第2話『Electric Carnival』(2)
「よし、時間だ。見回りはこんな所でいいだろう」
時刻は十四時。相も変わらず太陽は射殺すような熱気で未来学園を煽り続けている。
午前の部とはうってかわって風紀委員の腕章をしっかりと巻いた潴溜との見回りが終了する。午前中は深山先輩に導かれるまま職務をおざなりにしてしまったためその分を取り返そうと気を張っていたのだが、見回り中にとくに問題が発生するわけでもなく未来学園の治安の良さを改めて感じるだけの内容となってしまった。
「お疲れ様でした天野先輩。……失礼ですが、これから何かご予定はありますか?」
「いや、特にないが……」
そう言いながら誰かからメッセージが来ていないかを確認するため電子携帯を出現させる。重要そうなメッセージはなかったため見回り終了の報告を手短に済ませていると、食い気味に潴溜が話しかけてきた。
「良ければ私と一緒に宮子先輩のところへ参りませんか? これからそこで神野先輩と待ち合わせをする予定なのですが、天野先輩に来て頂けると宮子先輩も喜びます」
「ああ、構わないが……」
二つ返事で了承しようとしたところに新しいメッセージが一件届く。それは珍しく、ジルドからのものだった。
『君も知っての通り都市伝説研究サークルの展示をやっているんだが何分暇でね。良かったら話し相手になってくれないかい?』
「どうしましたか?」
潴溜の顔がズイと近付く。しっかりとした真面目な雰囲気を持つ彼女だが小柄で可愛らしい見た目のため簡単に潰れてしまいそうで少し心配になる。
「ジルドから都市伝説研究サークルの手伝いに来てくれっていう内容のメッセージが来たんだ。潴溜も都市伝説研究サークルのメンバーだろ、何も来てないのか?」
ジルドの名前を出した瞬間、潴溜の眉が少し顰んだ気がした。
「ええ、そのようですが……」
「まあ先に潴溜の誘いを受けたことだしもう少し後にしてもらうようジルドに頼んでみるよ」
「……それは、助かります」
ジルドに返信すると数秒後に「そうかい」という簡素なメッセージが届いた。俺はそれを確認すると潴溜に導かれるまま文化部A棟へと歩き始めた。
騒々しい、とまではいかないまでもほどほどに活気のある空間。
和室独特のザラザラとした感触を覚えながら俺と潴溜、そして神野先輩は遠巻きに深山先輩を眺めていた。
「……意外だな。深山先輩にあんな一面があったなんて」
和服に身を包んだ深山先輩が茶道部の催す茶道体験コーナーで一般の客や数人の生徒たちに優しく指導している姿が視界に映る。
「普段は間が抜けているように見えますし、実際にそういう部分もあるのですが宮子は茶道界の将来を担う名家の跡取りなんですよ」
「宮子先輩は忙しい合間を縫って風紀委員の仕事をされているので、私たちはこうやって全力でサポートさせて頂いているのです」
そう話す神野先輩と潴溜の瞳は暖かな優しさを帯びていた。それだけで深山先輩とこの二人の信頼関係が伝わってくる。
「いや~、やっとボクのシフトが終わったよ~。ってあれ、誠也君!? 二人が連れてきてくれたの? ありがとう~!」
潴溜と神野先輩の二人と談笑しながら和菓子を頂いていると、生気の抜けた表情の深山先輩がフラフラと近付いてきた。深山先輩が潴溜と神野先輩の間にぐにゃーっと潜り込むと、俺の姿を認識するやいなや露骨に声色に生気が戻り始める。
「普段は風紀委員の仕事に手一杯で茶道部にはあまり顔を出せていないのですから、今日くらいは後輩たちに楽をさせてあげなさい」
「というか、普段優しいはずの顧問の先生が目を光らせながら宮子先輩を監視しているのですが何かあったんですか?」
「お餅をねー、焼いたんだよ」
「……どういうことですか?」
和菓子を食べながら事情を説明する深山先輩にすぐさま潴溜からの追及が飛び込んでくる。
「部室でね、お餅を焼いていたのがバレちゃったんだよ」
「宮子、あなた……」「部室でですか!?」
「ほら、あそこの小さい襖の奥にボク専用のトースターをこっそり設置してるんだよね。それで休み時間にお餅を焼いていたらお皿を持って来るの忘れちゃって、先生のお気に入りのお皿を使って頂いていたら予想以上にもっちもちでお皿にへばりついちゃって」
「それは宮子(深山)(先輩)が悪い(です)(な)(ね)」
「あれっ!? 誠也君まで!?」
無邪気に笑い合う彼女たちを見て、俺は潴溜が企業スパイじゃないのかと疑っていたことを思い出す。だけど、こんなに思いやりのある彼女たちを疑うなんてあってはならないことだ。あのノイズは何かの間違いだったのだと自分を無理やり納得させようとする。
深山先輩がやって来てからひとしきり話し終えると、いつの間にか時刻は十五時を指していたことに気付く。
「すいません、少し部活の手伝いを頼まれているので顔を出してきます。終わったらまた連絡するので……」
俺がジルドからのメールを思い出し、立ち上がろうとした瞬間だった。和室に居た全ての人間が注目するほどの声量が目の前の潴溜から飛び出した。
「今すぐここから離れてください、天野先輩‼」
「りん、どうしたのですか」
「……詳しくお伝えすることは出来ませんが、ここで今、天野先輩を一人にするわけにはいかないのです」
「え? え? どうしたの三人とも?」
次の瞬間、俺の意識は一瞬の間に刈り取られた。
◆
文化部B棟地下三階。そこは大きなスーパーコンピューターが立ち並ぶ不気味な空間であり、基本的には立ち入り禁止区域となっている。
その中央には、四つの影が対峙していた。
神村ジルドと神影マリア、そして潴溜りんと白い外套を着た人物。
ジルドとマリアは潴溜と白い外套を着た人物からスーパーコンピューターを庇うようにして対峙しており、この四人が二人ずつに分かれて対立していることに気付くまであまり時間はかからなかった。
「思ったより速かったね。もう少しでこの『イヴリス』が起動するところだった」
「……ふん、アンタらのことだから人質を取るだろうと思ってアタシたちは常に気を張っていたのよ。どうせそのプログラムの起動までにはまだまだ時間がかかるんでしょ? そのくらいは予想の範囲内なのよ」
ジルドの言葉に白い外套を着た人物が反論する。その声色からどうやらその人物は同年代の女性であることが分かる。もしかしたら知らないだけで彼女も未来学園の生徒なのかもしれないが、あまり礼儀のある女性ではなさそうだ。
「それにしてもよくもあんなに離れた位置から誠也に幻覚をかけることができたわね。やっぱりアンタの能力は『視覚置換』で間違いないということかしら」
「おやおや、買い被りも甚だしいね。僕は彼にメールを打っただけさ。君たちが勝手に都市伝説研究サークルを退部するものだから辻褄を合わせるのに苦労したんだ」
「……天野先輩が急に白目を剥いて部室を飛び出すわけがないでしょう。神村先輩がこちらに接近していたことは分かっていましたが、能力の適用範囲を少々見誤っていました」
潴溜の見解にジルドがやれやれと両手を広げる。
「――ふん。ああも御大層にミス潴溜に身辺警護をされると手の内を晒さないわけにはいかなかったのさ。それにしても、よく僕たちが人質を取ろうとしていたことが分かったね」
「……アタシたちの目を欺けないと分かれば人質を取るしかないなんてことは少し考えれば分かることでしょ。コンピューターウイルスに手を出すなんてアンタたちも随分追い詰められているようね。ⅠSコーポレーションの企業スパイさん?」
神村ジルドと神影マリアが、ISコーポレーションの企業スパイ。
俺の意識が回復し、状況が分からず狸寝入りを決め込んでいたところに初めて知った衝撃の事実に背筋が凍る。
『未来区に潜伏する企業スパイ』
何てことはない、都市伝説研究サークルでジルドがそう発言したのは潴溜たちを煽ってのことだったのだ。それにしても企業スパイとはやけに現実感のない響きの言葉である。
「元はといえば君たちと協力して未来工業に潜入した計画が失敗したことが全ての元凶だろう? おかげでわざわざこうして未来区のネットワークが混雑する文化祭を狙ってあの装置を破壊するためのウイルスを頒布するなんていう惨めな工作活動を行う羽目になったんだ」
「あら、アタシたちは感謝してるわよ? だって面倒な能力を持つISコーポレーションの企業スパイがわざわざ自ら手の内をバラすような間抜けをやってくれたんだから」
白い外套を着た女性はそう言って数歩下がり、代わりに潴溜が風紀委員の腕章を巻き直しながら前に出る。それに呼応するかのようにマリアがその前に立ちはだかった。
白い外套を着た女性はやれやれ、と言いたげに首を横に振った。
「りん、ここでコイツら仕留めるわよ」
「はい」
「マリア」
「分かっています」
潴溜とマリアが前に出ることで、四人は均等の距離を空けて一直線に並び立つ。
マリアの右手には一丁の拳銃。そして彼女の指は何の躊躇いもなくそのトリガーへと伸びた。
潴溜は人間離れした速度で放たれた弾丸の雨を回避し続ける。そして瞬く間に二人の距離はゼロとなった。
「足止めを考えているのなら話になりませんよ。貴方の能力は『生物操作』であることは判明しています。そして、その対象に人間は含まれていない」
「……そう」
潴溜が掌底を容赦なくマリアの腹部に向かって押し込んだ。あの速度で放たれた衝撃を受けてはひとたまりもないだろう。一撃で死に至る可能性だって考えられる。
「終わりです」
「……そう」
マリアのか細い声が潴溜の耳に届くその刹那、小さな爆発音が鳴り響いた。
潴溜は放った掌がマリアの腹部に埋まっているのを見て、信じられないものを見たような表情でマリアの顔を見た。マリアはそれを好機であると機械的に処理したように潴溜の首筋に強烈な手刀を打ち込む。
潴溜はその攻撃をもう片方の手で塞ぎながら、何が起こったのかを理解しようとキョロキョロと視線を動かしたその瞬間、とんでもない光景が俺の視界にも広がっていた。
マリアの腹部は衝撃によって惨たらしく皮が剥げ、中から青色の液体が垂れ始めていたのである。
「……申し訳ありませんが、少々お時間を頂くことになりそうです」
潴溜はマリアの右腕を払い除けると、覚悟を決めたように戦闘の体勢を整え始めた。
白い外套を着た女性は激しくぶつかり合う二人の少女に一瞥を向けると、再びジルドへと視線を直す。
「――彼女、アンドロイドね。ISコーポレーションの生み出した軍事兵器の成れの果て、といったところかしら」
「……へえ、冴えてるじゃないか。その通り、彼女は我がISコーポレーションの生み出した正真正銘の軍事ロボットさ。僕は彼女と違って血の通ったただの優秀なエージェント、だけどね」
ジルドが話し終えると同時に二人は拳銃を取り出し、お互いに向かってその銃口を突き付ける。しかし二人は中々発砲せず、白い外套を着た女性はしびれを切らしたようにジルドに向かって再び話しかけた。
「……あら、撃たないの?」
「レディーファースト、という奴さ。どうやら君は能力を持っていないようだからね。ハンディキャップみたいなものさ」
「そう、案外紳士じゃない。それじゃあ遠慮なく死んでもらうわね」
言葉通りに白い外套を着た女性はジルドに向かって弾丸を放ち始める。しかしそれは決まってジルドから僅かに離れた地点を通過することとなった。しかし数秒後に彼女はそれを修正して今度はジルドの真正面へと弾丸が放たれた。
「アタシの視点を変えても無駄よ。アンタの能力が『視覚置換』であることは判明してるって言ったわよね? 夏休み最後の日、アンタはアタシとりんにその能力で自分の居場所を誤認させていた。向こうでメッキが剥がれている彼女の『生物操作』でカラスを操り私たちを混乱させるというオマケ付きでね。それならばアタシは自分の眼に頼らず、監視カメラの映像を使えば良い」
どうやら白い外套を着た女性は小窓に電子携帯を出現させ、この部屋の監視カメラの映像を常に確認してジルドの位置を把握しているらしい。
そして放たれた弾丸はジルドの眉間へと命中する。彼女はそう確信していたし、俺自身も無論そうなるだろうと思っていた。
それを突如現れた【もう一人の】神影マリアが叩き落とし、またジルドの位置がズレ始めるまでは。
「――一体、何が起きたっていうの」
「やれやれ、ミス園宮とあろうものが随分平常心を失っているようだ。君たちが言うところの『視覚置換』に対抗して監視カメラを使って位置を修正するまでは悪くない。……ただ、策に囚われすぎて僕の与えたヒントを見落としていたようだね」
白い外套を着た女性は突然現れた神影マリアと、依然潴溜りんと戦いを続けている神影マリアを交互に見比べると、
「……まさか、あの娘」
「そのまさかさ。機械に能力は得られない。それを証明するために重ねた失敗の数だけ彼女の身体は存在するのさ」
ジルドが白い外套を着た女性に銃を突き付け、こちらを見る。
「……動かないでください。動いたら、殺します」
いつの間に俺が覚醒していたことに気付いたのだろう。後ろから【更にもう一人の】神影マリアが突然現れ、俺の首筋にナイフを当てた。
「……誠也!」
どうして会ったこともない彼女が俺の名前を知っているのか。その理由も分からないまま俺はここで命を落としてしまうらしい。
「どうやらチェックメイトのようだ。イヴリスの起動も直に始まる。万全な準備を行っていた僕たちに正面から飛び込んでくるのだからどれほどの作戦を用意したのかと期待していたがどうやら期待外れらしい」
ジルドが眼下に向かって冷ややかな言葉を浴びせる。白い外套を着た女性はそれに返答する気も起きないようで、無言でそれを聞き流す。
「そうやって戦意喪失をしているフリをして何かを待っているようだが、残念ながら逃げ場はないし助けは来ない」
ジルドが白い外套を着た女性の眼前に拳銃を突き付ける。
「……どうかしらね」
白い外套を着た女性は気丈に言葉を返す。それが癪に障ったのか、ジルドは白い外套を着た女性の腹部を蹴り上げた。
「その減らず口を、二度と聞けなくしてやろうか」
ジルドが白い外套を着た女性の眉間に拳銃ではなく、右手を近付ける。すると、白い外套を着た女性はパニックに陥ったように何度も、何度も辺りを見渡した。
「……アンタ、まさか」
「そのまさかだ。『視覚置換』なんて言葉を使えば幻覚を見せるだけのチープな能力に聞こえるが、突き詰めるとそこはあまり重要じゃない。皮肉にもこうやって視界を奪う方が手っ取り早いのさ」
ジルドの能力によって彼女は目が見えなくなってしまったとでもいうのか。
そしてジルドは『彼女』の、その白い外套に手を掛ける。
「れい、な……?」
目の前で揺れる栗色のポニーテール、俺たちと同じ未来学園第二学年の制服、そしてキラリと光る銀色のブレスレット。
これらの光景が目に入った瞬間、俺は白い世界に居た。