社会人⑧ 赤いカトレアと純度の低いリン酸カルシウム
前の年、父方の祖母は骨折して手術したが、めっきり歩かなくなった。もう出荷はしていなかったが、未だに自分たちや周りに少し配る程度の農作物を作っていた。しかし、それももう祖父1人の仕事になった。
そうするとあっという間に痴呆になり、デイサービスを経て施設へ入居した。段々とぼくの顔も分からなくなっていき、遂にはもう周りの誰も認識できなくなり子供に戻ったようになった。
「おとーちゃん!おとーちゃん!」
自分の息子を父親と認識しているようだ。
そして半年強が経過し誤嚥性肺炎で死んだ。死に至る持病などはなかったが、肺炎が急激に悪化したのだろう。詳しくは聞いていないので分からない。
肺炎を起こさなければ今数年は生きただろう。痴呆のまま生きるのとこのように死ぬのはどちらが良いのだろうか。
ここ数年は年に数回、節目に会うくらいで、一緒に住んでいたわけではないのでそこまで悲しくはなかった。
父親からの連絡で、ぼくは慶弔休暇をとって葬儀に参列した。
兄は変な色のシャツにベストで来ていて、ベストの隙間から贅肉がはみ出ていた。30人程度の参列者の他は全員喪服なので悪目立ちしていた。気持ち悪い。
それにしても禿げたな。遺伝子的に3/4は禿げないはずなのに、見事に1/4を引いて禿げていた。ぼくは引かなくて良かった。
某震える恋愛ソングの葬儀バージョンが流れていてニヤニヤしていた。読経の途中で坊主が立ち上がり、シンバルのようなものを持ってきて鳴らし始めたときは肩が震えた。後ほど調べると、妙鉢というらしかった。
記憶にある限りで葬儀に参列したのは3回。母方の祖父母と焼身自殺した母方の大叔父。宗派が違うのか、この妙鉢とやらを目にしたのは初めてだった。
通夜が終わり告別式も終わり繰り上げて初七日の法要を行った。後は焼くだけだ。
葬儀場のスタッフが慣れた手つきで献花の白菊を手折って集めるのを眺めていた。色物は別に集めて最後に棺に入れるらしい。
スタッフの持つ箱から白菊を受け取ると、祖母が菊を育てて居たことを思い出した。そう言えば菊のコンクールに出展して何度も賞を貰っていたな。食用の菊を育てて酢の物にして食わされたが、ぼくはそんなに好きではなかった。
この段階で初めて祖母の死に顔を見た。ぼくは漸くここで祖母の死を目の当たりにした。
瞼に涙を溜めて流れるのを防いだ。
記憶が蘇る。勿論初めて会ったときのことなど覚えていない。子供の頃は会うのが楽しみだったことは覚えている。
どれくらいの頻度で会っていたのかは記憶にないが、車で20分の距離なのでよく会っていたと思う。
いつも何かご飯を作って食べさせてくれていた。何を作ってもらったかもあまり覚えていない。
芋を掘ったり巨峰に袋を被せたりスイカを磨いたり。農作業をよく一緒にやっていた気がする。
ぼくはそのスイカが好きで夏になるとお腹いっぱい食べた。
梨、林檎、メロン、苺、トウモロコシ、サツマイモ……よく見る農作物は沢山貰ったな。
帰るときは、見えなくなるまで車の窓から身を乗り出して手を振っていた。
筍を掘るのも手伝っていたが、ぼくなんかより背が小さくて腰は直角近く曲がっているのに、ぼくより掘るのが上手かった。
絵手紙を描くのが好きで、毎年年賀状に描いて送ってきていた。
「もう段々送る人も少なくなっちゃったよ。」
まだ正気な頃の祖母がそう言ってぼくに絵手紙を見せてきた。知り合いもみんな死んで行ったのだ。
ぼくの名前を呼ぶ声が思い起こされる。独特の声色で嬉しそうにぼくを呼ぶ。
棺の蓋が開けられて参列者が次々と花を手向ける最中、父親は憮然と死に顔を守っていた。
名前の分からない花や百合、最後にぼくは顔の傍に赤いカトレアを手向けた。
父親は閉められようとする棺の蓋から覗き込むように、最後まで熟視していた。親が死ぬのはどんな気分なのだろう。
出棺の後に溜めていたものをトイレで流す。
有機物が殆ど飛んで純度の低いリン酸カルシウムが残った。遺った?
試薬にもならないこれを壺に入れて、ぼくたちは態とらしく後生大事に保管する。




