアノブがある扉まで来ました。
中は豪華そうなソファが2つ、これまた匠が趣向を凝らしたのか、脚が彫刻作品のようになっている木の机を挟むように置いてあります。
部屋の内壁も真っ白で、何やら絵画のようなものが2、3飾られています。
ギルドマスターさんに座るように促され、私達はソファに腰掛けました。
正に吸い込まれそう、とはこの事なのか!ふかふかのクッションに、私の腰がどこまでも沈んでいくような、とても柔らかいソファでした。
私が何度もその感触を楽しんでいると、ギルドマスターが口を開きました。
「その、なんだ?さっきから気になっていたが、そこの、お嬢さんは……?」
お父様を見やると自己紹介しなさいと目配せをされました。
「申し遅れてすみません。ロウダ・フォン・ロードランの娘、エリザ・フォン・ロードランと申します。以後、お見知りおきを」
貴族らしい自己紹介というものを知らないので、それっぽく丁寧語で挨拶をし、頭を少し傾けました。
ギルドマスターはともかく、お父様も驚いたように目を丸くしていました。
もしかして、何か変な事をしたのでしょうか。
誤魔化すため「えへへ」と苦笑いを浮かべてみましたが、何だかあまり効果が無かったように思います。
「こ、これはこれはご丁寧に。私はこの冒険者ギルドのマスターをやっているヨハンという」
そう言うとヨハンさんはお父様に視線を戻しました。
「驚いた。お前さん、娘の話は聞いていたが……これはどういう事だ?それに、こんなに話せるなんて…お前が教育したわけじゃなさそうだよな?」
「きっかけは―――分からないが、つい1週間くらい前、あの呪いが解けたみたいだ。俺もエリザがようやく、ようやく自分の意思で立ち上がり、喋ってくれるのが嬉しくて、嘘みたいで……それで、旧友のお前に報告しようと思ってな」
「ちなみに、呪いが解けてから一切貴族の教育らしい教育はしていない。俺も驚いている」と付け加えました。
呪い。この時はまだ、その言葉が何なのかを私は理解していませんでした。
「なるほどな、産まれた時以来初めて見るが、随分と可愛らしくなったじゃねぇか。まぁ、その、アレだ。おめでとう」
ヨハンさんは恥ずかしそうに頭をかきました。
父は穏やかな口調で「ありがとう」と言いました。
それからはお父様とヨハンさんがこの6年の事を互いに語り合い、尽きることはないように思われました。
朝から来たのに、帰る時は西日が傾いていました。
ギルドの仕組みや冒険者というのがどういう職業なのかというのを、この時初めて詳しく知りました。
そして、せっかく魔法や魔物がある世界なのだから、その冒険者というものに強い憧れを持ち始めたのでした。