大学生⑨ 被害者意識と罪悪感
湊と終わった時期に知り合った、歳下の男と付き合った。海野翔吾。私立の最高峰の大学で法学をしていた。正直スペックに惹かれた部分が大きかった。数理学は壊滅的だったが、そのほかの知識はぼくを超えていたと思う。
少し遠かったが一人暮らしの家に通った。ぼくがご飯を作ったり、近くの繁華街にご飯を食べに行ったり。
両親は教師で、お母さんはぼくの通う大学が母校らしい。家柄なんて気にする質ではないが、家柄も良く生真面目だった。
翔吾は事故で恋人を亡くしていた。奇しくも祐也と同じ地元で、進学と共に上京していた。物理的な距離が離れて彼女を面倒に感じるようになって、連絡をあまり返さなかったらしい。連絡が来なくなって暫くしてから、彼女が事故で亡くなったことを知ったようだ。
彼女への対応に後悔しているようだった。思い出して泣いたりすることもあった。それを聞いてぼくは酷く訝しがった。事故死しなければ何とも思わなかった癖に、死んだら憐憫の種に使うのか。その浅慮に戦慄き、同時にぼく自身もその気があることに気づいた。自分に対する軽蔑を無視するために思考を放棄した。
翔吾とは数ヶ月付き合ったが、ぼくはまだ湊が忘れられていなかった。良くないね、終わりにしよう。
「もう恋愛なんてしないって思ってたのに、颯さんのせいで恋愛をする幸福を思い出してしまいました。」
心に刺さった。形振り構わず恋愛ごっこするのはもう止めよう。ぼくは自分を傷付けるものだけに注目していたが、自分が傷付けた相手のことを考えていなかった。考える余裕がなかった。
今回は全面的にぼくが悪い。ここで初めて罪悪感が湧き、自身の愚行に気付いた。罪悪感から泣きながら謝った。ここで加害者が泣くべきではないことは分かっていたが、堪え切れなかった。
まだまだ青臭い精神を持っているが、最も酷かった時期に比べたら大分マシになった。もう少し余裕を持とう。次々と縋れる相手を見つける恋愛は止めよう。
2年生は学生の中で1番余裕のある時期だったので、学生らしく遊び回った。テストの前日に新3で海に行ったときは流石に辛かったが。15時くらいには帰る予定だったのに、2人が夜にやる花火を見たいと騒いだので、根負けして夜まで居た。ぼくは浜辺で言語学の参考書を読んだ。
そう言えば、高校生の頃に疑問に思っていた、曇りの日に水に氷が張らない理由が自分なりに分かった。水分子を構成する酸素には最外殻に6つの電子がある。その内2つずつが2つの非共有電子対を形成し、残りの2つの電子が1つずつ、水素原子の電子1つと共有結合を形成し、2つの共有電子対が出来る。Valence Bond Theory(原子価結合法)で考えると、静電反発した4つの電子対は1番遠い位置、つまり四面体の頂点に位置する。非共有電子対同士の方が反発力が強く、正四面体とはならないが。従って、水素-酸素-水素は折れ線型になっている。ここまでは高校の範囲だ。全ての物質は熱に拠って目に見えない振動をしている。水分子の場合は、2つの結合が同時に伸び縮みする振動、片方が伸びて片方が縮む振動、水素-酸素-水素の結合角が変化する振動の3つの振動がある。前2つが伸縮振動、最後のが変角振動だ。変角振動では双極子モーメントが変化する。双極子モーメントは原子に特有の電子の引き付け易さ、電気陰性度に拠って向きが決まるベクトル量である。水分子の2つの結合は同じなので、結合角が変化すれば2つの結合の双極子モーメントの合成ベクトル、つまり分子全体の双極子モーメントが変化するのは容易に分かる。このような対象中心を持つ分子において、双極子モーメントの変化する振動は赤外線を吸収してエネルギーの高い状態、つまり振動励起状態となり、不安定な励起状態からまた安定な状態に戻るときにエネルギーを放出する。つまり、水分子を含む雲が空にあると、地表から発せられる赤外線は、擬似的に一部が雲に反射されるように見える。太陽光の届かない夜は地表は熱を受け取らず、赤外線としてエネルギーを放出して気温が下がるが、雲があると放出したエネルギーの一部が返ってくるのだ。だから曇った夜は気温が下がりにくく、水に氷が張りにくい。なぜ双極子モーメントの変化する振動が赤外線を吸収するかというのは次の計算で導ける……。]
おっとここら辺で止めておこう。時間が限られているのだ。
この後、家庭教師で中学の理科を教えていたときに、「放射冷却」としてこの現象は紹介されていた。習った記憶が抜けていたようだ。ぼくごときが思いつくことなぞ、疾うに発見されているのだ。新しい発見ができたら良いな。
2年生は語学、言語学に入れ込みすぎて、化学の成績が酷かった。単位認定ギリギリのものが多かった。




