第1話『Rolling Days』(4)
「――あ、起きちゃったか」
気が付くと、俺の視界には怜奈の端正な顔が映っていた。
「……何、してんだよ」
どうやら俺は自室に寝かされていたらしい。
既に窓から差し込む明かりは赤みがかかっており、日が落ちかけていることを示していた。
「別に。アンタが急に気を失ったみたいだから直前まで何やっていたのか少し気になっただけよ」
怜奈の言葉に従って記憶を探る。
「……朝練が終わった辺りから記憶があやふやだ」
「きっと落雷の後遺症よ。痛めた身体でバカやってるからそんな目に遭うの」
「うるせえな、洸一の奴があんなことを言うから……」
「洸一が?」
怜奈の予想外の追求に、俺は何も言葉が出せなくなる。
「……薄暗いから、明かりを点けるぞ」
「あっ、ちょっと」
電子携帯から自室の照明にアクセスして電気を点ける。
「怜奈お前、泣いていたのか?」
「……アンタこそうるせえわね。さっきまで見てたアニメが神回だっただけよ。本当に魔ケシは何回見ても泣けるわね」
部屋自体が暗かったため気付かなかったが、怜奈の目の下にはクマみたいなものが出来ており、表情も心なしか憔悴し切っているように見えた。
そして俺は、怜奈がアニメの神回なんて大切なものを自分の部屋以外では視聴しないことを知っていた。
「……少し、外に出ない? 行きたい場所があるの」
そう言うと怜奈は、俯いたまま俺の腕を取って裏庭へと飛び降りた。
◇
夏の終わり、その夕暮れ。
昼に比べて少し低くなった温度にオーケストラを奏でる虫の鳴き声がちょっとした哀愁を誘う。こんなに鮮やかな夕焼けは一年の中でも今日だけしか見られないだろう、そう感じるような切なさがそこにはあった。
そんな中、俺と怜奈は電車に乗っていた。
俺と怜奈の住む地域とは全く反対の方向へと向かって電車は揺れている。それはつまり、『未来区の外側』へと向かっていることを示していた。
「……人が、減って来たな」
何故か未来区から遠ざかろうとする毎に周りの乗客は少なくなっていった。既にこの車両には俺と怜奈以外誰もいない。まるでSF映画のワンシーンのようだった。
ガタン、ゴトン。
揺れる車体が決して短くない時間の経過を俺たちに伝えていた。
ほんの少し、怜奈に目をやる。
電車の行く先は分からない。
何を聞いてもたった一言、ついてきてという言葉しか返っては来なかった。
普段ならそれに対して文句を言うはずなのだがなぜかそうしたら今にも全てが崩れてしまいそうな、そんな怜奈の雰囲気を感じ取って俺は会話することを躊躇ったのだ。
――しかし、このままでは埒があかない。
俺は単刀直入に怜奈に一体何があったのか聞いてみることにした。
そんな、瞬間だった。
「……私たちが出会ったのも、こんな夕暮れだったわね」
「……怜奈?」
「――私ね、頑張ったんだ。アンタが入院したって聞いて、ビックリしちゃって。何で未来区でそういうことが起きたのか、どうしてあんなことになったのかって、必死で調べて。そうしたら、偶然この世界の真実に辿り着いて。……ううん、知ってたの。それでも見ないフリをしてた。だって、私一人じゃどうにもならなかったから。それでも何とかしようって足掻いて、失敗して、それでもどうにかなるんじゃないかって。そうしたら、こんなことになっちゃった。……バカだね、私」
怜奈と知り合ったのは中学生の頃。俺は当時、洸一との陸上部のレギュラー争いに必死で、朝から晩まで練習に明け暮れていた。
その光景を前に偶然通りかかった怜奈は、
『バカじゃないの』
『そんなことをしても何の意味もないのに』
『アタシはアンタの隣の家に住んでる園宮怜奈よ。何、知らなかったの?』
『意味がないって言ったのよ』
『何よ、本当のことじゃない』
『だって努力なんかしたって本当に何にもならないんだから』
『人はいつか死ぬわ』
『もしかしたらそれよりも辛い現実が待っているかもしれないわよ』
『だったら証明してみなさい。努力とその先にある結果の美しさでアンタの生きるその意味を』
そんな、出会いだった気がする。
記憶に穴が開きすぎている。俺の脳は壊れかけてしまっているのだろうか。
これが落雷の影響だったのなら、俺はもう一生治ることはないのかもしれない。
「……怜奈」
「……何?」
再び訪れた静寂の中、俺はポツリと怜奈に聞かせるでもなく呟いた。
「俺たちは、一体どこに向かっているんだ?」
怜奈はそんなこと、という様子で答えを簡潔に述べた。
「――外よ」
……外?
「この、檻の中から出るの」
「……檻? 檻ってどういう意味だよ」
「……未来区の外よ」
……未来区の、外?
怜奈は何かおかしなことを言っているような気がした。
当たり前の言葉を口にしているはずなのに、やけにその言葉は俺にとって新鮮なものに思えた。
……そういえば、俺は未来区の外に出たことが無かったような気がする。
と、いうよりも未来区の外に出るといった発想自体がなかったようにも思える。
「……やっぱり、誠也もそうなんだね」
一滴の涙が怜奈の右手首にある銀色の腕輪に零れては消えていった。
俺はとっさに怜奈の右手を自分の左手で静かに包み込んでいた。
ガタン、コトン。
車内アナウンスによって、終点を示す駅名が告げられる。
ガタン、ゴトン。
大きな門を目の前にして、ゆっくりと電車は停車した。
「……?」
――大きな、門?
そんなもの未来区にあったか?
「……あれは防国壁よ」
――防国壁。
そんなもの、俺は存在していた事すら知らなかった。
まるで未来区が外との接触を断絶しているかのように、巨大な壁が未来区を覆うようにして聳え立っていたのだ。
こんなに巨大なもの、遠くからでも見えないわけがない。
そんな物の存在を、俺は今の今まで知らなかったというのか。
『――終点、終点です。お降りの方はお忘れ物のないようにお気を付けください。この電車は未来鉄道各線への連絡は――』
俺と怜奈は、手を繋いだままゆっくりと終点へと足を踏み入れた。
そこは、誰もいない無人駅だった。
怜奈はグングンと歩き続け、関所のような場所へと俺の腕を引っ張っていく。
そこで怜奈は、ピタリと立ち止まった。
「恐らくここから出たら、誠也は私のことを忘れてしまう」
「それって、一体どういう……」
「だから私は、誠也に話さなきゃいけないことが――」
その瞬間、突然サイレンのようなものが鳴り始めた。
「……そっか、もう遅いんだ。そうだよね、こんな所に来ちゃったらこうなるよね。何やってるんだろ。ほんとバカだな、私は」
みるみるうちに怜奈の顔色が悪くなっていく。
「――誠也、大好きだよ」
そう言うと怜奈は背伸びして、おずおずと俺の両頬に手を添えた。
しかし照れなのか不安なのか、怜奈はその状態のままいつまで経っても次の行動を起こせずにいた。
「――ああ、俺もだ」
普段は回りくどいくせに、こういう時だけはシンプルだ。
俺は怜奈の肩に腕を回し、プルプルと震える怜奈の唇に自分のものを重ねる。
緊張で味なんて全くしない。強いて言えば怜奈の涙で少し塩辛かった。
「さよなら」
次の瞬間、俺の意識は心臓を掴まれるかの如く刈り取られた。
身体が倒れる瞬間、最近見慣れだしたオレンジ色の髪が防国壁の外から走ってくる姿が見えた。
『――こんなこと、気休めにしかなりませんが、園宮先輩は、私が絶対に死守してみせますから』
そして、何も、聞こえなくなってしまった。
………………。
…………。
……。
◆
いよいよ明日は文化祭だ。
俺はベッドに座りながら高揚した気分を落ち着かせようと電子携帯を出現させる。
昨日と今日で学校に泊まり込みで文化祭の準備を全て終わらせたためやるべきことはもう何もない。後は万全の状態で明日を迎えるためにさっさと眠りにつくだけだ。
俺は明日の用意を済ませて机の上に鞄を置くと、すぐに寝てしまった。