フリーター期Ⅱ④ 先生のぼくの最後
そんな日々が続き、大学入試の時期になってきた。湊の勉強はあまり見ていなかった。自分でできると言っていたからだ。そう言うなら無理に見ようとは思わなかった。時々は連絡が来て、分からないことを質問してきた。偶に気分転換に遊びにも連れ出した。こいつはどれくらい勉強ができるようになったのか分からなかった。
同じく家庭教師の教え子も受験期だ。いくら言っても広く勉強することをせず、狭い範囲を細かくやっていた。そんなんじゃ1つ終わって次に行って、また次に行った頃には忘れるぞ。何度も忠告していたのに。
ぼくを目標にして、分野も化学を選んでいたので、幸い受験科目は同じだった。苦手な社会系以外は全部教えた。学生時代にボロボロになってるのを目の当たりにしていたのに、よく同じところに行こうと思えるな。
「厳しく指導されるのと、優しく指導されるのどっちが良い?」
「厳しい方が良いです。」
「分かった。多分ぼくのこと嫌いになるよ。」
高3初期にそのような話をしたので駄目出しをしまくった。コツコツやるタイプじゃないぼくにはブーメランだが、今は関係ない。
「ここの範囲本当に勉強したの?イオン反応式全く書けないじゃん。教科書に書いてあることは全て理解して、覚えて。」
「何その計算。何で対数同士の積が真数の積の対数をとったものと等しくなるの?定義は丸暗記して。定理は全て導出できるようにして。そこが基本だよ。」
「ここのlikeの品詞はなんなの?後ろに名詞が来てるよね。何でそれで副詞になるわけ?どう考えても前置詞でしょ。こんなの中学の範囲だよ。前置詞って何かわかる?名詞と合わさって副詞句、形容詞句を形成して修飾語になるんだよね?この時期にこのレベルはやばいよ。文を読むレベルじゃない。この参考書の品詞の部分を全部読み直して暗記して。」
「この助動詞の職能は?分からないの?助動詞の活用、職能、接続は丸暗記しなきゃ駄目だよ。アルファベット分からないまま英単語書く勉強するようなもんだよ。」
「これってニュートンリングの話だよね。有名なものだし……ほら、教科書にそのまま載ってるじゃん。全く調べてないでしょ。分からない問題をぼくに訊くのは良いけど、四六時中見てるわけじゃないんだから、自分で調べた上で、それでも分からないものを厳選して質問してよ。時間は限られてる。」
精神的ケアもちゃんとした。
「よく続けられるよね。偉いわー。ぼくなんかコツコツできるタイプじゃないし、こんなこと言う家庭教師来たら、うるせえ帰れって思うわ。」
お金は何時間やっても1.5時間分しか貰わなかった。良くないことなのは分かってるが、家庭教師を始めたときと同様、勉強したい子供にお金の心配をさせたくなかった。朝からやって夕方に帰るようなこともあったから、本当はもう少し貰っても良かったな。
一次試験が終わった。
「一次試験これくらいしか取れなかったけどどうする?正直言ってうちの大学は多分無理。二次試験の配点がかなり高い大学を受けて挽回する手もあるけど、ここから上げるのは相当難しいよ。」
「無難にこの点数で行けそうな国立受けることにします。」
「分かった。それまでまだ時間はあるから、もう一息頑張ろうね。」
今まで以上にぼくは厳しく指導した。
「今日で最後だね。5年間ありがとう。お疲れ様。明日が今までの成果の見せ所だからね。頑張って!」
受験日の前日、ぼくは教え子の家に行った。もう難しいことはやらずに、簡単に総復習をした。
「こちらこそありがとうございました。頑張ります!」
「先生、こちらよろしかったら受け取ってください。ほんの気持ちです。いつもいつも長時間指導していただいたのに、短い時間分しかお支払いせず申し訳ありませんでした。ありがとうございます。」
お母さんから、ぼくが好きなビーグルのキャラクターのハンカチ、ネズミのキャクターのネクタイ、有名店の高級チョコレートを貰った。ネクタイをする職に就くつもりはないんだけどな……。私服で着けてみよう。
「いえいえ。勉強したい子供にお金を気にさせるのはぼくの本意じゃないので。趣味みたいなものですよ。」
合格発表の日が来た。
「先生!受かりました!」
電話が来た。生徒とお母さんからお礼を言われた。
「良かった。本当に良かった。今だから言うけど、正直少し難しいと思ってた。よくここまで頑張ったね。おめでとう。」
「ありがとうございます。前日に先生と復習できたお陰で、頭の中が整理されました。」
「他の大学はどれくらいか知らないけど、国立の化学は大変だからね。ここからがスタート!頑張ってね!応援してる!」
5年間教えた子が旅立つのは、なんと言うか、寂しいと言うか、嬉しいと言うか、複雑な心境だった。




