転生論③ 移動方法 ※
現実からかけ離れた夢を見る頻度の少なさから、魂のようなもの、似非魂と呼ぼう、は、今のぼくの座標に似た世界素の世界、宇宙素の宇宙の間を行き来していることか分かる。見た夢の世界素の違いは分かりやすい。実際には経験していないが、選択の違いで経験してもおかしくないような夢が多いからだ。
しかし、宇宙素の違いは夢では分からないことが多い。酷似した違う宇宙とぼくの居る宇宙の区別はつかないからだ。それでも、日本に生まれ大学生になって、社会人をして、という夢を見るのだから、宇宙素が近いことは確かだろう。はっきりと人外になったりすれば分かるのだが。
考えれば考えるほど疑問が浮かぶ。浮かんだ疑問と自分なりの答えを出そう。簡単のために、ぼくの誕生を新たな宇宙の開闢と見倣すのが良さそうだ。ビッグバンから宇宙が始まったとして考えると頭がこんがらがる。
科学では理論と現象に矛盾がなければ暫定的に正しい。これの繰り返しなのだ。正誤はともかく、緒として何か考えを持つのは大切だ。化学だって鉄などの卑金属から金を作るための錬金術から始まったじゃないか。現代の科学ではそんなことは核反応を起こさなければ無理だと分かっているのに。
・何故似非魂は世界や宇宙の間を行き来するのか
これは「何故生きているのか。」レベルの疑問だろう。何か目的があるのだろうか。記憶集め?考えるだけ無駄そうだ。初っ端から思考放棄。
・似非魂は何時、どうやって移動しているのか
もし似非魂が物質だとしたら、ワームホールくらいしか思いつかない。物質じゃなければ何なのか。
似非魂が移動するのは十中八九、眠っているときだろう。ぼくが眠っているときに出入りして、無限の時間を他で経験しながら、またふらふらとぼくに入るのだ。そして覚醒するとぼくに固定され、次に眠るときまではぼくの中にずっと居る。そう言えば寝ない依代は居ないようだ。
・何故異なる座標に居る依代の記憶を夢としてを見るのか
似非魂が記憶を持つからだろう。固定されない睡眠中に似非魂が依代に入ると、記憶が共有されるのだ。そもそも人間の海馬にあるとされる記憶は物質なのだろうか。それすらも分からない。何故中途半端に断片的にしか他の記憶を見られないのだろう。
・何故異なる座標の依代の記憶を夢と感じるか
依代の記憶容量が小さいからだろう。似非魂が集める無限の記憶は、依代では全て覚え切れない。そもそも座標の異なる依代の記憶は他の依代に役立たないことが多い。多くの人間は必要ない記憶は直ぐに忘れる。似非魂は故意に記憶を共有するのではなく、依代に一部滲み出た記憶をただぼくたちが夢として感じ取っているのではないかと思う。それでも夢はある程度長いはずだ。しかし、記憶力の低さからぼくたちは殆ど忘れる。だから断片的で現実味がないのだろう。
では、レム睡眠中に似非魂がいるのだろうか。ぼくたち依代から見たら周期的に入ってきているのか。
人間なら海馬に、一部の臓器にもあるという説もあるが、記憶がある。過去から連綿と繋がっているように感じる。もし、世界が数秒前に出来たとしても、ずっと昔からの記憶を植え付けられれば世界は昔からあるように感じる。この連続の体感が現実味なのだろうか。だからそれぞれの依代に似非魂が固定されると、つまり覚醒中は、その依代はそれぞれ現実味を感じているのだろう。
・何故現実世界の思考のまま明晰夢の中で動けるのか
依代によって記憶や思考が異なるはずだが、明晰夢ではこの世界のぼくの思考を持ったままだ。明晰夢とは似非魂にとって何か特殊な状況なのだろうか。ぼくは明晰夢中でもある程度は依代の記憶を感じてはいる。
現実世界でも、ふと現実味がなくなることがあったり、何でこんなことをしたんだろうということをしてしまうことがある。このときは他の誰かがぼくの経験を明晰夢として見てるのか。では、金縛りはその逆で、依代が覚醒しているはずなのに似非魂が依代に居ない状況なのだろうか。似非魂が固定されている覚醒中の依代から、似非魂を弾き出して他の似非魂が入るのが明晰夢と考えるのが妥当か。
そのときに元の依代の全ての記憶を、乗っ取り先の依代に全て出力してしまうのか。
・似非魂はいくつあるのか
世界が無限にあるのだから、似非魂も無限にあるだろう。似非魂はぼくが生まれたときに生成、或いは他から入ってきて、分裂する。同一時間軸平面上のぼく、同じ木から出た枝にそれぞれ分裂して行く。
そして睡眠中にそれぞれが世界素の異なる座標を行き来して、枝の間を飛び交って、互いの依代の記憶を意図もなく読み取り、夢として出力を行う。つまり、他の依代にこのぼくの似非魂を入れるには、他の枝に飛び移るには、ぼくも移動先も眠っている必要がある。例外はあるようだが。
入眠時に憧り出た似非魂と覚醒時にぼくに入る似非魂同じもののようだ。ぼくから出た似非魂はぼくに固定されているとき以外は分裂しない。睡眠中は枝の成長は止まる。
・似非魂が入る依代は決まっているか
完全には決まってはいないと思う。ただ、ぼくの見る夢の内容から言えば、近しい値の世界素の世界、近くの枝にいる依代に入ることが多いようだ。時々値が大きく異なるところにも行くようだが。
そして、世界素の似た世界、転んだぼくと転ばなかったぼくがいるような世界では、必ず他のぼくに入ることが分かった。友達や親族といった他の周りの人には入らない。ということは、似非魂が入る依代は全てぼくだ。
ではやはり、人外などの世界は、宇宙の遠く離れた場所にあるわけではないのか。違う宇宙があるのだ。
思考を整理しよう。生命が生まれると、どこからともなく似非魂が宿る。元々誰かのものだったのか、新たに生成するのか、将又どれかか分裂して入るのかは分からない。ここでぼくの宇宙の開闢が起こる。木の種が芽を出す。時間軸が無数に分裂する。枝が伸び、分裂していく。依代の睡眠中に、似た世界素を中心にして似非魂は他の依代に出入りする。近くの枝を中心に枝の間を飛び交う。このとき、記憶の複製と出力を自然現象のように行う。滲み出た記憶をぼくたちは夢として断片的に見る。恐らくレム睡眠中だろう。
人外の世界は値が大きく異なる宇宙素を持つ宇宙だ。ぼくの居る木が松だとすると、マングローブのようなものだ。ここに移動する確率は少ない。




