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プロローグ

『落雷直撃 男子高校生重体か 未来区南部』

 午前十時十二分、未来区南部の未来湖で男子高校生の天野誠也さん(17)が落雷の直撃により未来病院へと緊急搬送されたことが分かった。未来署によると天野誠也さんは当時、未来湖で釣りを行っていたと見ている。〔未来日報夕刊より抜粋〕





 やけに眩しい日差しが視界を一瞬見えないものとする。

 季節は夏。気温も高く、ジメジメとした湿度が身体を襲う。それに対して俺はいよいよ我慢ができず、自転車を止めて手のひらで日光を遮った。


「暑いな……」


 八月一日、午前九時十六分。

 地球はいよいよもって熱気で人類を根絶やしにしようと決めたのだろう。思わずそんなありふれた想像をしてしまうほどの暑さである。日光はいともたやすく手のひらの内側へと侵入し、それでも滲み出るオレンジ色の光が俺の視界を翻弄する。

 だから俺が部活をサボって未来湖へと向かってしまうのは仕方のないことなのだろう。そんな言い訳を考えながらもう一度ペダルに足を乗せ、目の前にある長いながい坂を再び登り始める。


「そろそろか……」


 蒸し暑さを避けるかのように、自転車カゴの中の仕掛けが揺れた。



 中部地方南部の外れに位置する未来区。

 機械産業くらいしか誇るところのない田舎町であった未来区が日本の首都となったのはもう十年以上も前のことである。

 世界的に有名な科学者、岡崎幹也おかざきみきやがこの地に『未来工業』を設立してからはトントン拍子に遷都が進み、皇居に首相官邸、更には国会議事堂までもがこの街へ移ったことにももうあまり違和感はなくなってしまっていた。

 だから当然この街に自然なんてあるはずがない訳で、俺が現在向かっているのは未来湖と呼ばれるこの未来区に唯一存在する人工の釣りスポットである。


「夏休み初日だっていうのに、相変わらず人がいないな」


 俺は乱れる息を整えながら駐輪場に自転車を停め、お気に入りのポイントへ向かって歩き始める。そして到着するやいなやすぐに鞄の中から仕掛けを取り出し、準備を進めていく。



 ……ところが、だ。



 釣りを始めてから十分も経っていないはずが、ポツリと手の甲に大粒の水滴が滴った。

 ふと空を見上げるといつの間にか雨雲が広がっており、瞬く間に落ちてくる水滴の量が増え始める。やがて、雷の鳴る音まで聞こえ始めた。


「予報では晴れだったのに、ツキがないな……」


 すぐに道具を片付け、森を出るために急いで走り始める。そして出口を通り抜け、自転車を停めた場所まで辿り着くと同時に自転車に跨った。

 そして手のひらの上部に電子携帯を出現させ、


「もしもし母さん? そう、雨。夕飯の魚は悪いけど買って来て……」



 ――俺がそう言った瞬間だった。



「!?」


 轟音が耳を突き、俺の視界が真っ白になる。一瞬、稲光が煌めいたかと思えば俺の身体が横倒しになっていた。


「……ぐっ」


 何かが起こった。

 身体中が思ったように動かない。背中が尋常ではない程の痛みを訴えている。俺は反射的に地面を転がり回ってその痛みを抑えつけようとする。


「く、そッ」


 痛いなんてものではない。ただひたすらに熱いのだ。俺は必死に歯を食い縛りながら救急車を呼ぶためにもう一度電子携帯を出現させようとする。 

 しかし、それは叶わなかった。

 意識が零れ落ちる瞬間、俺は確かにそれを見た。一面に生る草木が黒く焼け焦げ、更には直径一メートルはあるであろう歪な紋様が俺の隣に出来ていた。


 ……いや、隣などではない。あの場所は先ほどまで俺がいた場所なのだ。


 一体何が起こったのか。



 雷が、背中に、直撃した。



 それが答えだった。

 朦朧とした意識の中で必死に助けを呼ぼうとするが、俺はいとも簡単に気を失ってしまう。



 もちろん、その身体に一つの力を宿して。





「やっと目覚めたか。随分と久しぶりだな」

「……その声は洸一か?」


 考えるよりも先に言葉が出ていた。とっくに意識は戻っていたのだろう。気が付くと俺はベッドに横たわっており、それと同時に目の前で俺を覗き込む男の存在を認識する。


「幸運だったな誠也、目覚めて最初に視界に入るのがこの男前でよ。さっきまで顧問のヒゲオヤジが見舞いに来てたんだぜ」


 そう言いながらその男は椅子に腰かけ、手に持っていたリンゴに齧り付く。見間違えようもない、洸一だ。

 閉塞的なこの白い部屋はどうやら病院の一室なのだろう。背中の痛みは消えているため未だに半信半疑ではあるが明らかに大手術を終えたであろう痛々しい傷跡が鏡も使わないでも視認できたところを見るに、どうやら雷が俺に直撃したのは紛れもない事実らしい。


 二宮洸一にのみやこういち

 俺の同級生であり長躯。一般的な男子高校生よりも明らかに長い髪がトレードマークであるこの男は俺の悪友である。しかしそんなことよりも、俺は変わり果てた洸一の姿に違和感を覚えていた。


「……お前、そんなに髪が長かったか?」


 幾ら長髪とはいえその長さはあくまでも男子高校生の域を超えない程度のもので、今のように軽く後ろで縛ることができるほどではなかったはずだ。しかし今現在、目の前にいる洸一は髪を後ろで軽く縛り、小さなポニーテールのようなものを作っていた。


「あー、それはだな……」


 いつの間にか洸一によってナースコールが押されていたのだろう。俺の病室にドラマでしか見ない人数の医師とナース、更には陸上部の顧問である北村が「奇跡だ」なんて呟きながら入って来て、次々と俺の両手を包み込み始めた。



「――今日、夏休み最終日なんだ」



 洸一の言葉に俺の頭はハンマーで後頭部をぶん殴られたかのような衝撃を感じていた。

 セミでももっと時間にルーズな生き方をするだろう。どうやら俺は夏休み初日に雷に撃たれて意識を失い、よりにもよって夏休み最終日に意識を取り戻したらしい。


「俺の、貴重な高校二年の夏休みが……」


 俺は乾き切った笑みを浮かべながらグリグリと頬に押し付けられる北村の無精ヒゲを無表情で受け入れていた。





「何も夏休み最終日に目を覚まさなくても良いだろう」


 検査もひと段落し、ようやく未来病院の医師たちから解放された俺は見舞い品を整理しながら退院するための準備を進めていた。

 世界最先端の未来区の医療施設を舐めてはならない。母親から莫大な入院費のタレコミも届いている。


「まあそう文句ばかり言うなって。夏休みの宿題はやらなくても良いらしいじゃねえか」

「むしろある方がおかしいだろ。日記帳が本当の意味で夢日記になってしまうぞ」


 未来学園は初等部から大学部までのエスカレーター式の学校であるため受験の必要は無いが、それでも高校二年生の夏を丸ごと失った気落ちは大きい。


「クラスの連中にも連絡入れとけよ。初めのうちはあいつらも何回か様子を見に来てたんだぜ」

「そうだな、家に帰って一息入れたらすぐにでも連絡を入れるよ」

「おう。それじゃあ一足先に俺が速報を入れておいてやるよ」


 洸一が俺の入院していたベッドに寝転がりながら無造作に電子携帯を出現させる。クラスメートの連中にメッセージを送るためだろう。


 電子携帯。

 これは未来工業が開発した最新型の携帯電話である。

 何が凄いのかといえば、この電子携帯は形を持っていない。電波の届く範囲内ならばどこでも手をかざすだけで携帯画面を出現させることができるという便利な代物だ。


「よっ、と」


 洸一が連続で素早く文字を入力し、メッセージを送信しようとする。



 その瞬間、激しい頭痛が俺の脳を抉るように襲いかかった。



 その痛みはどこか落雷が直撃した際に感じた痛みを思い出させた。しかしもちろん背中に痛みはなく、脳だけが割れるような痛みを訴えていた。

 自分が何十人にもブレているかのような感覚の中、俺の脳裏にはあの落雷の衝撃が何度もフラッシュバックしていた。


「……ッ!」


 あまりの激痛に頭を抱え込んでしまう。その僅かコンマ数秒後、頭の中へと無数の信号が雪崩のように流れ込んできた。


『何だよ、不安にさせんなよな』『誠也君よかったねー!』『っていうか宿題免除って羨ましいなオイ』『つかやっと北村の機嫌が戻るなこれで、お前ら北村のオキニだから夏休み中荒れまくってて地獄だったわマジで』『退院オメ』『つーか洸一部活終わりマジで毎日行ってたのか? あの病院結構遠いのに偉いな』『三百円に負けてくれ』『誠也に言っとくけど俺ら夏休み前半はマジで皆で行ってたからな!』『村谷君言い訳がましー』『誠也君よかったねー!』



『誠也の意識が戻ったぜ。ちなみに夏休みの宿題のコピーは一律千円な』



「何だ、これ……」


 痛みに朦朧としながらも、その不可思議な感覚に俺は言葉も発せられなくなる。しかしまた唐突にその痛みは去っていった。


「誠也! 大丈夫か!」


 焦った表情の洸一が心配そうに俺の顔を覗き込む。


「――あ、ああ」


 それよりも気になるのは俺の脳へと突然流れ込んできた幾つもの文字の嵐、そして最後のメッセージの文面だ。


「……洸一、悪いが送ったメッセージの文面を見せてくれないか?」

「あ、ああ。別にいいけどよ」


 俺の言葉に洸一がどうにも腑に落ちないような表情のまま電子携帯を出現させる。


「ほらよ、これでいいか?」


 そんなわけないと思いながらも、どこかでその予感は当たっているのではなないか、そんな相反した思いが胸の鼓動を加速させてゆく。

 俺の視界にメッセージの文面が表示される。



『誠也の意識が戻ったぜ。ちなみに夏休みの宿題のコピーは一律千円な』



 その内容は俺の脳内に入り込んできた文面と、完全に、一致した。

 それはつまり、俺が洸一に届いたメッセージを盗み見ることができたということの証明となる。


「……悪い、もういい。ありがとう洸一」


 焦りを必死で隠そうと洸一への感謝の言葉を口早に述べる。


「ああ、またナースコールを押した方が良いか?」

「いや、大丈夫だ。多分落雷の後遺症のようなものだろう」


 そんなわけないと分かっていながらもそう言って自分を無理やり納得させる。

 どちらにせよ未来病院による精密検査が行われた上で何も分からなかったのだ。『メッセージの文章を盗み見ることができるようになった』と医者に相談して何が変わる。


「あまりに酷いようだったらしっかりと再検査してもらえよ。……俺はそろそろ帰るぜ、バスの時間がもうすぐだしな」

「ああ、ありがとう。また明日学校でな」


 そういえば、と扉の前まで進んでいた洸一の歩みが止まる。


「怜奈にはもう連絡入れたのか? もう夏休みも終わりだろ」



 ――一瞬、あまりもの恐怖に痛み全てが吹き飛んだ。





 家に着く頃にはすっかり辺りは薄暗くなってしまっていた。

 未来区南部。未来区でも比較的裕福な人間が住むこの地域に俺は幼い頃から暮らしている。両親供に一流企業である未来工業で働いているということもあり天野家は世間一般的には裕福と呼べる大きさの一軒家で暮らしているのだが、ここら一帯にある居住と比べれば平々凡々であると言わざるを得ない。あまりにもご近所様が規格外すぎるのだ。

 そんな街並みを眺めながら俺は実に三十九日ぶりの自宅に帰宅する。するとキッチンで母親が夕飯を作っている光景が視界に映った。


「誠也お帰り。明日の準備はしっかりやっておきなさいよ」

「ああ、今からするよ」


 息子が雷に撃たれて帰ってきてもいつも通りの居間を通り抜けて俺は自室に向かい、ベッドに腰掛けて電子携帯を出現させる。

 取り急ぎ仲の良いクラスメートに連絡を入れると、俺は意を決してゆっくりと幼馴染の園宮怜奈そのみやれいなの携帯番号へとコールした。


 当然、繋がらない。


「――まあ、そうだろうな」


 だから俺はこんなにも慌てているわけで、


「……覚悟を決めて行くしかないか」


 俺は窓を開けると無言で自室から庭へと飛び降りた。

 そして庭から裏道へと抜け出し、通路を曲がった先の大豪邸の使用人用出入口のベルを鳴らす。


「はいはい、どちら様でしょうか」


 しばらくするとドタドタと階段を駆け下りる音が鳴り響くと共に玄関が開き、園宮邸に住み込みで働いている家政婦の二田にたさんが独特のニタッとした笑顔で俺を出迎えてくれた。


「お元気そうで何よりです天野の坊ちゃん。お身体に支障はございませんか?」

「はい、大丈夫です。こちらこそ何度かお見舞いに来て頂いていたそうでありがとうございました。怜奈は家にいますか?」

「ええ、いつも通りお部屋にお引き籠もられておいでです。このまま坊ちゃんが目覚めなければ永遠に外に出ておいでにならないのではとこの二田案じていたものですよ」


 園宮怜奈。

 俺や洸一の幼馴染でありながら大豪邸に住むお嬢様。……のはずなのだが、何の因果かオタク属性を併せ持つ彼女は長期休みに入ると同時に自分の部屋へと引き篭もる。

 大方深夜アニメでも夜通し観ているのであろうが、幸か不幸か彼女の名誉ある幼馴染の座を獲得してしまった俺は「長期休みの最終日の三日前」を彼女に伝えに行くという名誉あるお役目を仰せつかってしまったのである。


「それじゃあ早速起こしてきますね」


 お願いしますと深々と頭を下げる二田さんに軽く会釈し、園宮邸の最深部に位置する怜奈の部屋へと向かい始める。何も部屋まで引き篭もらなくても良いだろうと心の中で悪態をつきながら歩みを進めるが、それと同時にようやくいつもの日常に帰って来たのだと少し安堵する。それに、どうしてか怜奈の頼み事は断れないのだ。


「――おい怜奈、俺だ。天野誠也あまのせいやだ。起きてるか?」


 怜奈の部屋を数度ノックし、その名前を呼ぶ。すると意外にも早く、怜奈の返事が聞こえてきた。


「んんっ……」


 怜奈の間の抜けた声が扉越しに響く。


「もう夜の八時だぞ、まだ寝てたのか?」

「ちょっと待ちなさいよ。……今着替えるから」


 今頃、伸びきった栗色の長い髪を無造作にポニーテールへと纏めているのだろう。僅かに着替えの音が聞こえてくる。


「アンタが家に来たってことはまさかもう夏休み終了の三日前ってこと? 去年よりも短くなったんじゃないの、夏休み」


 怜奈は一体何を言っているのか。俺が伝えにくるのが遅れた分、去年より夏休みの日数が丸々三日分上乗せされているはずで、短くなったなんて感想が出てくるはずがないのだ。 

 未だに寝惚けている怜奈を、俺は容赦なく絶望へと叩き込む一言を告げる。


「明日、始業式だぞ」

「……はぁ?」


 時が止まった。

 主に怜奈の。


「今日まで入院していたから伝えにくるのが遅れたんだ。それも聞いてなかったのか?」

「……明日までに宿題終わる気がしないんですケド」


 怜奈は俺が長期休みの最終日の三日前を伝えに来てから宿題を始める。幾ら怜奈が成績優秀とはいえ、今から夏休みの宿題を始めるとなると明日までに間に合わせるのは至難の業だろう。


「それじゃあ伝えたから俺はもう帰るぞ」


 このままここに居れば手伝わされる羽目になりそうなので適当な慰めの言葉を贈って立ち去ろうとする。その瞬間、唐突に怜奈の部屋からメッセージの受信音が鳴り始める。



 ――そして、余りにも良いタイミングでそれは始まった。



 ノイズが俺の脳内に鳴り響く。

 そんなサイレンにも似た喧噪の中、俺はなんとか明瞭な言葉を手繰り寄せる。



『警告十四。これ以上天野誠也に情報を与えればその男を迅速に始末する』



 明らかに普通ではないその文面。

 俺は即座に洸一に連絡を取ると、逃げるようにその場を去った。





「本当に怜奈が脅迫されてるってのか? あの怜奈が?」


 突然の呼び出しだというのに快く応じてくれた洸一の当然の疑問に俺は無言で頷きながら自室の窓から園宮邸へと視線を向ける。


「ああ、間違いない。今日中に怜奈が屋敷を抜け出すようなことがあれば確実だ」


 洸一には俺がメッセージの文章を盗み見ることができるようになったことはまだ話していない。洸一は信じてくれるだろうが説明をするのに時間がかかり、その間に怜奈を見逃してしまっては元も子もないからだ。

 怜奈の一挙手一投足が監視されているかもしれないこの状況で怜奈を問い詰めるよりも、こうして怜奈の動向を探る方が賢明だと考えての咄嗟の判断だったが、あながちそれは間違いではなかったように感じる。

 それに何より、怜奈の下へ届いたメッセージには続きがあったのだ。



『命令三十五。本日二十三時、未来区南部の未来湖の畔へ来い。くれぐれも誰にも悟られるな』



 それは奇しくも俺に落雷が直撃した未来湖の近くだった。現在は二十一時二十八分。未来湖まではどんなに急いだって一時間以上はかかる。ということは怜奈はあと三十分以内に屋敷を抜け出す必要があるという計算になる。


「――来た、怜奈だ。行くぞ洸一」


 正門とは別の俺が先程出入りした使用人用出入口の扉が僅かに開き、見慣れた栗色のポニーテールが躍り出る。


「本当に出てきやがった。怜奈が夏休み中に外出するなんて、明日は誰か雷に撃たれるんじゃないか?」

「……風刺するには早すぎないか」


 俺と洸一は忍者のように無音で窓から庭へと飛び降り、適度な距離を保ちながら怜奈を尾行し始める。

 怜奈が危険な目に遭っているのならば、俺たちは絶対にそれを救い出さなければならない。


 俺たちは、未来湖への坂を登り切った。





「おい誠也、アレじゃないか?」


 怜奈の後を追って、俺たちは未来湖最深部の不気味な空間へと辿り着く。


「ここは……」


 不思議な空間だった。カラスの鳴き声がやけに大きく聞こえていた。通い詰めているとはいえ広大な未来湖の全てを把握できているわけではない。十メートル程先の草木に覆われた謎の空間で、怜奈はフードを被った人物と対峙していた。


「おいおい、怜奈を脅迫している奴って本当にアイツか? 中学生くらいの身長に見えるぞ」


 洸一の身長が平均的な男子高生の基準を大きく上回っているだけで、怜奈は平均的な女子高生の身長を下回っているわけではない。しかし、それにしても怜奈と対峙している人物の身長は一回り小さく見えた。


「そのはずだが……」


 まさか怜奈のオタク仲間との深夜オフ会だったなんてことはないだろうな? そんな考えが一瞬俺の頭をよぎるが、俺の存在を認識した上で何者かが怜奈に脅迫メールを送ったことは紛れもない事実だ。油断してはならない。

 それに、怜奈の服装にも違和感を覚えて仕方がない。

 外聞を気にする怜奈は普段あんな地味な外套を身に付けて外を出歩かない。距離を大きく取っているため会話はほとんど聞き取れないものの、怜奈とその人物の外套は似たような生地のものに思えた。


「何やら揉めているようだな……」


 切羽詰まった、というわけではないものの会話はそれなりに緊迫しているように見えた。心なしか二人の語気もそれなりに荒くなっているような気がする。怜奈が話している人物の声は見た通り怜奈よりも比較的若い女性のもののようだ。それも、女子中学生くらいのような。


「どうやら、お前の考えすぎみたいだぜ」


 洸一が踵を返そうとしたその刹那、俺たちの暮らす日常には全く相応しくない音量の銃声が鳴り響いた。俺と洸一の間の抜けた声が同調する。小柄な人物は怜奈を守るようにして位置取り、ある地点を見つめていた。



「――ようやく見つけたよ。手こずらせてくれたじゃないか」



 怜奈たちすらも意図していない来訪者だったのだろう。視線の先を見ると、未来学園高等部の制服を着た金髪の男が拳銃を二人に突き付けていた。

 しばらくの間、静寂が訪れる。


「……おいおい誠也、あの拳銃持ってる奴って隣のクラスの神村ジルド(かみむらじるど)じゃないか? 廊下ですれ違ったことがあるがあんな風貌だったのを覚えてるぜ」


 その言葉と同時に、俺の中でも金髪の男がその神村ジルドの姿に結びつく。


 神村ジルド。

 今年の四月に未来学園へと編入してきた白人のクウォーターである。どこの国の出身かは知らないが、日本人好みの外国人顔のため女子生徒からの人気は高い。


 怜奈と小柄な人物はそれを見て即座にフードを下ろし、警戒を続けた表情のままジルドから少し距離を空ける。距離的にも俺たちのいる場所と縮まり、小声で会話していた二人の声も少しずつ聞き取れるようになり始めた。


「企業スパイ風情が何の用でしょうか。生憎ですが、こちらもさして重要な情報は持ち併せてはいませんよ」

「りん、挑発に乗っては駄目よ」


 ジルドに向かって大胆な物言いをしたのは、怜奈にりんと呼ばれた小柄な少女だった。遠目から見ても分かる通り、彼女の身長は怜奈よりも一回り小さい。オレンジ色の髪をビー玉のようなアクセサリーでおさげにしている彼女もまた同様に未来学園高等部の制服を着用していた。あのネクタイの色を見るにどうやら一年生のものだろう。注視すれば、右腕に『風紀委員』と書かれた腕章が見えた。


「不穏分子は取り除いておくに越したことはない。銃弾を払い除けるような化け物なんて計画の邪魔にしかならないからね」


 その言葉を額面通りに受け取ればあのオレンジ色の髪の少女はジルドによって放たれた銃弾を払い除けたということになる。これが何かの撮影じゃなかったのなら漫画の世界だ。


「だから私は、あなたたちの邪魔はしないと言っているんですけどね」


 一瞬、オレンジ色の髪の少女がこちらを見た気がした。

 怜奈が走り出した瞬間、無慈悲にもジルドの持つ拳銃が再び唸りをあげる。それは完全なる非日常だった。目にも止まらぬスピードで放たれる銃弾の間隙を縫い、オレンジ色の髪の少女はジルドへと向かって駆けていく。

 しかしジルドもまた、非日常の存在だった。

 オレンジ色の髪の少女の拳は、至ってとんちんかんな場所で空を切る。


「おいおい、何やってるんだあの子。やっぱり何かの撮影ってわけじゃないのか?」


 その少女にとってもそれは不可解な現象だったのだろう。ジルドと少しズレた空間を交互に見ながら呟いた。


「信じがたい話ですが、やはりあなたも何かしらの能力を持っているようですね」


 少女は素早く腕まくりをして後方の怜奈から距離を取るように前方へと移動し、ジルドと再び相対する。


「良いね。今宵は多少、相手をしてもらえそうだ」


 異様な光景だった。

 分身して見えるかのように動き回る少女の拳は、ジルドとは微妙にズレた位置に放たれ続ける。その度にジルドは僅かに移動し、拳銃を彼女に向かって放ち続ける。


「……少し、分かってきました。あなたは躱しているというわけでは無さそうですね、私の拳を」

「それはあくまで結果を述べているだけであって、理由を述べているわけではないね。だから君の推理は不正解としよう」


 二人の会話から推測する。ジルドは少女に幻のようなものをかけていて、別の位置に少女の攻撃を誘導しているということだろうか。

 難しいことは分からないが、彼女は怜奈を守っていて、ジルドは怜奈を脅かす存在だということだけは確かだと脳に強く焼き付けた。


 数舜の静止が在り、やがてまた時は流れ始めた。


 布石は最初から撒かれていたのだろう。未来湖を覆い尽くしていたかのようなカラスの群れが、一斉に少女の下へと飛び掛かった。


「在り得ません。一人の人間が複数の能力を手に入れることが可能だなんて」


 少女は誰かを探すかのように視線を動かし始める。


「殺しはしないさ。君には聞きたいことが山ほどあるからね」


 包囲網を敷くかのように少女に向かってカラスの大群が飛び掛かっていく。そして少女がそこから抜け出す空間は一点しか存在しなかった。

 それはジルドの罠だったし、少女ももう少し冷静な状況であったのならばその意図を理解できたことだろう。

 囲い込むカラスの群れから抜け出る隙間は一つしかなくて、その隙間の前方から少女に向かって銃を構えるジルドの姿を確認することは、やけに簡単に思えた。

 だから、見逃してしまったのだろう。


 カラスの群れの死角から怜奈を狙うようにして襲いかかる、また別のカラスたちの存在を。


「危ない!」「危ねえ!」


 だから、叫んでいた。

 思わず俺と洸一は立ち上がって叫んでいたのだ。

 ジルドの視線が俺たちに集中する。

 その隙を突いて少女はカラスの檻からの脱出に成功し、怜奈へ襲いかかるカラスたちを叩き落した。


「誠也、洸一、アンタたちどうして……」

「跡をつけられていたようですね。私も先ほど気付きましたが」


 どうやら先ほど少女に視線を向けられたのは気のせいではなかったようだ。


「……へえ、面白いじゃないか」


 ジルドは興味の対象を俺たちへと移したようで、ゆっくりと俺たちに近付いてくる。


「何をするつもりですか。あの方たちは無関係です、放っておいても『同期』が来るので害はないでしょう。あと一時間足らずで彼らに何かできるとは考え難いはずですが」

「逆さ。あと一時間もあるんだ。人間の行動力を侮ってはいけないよ」


 含んだ笑みを浮かべながらジルドが怜奈の顔色を窺う。怜奈は心配そうにこちらを見つめている。どうやら一時的とはいえ、向こうの危機は脱したようだ。


「――やべえな、逃げるぞ誠也」


 洸一の言葉に賛同し、俺たちは未来湖からトップスピードで撤退を開始する。


「さあ君たち。運が悪かったね――」


 ジルドが銃口を俺たちへと向けながらこちらに向かって歩き始めたようだが、俺たちには関係ない。

 未来学園陸上部二大エースの本領発揮、というところか。

 夏休み前のテスト期間も加えると二ヵ月近くまともに練習できなかったブランクがあるものの、上手く途中まで誘導したジルドを一気に振り切り、俺たちはかなりの距離を走り抜けて未来湖から脱出していた。


「……ったく、こりゃ漫画やアニメの世界ってわけじゃなさそうだぜ誠也。敵から足腰で逃げ切る主人公なんて聞いたことがねえ」

「ジルドが転校生というのも一役買ったみたいだな。あの様子だと俺たちの通り名はまだ知らなかったみたいだ」


 勝利の余韻に浸りながら、俺たちは未来湖の入り口付近の草むらで両手を広げて寝転がる。


「……どう思う、誠也。一度戻った方が良さそうか?」

「ああ。どちらにしても一度怜奈と話し合った方が良いだろうな」


 切らせた息を整えながら、俺はふと電子携帯を出現させる。

午後十一時五十八分。

 俺の夏休みは非日常から始まり、そして非日常で幕を閉じるらしい。そんなことを思いながら俺は先ほどの少女の言葉を思い返していた。


『放っておいても『同期』が来るので害はないでしょう。あと一時間足らずで彼らに何かできるとは考え難いはずですが』


 同期、同期って一体何だ? 電子携帯のデータを別の媒体にコピーするときのものだろうか。それとも俺で言う未来学園第二学年の同窓生が駆け付けてくるというわけでもないだろうし、はたまた何かの隠語? そんな考えが俺の脳内をフワフワと舞い踊る。

 思考の波を泳いでいく。

 息が整い始めると、途端に目蓋に重圧がのしかかり始めた。

 こんな時だというのに急に眠くなって……。


 その瞬間、目蓋が重くなり始めると同時に、俺は白い世界を漂っていた。


 俺は、そんな夢現の世界である物を見る。

 直径五メートルはあるであろう大きな機械。

 これは、何だろう。

 俺はそれにそっと手を伸ばす。



 ――その瞬間、時計の針の音が鳴った気がした。

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