5. ゲラン・ゲビッツは名前を覚えて貰えない
本日三話目です。
アニス達は、翌朝、日の上がる少し前に宿を出る。馬車はカイト達が用意してくれていたものだ。
御者台にはカイトとアニスが座り、クラウディアとフィーナは荷室の側に。
二輪車に乗るシズアとジャックが街の門のところで手を振って見送ってくれた。
このあとシズア達は街の反対側の門から二輪車に乗っていく予定だ。この時間だとまだ暗いから、もう少ししてから出発だろうかとアニスは考えるが、そう言えばシズアは探索魔法で状況把握していたので明るさは関係ないかと思い直す。
ジャックはシズアと二人きりなので、もしかしたら良いことがあるかもと邪な考えを抱いている可能性もある。だが、シズアが二輪車を走らせ始めたらそれどころではなくなるに違いない。どんなことになるのか楽しみだと、進む道の先をぼんやり眺めながら考えていた。
「なあ、アニス」
手綱を握っているカイトが話し掛けて来た。
「何?」
「シズアと君、姉妹なんだろう?」
「そうだけど、そのこと話したっけ?」
宿からこっち、その手の話はしていなかったよな、とアニスは思い返す。
「二輪車を乗り回している冒険者の姉妹のことは、一時期話題になっていたんだよ」
「あー、そういう。まあ、秘密でもなんでもないけどね」
アニスは返すが、そのことはカイトに取って重要なことではないようで、カイトは勝手に話を先に進めた。
「その後、二輪車がラ・フロンティーナ様に献上された。その二輪車を調べた技術者達が驚いたことがあるんだが、それが何か知ってるか?」
「見たこともない付与魔法と、それに記されていた名工ゼペックの印って話?」
「そう。当事者だから当然知っているか」
「まあね。でも、私達は賢者様から貰っただけだから、よく知らないんだけどね」
アニスは予防線を張る。実のところ、魔法付与を行ったのはゼペックの教えを受けたアニス自身なのだが、それを明かすと面倒になるのが目に見えているので隠し続けている。
「何にしろ、賢者は君達にそれを託した。そして、それはラ・フロンティーナ様の手に渡った。私はそこに重要な意味があるのではないかと思っている」
「ただの成り行きかも知れないよ」
「成り行きにも意味はあると思わないか?物事には大体因果関係が存在するだろう?君達が賢者から二輪車を受け取ったのには何か理由がある筈だ。それが賢者の側にあるのか、君達の側にあるのかは不明だが」
「ふーん、カイトって真面目だね」
「それが私の取り柄だと考えているからな」
まったくこの真面目人間は、自分が核心を突こうとしていることに気付いているのかどうなのかと、アニスは内心冷や冷やしながら受け答えをしていた。
が、そろそろこの会話は終わりに出来そうだ。アニスが展開している探知魔法に引っ掛かるものがあったから。
それは馬車の後ろから物凄い勢いで近付いてきた。速度は落としつつあったが、それでも馬車を余裕で抜き去り、前方100mくらいのところで横滑りしながら止まった。
何てことはない、シズアの運転する二輪車だった。出発してから間もなく一時間と言うところで追い付いて来た。まあ、大体予想通りではある。
「シズー」
アニスが手を振ると、シズアも手を振って答える。
しかし、二輪車の後ろに座っていたジャックには動きが見えない。
カイトが二輪車の手前で馬車を停めると、アニスは御者台から飛び降り、走って二輪車に近寄る。
見るとジャックは泡を吹いて失神していた。勇猛果敢で有名な人狼族でも失神することがあるらしい。
「ありゃ。シズ、ジャックはいつ頃からこうなってたの?」
「割りと最初の方から騒いではいたわね。どこで大人しくなったのか、記憶にないわ」
「あ、そ。ジャックも可哀想に」
それでもシズアにしがみ付かなかったのは偉いと、アニスは心の中で褒めた。
そしてカイトに手伝って貰い、ジャックを馬車に運んで寝かせる。まだ目的の街までは時間が掛かるし、到着までにはジャックも回復するだろう。
「今度はカイトが試してみる?」
「いや、止めておこう。作戦の実行に支障が出そうな予感がする」
「まあ、そだね」
これ以上、仲間が増やせそうにないのは残念ではあるが、今回の目的は別にある。
アニスは素直に諦めて、シズアに二輪車を仕舞い、馬車に乗るようにお願いした。
それからは波乱もなく、馬車は目的地の街に到着する。
馬車溜まりでは、乗合馬車が一台見えたが、故障したのか移動式の台座に乗せられ車輪が外されていた。
アニス達が馬車を停めて、その様子を眺めていると、一人の旅人の格好をした長髪の女性が近付いてきた。
「あの、冒険者の方々でしょうか。この先の街に行きたいのですが、乗合馬車が故障してしまって。もしよろしければ、私を馬車に乗せて行っていただけないでしょうか。お礼はいたしますので」
相手が女性だからと、クラウディアとフィーナが馬車から降りて応対する。
「私達、依頼を探しにどこか大きな街に向かおうとしていたのですが、それでよろしければ」
フィーナが伝えると、女性は喜びの色をみせた。
「ええ、十分です。お願いいたします」
その時、突風が吹き、女性の髪が大きく舞い上がった。
「あら、綺麗な御髪が乱れてしまって。失礼」
女性の返事を待たずにクラウディアがさっと前に出て女性の頭からカチューシャを外す。
すると女性だった人物の顔が変わり、男の顔になった。カチューシャは姿を変える魔具だった。
「やはりゲラン・ゲビッツか」
事前の情報で、標的が女性に姿を変えていることは聞かされていたので、驚きはない。
ゲラン・ゲビッツは慌てて逃げようとするが、カイトとジャックが馬車から飛び降り、クラウディアやフィーナと共に、ゲラン・ゲビッツを捕まえようとする。それは成功したかに見えたが、次の瞬間、ゲラン・ゲビッツを取り押さえようとした四人が地面に転がり、のたうち始めた。
その隙にゲラン・ゲビッツは起き上がり、向こう側へと逃げていく。
「シズは四人を見てて。私が奴を追い掛ける」
シズアの返事を待たずにアニスは走り出す。
標的は路地を左右に曲がりながら逃げているが、探知魔法を使っているアニスは問題なく相手の場所が把握できていた。
身体強化をして走る速度を上げ、徐々に距離を詰めていく。
「近付くとアレを喰らっちゃうからね」
追い付いても、ほどほどの距離を開けて標的を追い掛ける。
そして、人通りの無い少し広めの場所に出たところで魔法を使う。
「ウォータートルネード」
力ある言葉と共に、標的の周囲に水の壁が竜巻上に立ち上がる。それはどんどん細くなっていき、遂には標的を飲み込んだ。
そして魔法が消えた後、グルグルと回転して目を回した標的にアニスは素早く近付いて、鳩尾に一撃、更に後ろ首に一撃入れて気絶させる。
「何も反撃してこなかったけど、こいつ、アレ以外の魔具はどんな奴を持ってたんだ?」
アニスは呪文を唱えられないよう標的に猿ぐつわを噛ましてから、相手が身に着けていた魔具を順番に外していく。
すべてを回収し終えて、さらに暫く経ってから、回復したカイト達がシズアを伴ってやってきたのが見えた。
「おーい、こっちだよー」
手を振るアニスにシズア達が気が付いて近寄って来る。
アニスは、シズア達に標的を捕まえたことを格好良く言おうとしたところで、ふと相手の名前を思い出せないことに気付く。
「あれ?何て名前だったっけ?ゲイなんちゃら?」
一所懸命に思い出そうと、首を傾げるアニス。しかし、幾ら考えても頭の中に名前が出て来ない。
そのままシズア達が到着しても、アニスは思い出せず、まことに締まらない思いをした。
因みにゲイなんちゃらですらない、ゲラン・ゲビッツである。