社会人⑤ ぼくの素直な場所にばいばい
飼っていたラブラドールの体調が悪くなった。少し前から腎不全で、トイレも我慢できなくて漏らしてしまうようになったので、オムツを履かせていた。ご飯もあまり食べなくなった。
それでもまだ元気には見えた。散歩には行きたがるし、車で帰ると相変わらず外にある部屋から顔を覗かせてしっぽを振った。
こいつには世話になった。辛いとき、悲しいとき、嬉しいとき、温もりが欲しいとき、いっぱい抱き締めてきた。犬臭いけど、毛だらけになるけど、それが大好きだった。
ここら辺の年末年始に帰ったとき、顔を覗かせなくなった。見に行くと部屋の奥のヒーターの上に居た。寒さに強い犬種のはずで、今までは冬でも関係なしにはしゃいでいたのに。車の音が聞こえないんだろうか、動くのが疲れてしまうんだろうか。
その癖、散歩には行きたがっていた。外の世界に出るのが好きなんだろう。
とうとうご飯を全く食べず、水も飲まなくなったので、入院させた。
「もうこれ以上は難しそうです。お家で過ごしてあげてください。」
ああ、愈だね。病院に迎えに行くと、ぼくを見て嬉しかったのか、起き上がってケージから出ようと動き回った。
「全然動かなかったんですよ。まだこんなに元気があったんですね。やっぱり飼い主さんが好きなんですね。」
家に連れ帰り一緒に部屋に入った。ずっと抱き締めていた。片目を上げて顔を覗き、ぼくを舐めた。
「ごめんね。もっといっぱい遊んであげたら良かった。ごめんね。ごめんね。大好きだよ。大好き。」
それから名前をいっぱい呼んだ。数時間抱き締めながら泣いていたと思う。というか、犬の前では随分と素直なんだな、ぼくは。
「死んだらこれで焼いて。」
親に5万円ほど渡した。
年末年始休暇は終わり、職場の近くの家に帰った。数日は毎日点滴を打って少し散歩もしていたようだ。
だがその後直ぐに死んだ。次の週も実家に帰ると、いつも顔を覗かせていた扉は閉まっていた。実家に帰ると一番最初に見る馴染んだ場所がないことに動揺した。
一緒に暮らした祖父母の写真のある仏壇の横に、骨壷があった。享年と名前が書かれていた。
「ありがとう。大好きだよ。ゆっくり休んでね。」
線香を供えて呟いた。
今度から誰に素直なぼくを曝け出して慰めてもらえば良いのだろう。
閉まっていた扉を開けて中に入る。まだ毛が少し残っている。まだ犬の匂いがする。抱き締めたい気持ちの行きどころがなくなってしまった。
犬公方の父親はリードを持って散歩した。四十九日まではやるらしい。それはそれで面白かった。




