3. アニスは交換条件を提示される
王国、いやこの世界の中で、魔女と言う存在について囁かれ始めたのは、今から千年以上も昔のことである。
曰く、魔女は強大な魔力を持っている。曰く、魔女はあらゆる魔法が使える。曰く、魔女には魔法が効かない。曰く、魔女は死なない。
雑多な噂が流れるが、どれが本当でどれが嘘かは分からない。実際に魔女を目撃した者の話は聞こえて来ず、魔女に出会った者には死が訪れるとの噂さえもあった。
そうした噂は為政者達も耳にしていたものの、彼らの大多数は余り気に留めていなかった。一部の者が自らの権力の拡大のためにと魔女探しに奔走したが、それらはすべて徒労に終わっている。
そうしたことから、為政者達は長いこと魔女はいないものとして扱ってきた。
事態に変化が訪れたのは50ほど前、帝国の北の辺境に邪神の使徒が現れたことによる。邪神の使徒は緑色のオーラを纏い、普通の魔法使いに対して圧倒的な力を見せつけた。
このままでは大陸全土が邪神の使徒に征服されてしまうだろうと誰もが考えた時、邪神の使徒の占領域を取り囲む大きな結界が突如として出現した。
当初、人々はその結界の役割が分からなかった。と言うのも、普通の人も魔獣もその結界を通り抜けることができたからだ。だが暫くするうちに、その結界が邪神の使徒のみを阻むものであろうことが分かる。
そして、その結界を作ったのが魔女であるとか、魔女が敵対するのは国家ではなく邪神の使徒であると言う噂が流れ始めた。
後に結界の内側の領域が魔導国として独立を宣言したことで、帝国や王国は国としての対応を求められたが、邪神の使徒の勢力圏内である結界の内側に攻め入ることができるでもなし、魔導国側からの侵攻もなかったため、国境線を巡る争いは勃発せず、魔導国側から流れ込んで来た難民の受け入れに追われるにとどまった。
そうした一連の出来事の中でも魔女はその姿を人々の前に晒すことは一切なかった。
魔導国を取り囲む結界だけが、唯一魔女の実在を示唆するかのように残り続けた。
さて、ラ・フロンティーナとの会見から三日後の昼下がり。アニスは王都の街中を歩いていた。服装は、質素なロングのワンピース、そこらにいる町娘風を装っている。でも、いつも通りに腰から剣を下げていた。
勿論、剣は収納サックに入れて持ち歩くこともできる。が、これは見せた方が犯罪の抑止力となると腕に覚えがあれば剣を下げるのが常識、と思いきや、周囲を行き交う女性で剣を帯びている人は殆どいないことに気が付いた。
「ここはそれほど治安が悪くないってことかな」
アニスは一人で勝手に納得し、他人を気にしても仕方が無いとそのまま歩き続ける。
そして暫くの後、アニスは神殿の建物の前に立っていた。
「いやぁ、やっぱり王都の神殿が一番立派だね」
感心しながら一通り見回し、中へと入る。
そこは大きくて広い本殿の空間で、奥には十柱の神像が並んでいた。
アニスはいつもと同じく、中央左の生命神ヴィリネイアの像の前から祈りを捧げ、順に左へ移っていく。そして一番左の豊穣神アルミティアの次は一番右の冥界神ハデュロス。そして順に左へと移り、最後に中央右の世界神ザナウスの前へ。
偶に神々の声が聞こえることもあるが、今日は誰も声を掛けて来ないなぁと思いつつ、ザナウス神に祈りを捧げていると、隣で衣擦れの音がした。
目を開けて隣を見る。そこには神殿学校の制服に身を包んだツインテールの少女が、祈りを捧げている姿があった。
「おおっ、可愛い。尊い」
アニスは感動した。シズアも可愛いが、この子も十分に負けていない。
「ねえ、貴女はここの神殿学校の生徒なの?」
アニスが声を掛けると、女の子はアニスの方に顔を向け、にっこり微笑んだ。
「はい、そうです」
「ねえ、少しお話したいんだけど、お茶でもどう?」
我ながらベタなナンパの台詞を口にしてしまったものだと思いつつも、他に良い誘いの言葉が浮かばなかったので仕方が無い。
「あの、知らない人に付いていってはいけないって」
少女がモジモジする。
「いや、そんな怪しいことしないから」
って、誰もがそう言うよなぁ。シナリオの選択を間違えたか。
「ほら、じゃあ、こうしない?すぐそこにオープンカフェがあるじゃない。あそこなら街の人の目もあるし安全だよ。そこでお茶を飲むの。ケーキも付けるからどう?」
いやもう、ここはごり押ししかないよね。
少女は少し考えるフリをしていたが、直ぐに微笑みながら頷いた。
「はい、そこのオープンカフェなら」
口説き落とすことに成功したアニスは、少女と共に意気揚々と神殿前のオープンカフェに移動する。
明るい日の光の下で見ると、少女の可憐さはより際立ってみえた。
二人ともが紅茶のケーキセットを注文する。
「何歳?十一歳?」
「十二になりました」
「じゃあ、もう直ぐ卒業なんだ」
「はい」
「卒業したらどうするの?」
「それがまだ決めて無くて。先生からは神官になるか、魔法学校に行ったらと言われているんですけど」
「え?それってとても優秀ってことじゃない?」
他愛の無い会話をしているうちに、注文していたケーキと紅茶が給仕された。
二人はケーキに舌鼓を打ちながら、にこやかに紅茶を飲む。
と突然、少女の表情が険しくなった。
「のう、アニス。我はいつまでこの茶番に付き合わねばならんのだ?」
「えー、いいじゃん、サラ。凄く可愛いって。神官学校の制服似合うんじゃないかと思ってだけど、その通りだったね。見た目、少し幼くしてるよね?」
「当たり前だ。いつものままこれを着たら、残念な年増女になるぞ」
「あー、サラでもそう感じるんだ」
「お主は我を何だと思っておるんだ?」
いきり立つサラを、まあまあと宥めるアニス。
「まあ良いわ。それで、わざわざこんな面倒なことまでした意味は何だったんだ?お主と密会するにも、もっと簡単な方法はあると思うのだが」
「ん?私の趣味だよ」
「そうか。お主の趣味のために、我は準備も含めて三日の時間を割いたと言うことか」
サラは軽く溜息を吐く。
「悪いね。でも、サラの可愛い姿が見られて、私は幸せだよ」
「そう言って貰えるなら我としては嬉しい限りだが、お主は少女をナンパする危ない奴と言うレッテルが貼られかねんぞ」
「うん、まあ、そうなったら、そうなっただよ」
アニスは両肩を竦めてみせた。
「そう言えば、サラ、この前は情報ありがとう」
「何の話だ?ああ、シズアのことを口実にクレイドロフを引っ張ろうとしていた奴か」
「そう。あの地図、オバさんが用意していた証拠なんでしょう?」
「いかにも。態々用意してくれておったものだから、掠め取るのは簡単だった」
「お蔭で釘を刺せたと思うよ」
「それは何より。で、その礼が言いたかっただけではなないのだよな?」
サラが上目でアニスを睨む。
「それは違うんだけど、またお願いがあるんだよね。クレイドロフ絡みで」
「奴の補佐官のことか?ゲラン・ゲビッツだったか」
「うん、そう。流石はサラ、良く分かってる」
アニスは胸の前で手を組み、目を輝かせてサラを見る。
「ふん、誰かさんがサッサとクレイドロフをやってしまったからな。あの姫殿下が次に欲しがるだろう物くらい、容易に想像付くわ。しかし、姫殿下に肩入れして良いことでもあるのか?」
「そうだね。オバさんに恩が売れるなら売っておきたいかなって。そうすれば、シズの立場も良くなると思うし、オバさんの発言力も強まるだろうし。今の国内では、シズの考え方に一番近いのはあのオバさんだからね」
「オバさんオバさん連呼しておるが、姫殿下はまだ二十五ではなかったか?」
「二十五なんて、私より十も年上じゃない。十分オバさんだよ。それに、一緒に冒険者やっていた頃、盛んにヒヨッコ扱いしてくれたから、丁度良いんだって」
アニスは鼻息が荒いが、サラは半分呆れ顔だ。
「お主達、似た者同士かもな。まあ、お主があの姫殿下とどうなろうと、我らの知ったことではないか」
「そうそう、放っておいて。それでだけど、ゲラなんちゃらは、オバさんに渡しちゃって良いんだよね?」
「ああ、構わんよ。奴は技術のことは分かっていないからな。流石の姫殿下も魔導国と取引するとは思えんし。もっとも、変な動きをすることがないか、常に監視はしとるがな」
「それで、そいつは今どこ?」
アニスが尋ねると、サラはテーブルに肘を掛けて前に乗り出してきた。
「教えてやる代わりに、お主にやって欲しいことがある」
あと一話で一区切りです。本日中に投稿できるように頑張ります。