side・カンナの手記5
エリザと別れて4日が経った。エリザの傍にいると、その隣こそが自分の居場所であると錯覚してしまいそうで、踏ん切りを付けるのは難しかった。だからといってあんな夜逃げのような形で別れてしまったのは申し訳なかったが、それでも王都を発って少ししたら目頭が熱くなったくらいだ。ああでもしなければ、私は彼女から別れることことは出来なかったのかもしれなかった。
私は今、アウルランドという国に居る。この地はソルラヴィエの2つ隣の国であり、夏でも涼しい森の豊かな場所だ。なんでも、国土の半分は大森林に覆われており、陽の光が遮られているが故に寒冷なのかもしれない。とはいえソルラヴィエからの距離はそれほど長いものでもなく、値は張るが天馬車を使い空を移動すれば1週間もせずに森の入口に着く。
鬱蒼とした木々の奥に巨大な狼を見たという伝承があるこの森は巨狼の森とも呼ばれており、私の旅はやはりここから始まった。
17歳の頃、私がまだこの世界に来て右も左も分からぬ頃。私はこの森で迷ってしまったことがあった。この世界でどう生きれば良いか分からず、その暗い森の中は私の未来を暗喩しているように見えたものだ。辺りからは魔物の息遣いが聞こえ、剣呑な死の気配を強く感じた。当時私は、身を守る手段など防犯ブザーくらいしか知りえぬ少女であったので、どうしようもなく恐ろしかった。何が恐ろしかったのか、今となっては細分化できない。途方もない程の恐怖が私にのしかかっていた。
その時私を匿い、世界の常識や魔法を教えくれ、生きる術を教わった恩師がこの森に居るのだ。
私がこの森を出た時、もう二度と彼女に頼らないと決意し、帰還の術を探す旅へと出立したのだった。
そんな森に足を踏み入れている私が何だか不真面目な人間になったような気分がして、鼻を鳴らしてしまった。それはもちろん、自嘲の意味があった。
この地へ来た目的は、やはり恩師であった。あの時はまだ右も左も分からず、とりあえず記憶喪失という設定でいたので、異界に帰る術を聞いておかなかったのだ。そして、今思えば彼女ならば何か知っているかもしれなかった。もちろん、以前にも彼女を訪ねようと思った事はあった。しかし、不思議と彼女の家へと続く道が見つけられなかったのだ。まぁ、この魔法溢れる世界だ、不思議と言うよりは結界的なものだったのだろう。
だから、今回も半ば願掛けのような気分で足を踏みれたのだが……その道を見つけてしまったのだ。
一度見たら記憶に残る、備長炭のような真っ黒な木々。ほとんど壊れ何が書いてあったのかも分からない矢印看板。かつて何かの集落があった名残のある四角い石の線。そして、一つの家へと続く舗装された石畳の道。私もかなり強くなったと自負していたが、それでもなお不安を掻き立てられる重厚な魔力を宿した空気。決定的に領域に入ったという感覚。
思わず苦笑いが浮かぶ。
そこは、森と言うよりは廃村と言うべきものだった。そして廃村と言うよりも、別世界に入ったという感覚があった。
私は石畳を進み、唯一手入れされている二階建ての家の扉をノックした。
すると、扉はひとりでに開き私に入るよう促しているようだった。
「お邪魔します。カンナです、賢者様」
玄関をくぐりそう声を張ると、奥の部屋から小柄な人影が現われた。
この家は小綺麗なものの、空気や外の風景は荒れており、この領域の特徴として現実離れした黒い木々が辺りをいっそう暗くしている。どこかおどろおどろしい雰囲気を持っていた。
そんな中で唯一綺麗な家の中にいる子供?異質過ぎて法螺話のようだ。
これが夏の怪談の1シーンと言われても納得出来る雰囲気があった。
だいたい賢者様にしてもそうだ、と私は悪態をついた。
こんな怖そうな所に住んでなければもっと私も早く来ただろうに。
「待っていたよ。竜の子よ」
そう意味のわからない事を宣う彼女は、エルフでも無いというのにかれこれ数千年は生きているのだという。
それだけであれば良いのだが、なまじまだ幼い少女の姿をしているので恐ろしい。
そして、髪の全ては真っ白で伸び晒しており、顔は人形のように整っている。トーガのような古い服に身を包み、無表情にこちらを見つめている。その異質さにこんな廃村の薄暗い廊下で出くわすと怖気付いてしまいそうである。
私がホラー耐性を持っていた本当に良かった。エリザは怖い話が苦手だと言っていたのを思い出し、少し顔をほころばせた。
「ふむ。違うか。竜の子は、お前に出会った者か。まぁその話は後で良い。何用だ」
賢者様は変わらず、無表情であったがどこか迷っているかのような陰りを一瞬見せた。それが少し引っかかった。
彼女はアウルランドに隠遁の賢者ありと謳われる、知恵の巨人、賢者ウルヴァンその人であった。その生い立ちには謎が多く、勇者伝説にも登場し、彼に知恵を授けたとされる。近隣の王は困り事があればウルヴァンに教えを乞う。まさになんでも知っている、世界の辞典である。そんな彼女と知り合えたのは全く幸運であったが、私は彼女との接し方が未だによく分からなかった。恩人としてありがたがれば良いのか、賢者として敬えば良いのか…。
さて、用事と言っても願掛けのような気分だったので何と話すべきか、私は分からなかった。
なので、とりあえず単刀直入に言った。
「実は私、異世界からこの世界に来たんです。それで、帰る為の手段を探していまして…知恵の巨人と称される賢者様ならば何か知っていると思い、こちらに参りました」
言って、私は少し説明をはしょりすぎたかと思った。賢者様を見ると、視線を少し漂わせるだけであったが、割と普通そうな表情であった。それが少し頼もしく思えた。
「よかろう。迷える子よ。汝に知恵を授けよう。ここでは足も疲れよう、奥の部屋で話そう。お前の昔使っていた部屋なんかどうだ」
賢者様は表情こそ変えなかったが、そう言って私の手を取った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
森の木で作ったのだろう、真っ黒な木の椅子とベッドに我々は腰掛けた。
どこか近寄り難い雰囲気のある賢者様だが、仕草や座る姿勢を見ると、当然だが人体の構造をしており、特に洗練された訳でもない動きは安心するものがあった。
賢者様は私に向かい直すと、目をじっと見つめて言った。
「お前、親しい者の中に風魔法に適性が出ている者がいるはずだ。そしてそいつは、常では説明出来ない魔力を持っているだろう。たとえば、今のお前に匹敵するほどのな」
私はエリザの顔を浮かべた。確かにその通りであり、ぴたりと言い当てられたのは気味が悪い。けれど、ファンタジー世界なのだからこういう事もあるのかと楽観した。
「えぇ、その通りです。私の友人に、一人そのような者が居ます。ですが、彼女が何か?」
「あまり遠回しな話は嫌いだ、単刀直入に言う。そいつは、天満竜シャイナの祝福を得た異界の者だ。そして、お前に染み付いた魔力から見るに、地竜の呪いも得ているだろうな。余程長く共に暮らしていたな?ともかく、このシャイナは風と自由を司る。今までは空間の狭間で漂い我々には手を出すことも出来なかったが、奴の力の片鱗がこの世に顕在したのならば話が早い。そやつの力をもってすれば異空を渡り、お前の故郷に戻ることは可能だろう」
「なっ…それは…」
私は言葉に詰まった。天満竜シャイナだとか、異空渡りだのと突然神話めいた話をしてきた。シャイナがなんなのか、私は詳しくは知らない。ただ、この地に古くから残る竜神伝説の中で、六体に別れた竜神の一体だと聞いている。そんな存在の力がエリザに宿っているとでも言うのだろうか。
しかし、賢者様は“地竜の呪いも得ている”と言った。それはつまり、竜による祝福と呪い、両者が同列のものである事を指しているのではないか。そう思った時、ストンと胸に落ちるものがあった。ロードランに現れたグラウンドドラゴン。あの呪いをエリザは受けていた。それが地竜の呪いだろうか。
それを言い当てたのだ、賢者様の語るにわかには信じ難い話も、信憑性が出てきた。
「だが、力はあれど人の子があの魔法を使うには、魔法陣と詠唱が必要だろう。それぞれのある場所は我ら三賢者が知っている」
そこまで語ると、賢者様は珍しく悩ましげな表情を浮かべ、苦しそうに言った。
「……正直な所、私はそれをお前に伝えてしまっても良いのか悩んでいる」
「それは…なにか賢者様にご迷惑がかかるのでしょうか」
「いや…迷惑では無い。むしろ、これをお前に伝える事は使命に近い。しかし、この使命に私は納得出来ていない。それに、あまりに唐突であったから、私も当惑しているのだよ。……不思議そうな顔だな。私の使命とお前の目的がどう一致するのか分からないと言った顔だ。まぁ、どこから話したものか」
言って、賢者は思案した。




