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春巡る  作者: 伽倶夜咲良
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4. 幻視夢寐(げんしむび)

 お稲荷様の方に向き直って歩を進めると白く塗られたお(やしろ)の色が日差しに眩しい。


 朱色に塗られた柱や梁も鮮やかだ。お社の配色といい、巫女様の白衣と緋色の袴といい、この白と赤い色の組み合わせが私は大好きだ。

 そこはかとなく厳かで澄んだ気分にさせてくれる。

 今日私が着ている柿色のワンピースも少し巫女様の緋袴をイメージしてのものだ。さすがに真っ赤な服を着る勇気はないので少し落ち着いた色味のこの色を選んだのだ。言ってみれば神社巡りをするときの私の勝負服。

 今日みたいな天気の良い日には自撮りをしても色合いが映えるので結構気に入っている。


 お稲荷様の正面に立つと白と朱色のコントラストがより際だって輝いているように見える。


 お社前の鳥居で一礼をして身体を起こしかけた瞬間、刺すような鋭利な一筋の光が眼球に飛び込んで来た。

 初夏に向かう太陽の強烈な日差しと視線がたまたま合ってしまったのかもしれない。

 思わず瞼を固く閉じたがそれでも瞼の裏に白い残光が浮かんでいる。静かにゆっくりと瞼を開けようとするが重い。僅かに開いた隙間から見える景色がだんだんと色を失っていく。

 白と赤と新緑の緑の原色で彩られたさっきまでの風景から徐々に色が抜け落ちていく。赤みがかったセピア色、そして灰色がかった白と黒のモノトーンの世界へ移り変わっていく。


 ――やばい!これ、やばい!貧血かな?もしかして熱中症?日差しが強すぎた?帽子かぶってくればよかった?水分?……塩分?……


 そんなことをぼんやりと考えているうちにも視界が歪んでくる。

 目の前にある石でできた頑丈そうな鳥居が歪んで今にも自分に倒れかかってくるように見える。

 唐突に激しい風が吹き抜けたような気がした。境内に植えられた木々の枝葉がざわざわと唸っている。耳鳴りのようにも聞こえる。風に吹かれたせいか体制を崩して思わずそこにしゃがみ込む。

 なんとか力を振り絞るようにして顔を上げてみる。向かい合う二体のお稲荷様の像が見える。

 視界が歪んでいるせいだろうかお稲荷様がゆっくりとこちらに向いて首を回しているように見える。二体のお稲荷様の瞳がこちらをじっと見ている。視線を合わさないように俯こうとして目を下の方に向けた。


 お稲荷様が乗る台座の足下に猫がいる。白黒ブチの猫。

 猫もこちらをじっと見ている。銀色の瞳の中で瞳孔が縦に細長く縮んで光った。

 また目を逸らして上を見る。上目遣いになった私の視線とお稲荷様の視線が合った。


 その瞬間景色が大きくぶれて一変した。

 神社には違いない。違いないけれども、目の前の景色は今この時までいたはずの北野神社の境内ではない。



 ふらつく頭で必死に考えても戸惑うばかりだ。

 何が起きているのか?まったくわけがわからない。

 わからないまま意識が遠くなる……ダメだ、踏ん張らなきゃ……そう思えば思うほど、身体も頭も自由がきかなくなる。しがみつくように微かに残った意識が空回りしている……どこまでも不安定に。




「みやちゃん、帰ってきたんだねぇ」


 耳元でささやくように静かな声が聞こえた。


 唐突に私の名前を呼びかけられてはっとした。


 声は優しく続く。

「おかえり……」


 声のする方へ視線を向ける。

 そこにあるはずのない木で造られたベンチがある。

 薄紫の上品な着物を着た年配の女性が座っている。六十代後半ぐらいだろうか。背筋がピンと伸びて若くも見えるのでなんとも判断が付きにくいが声の主であることには間違いなさそうだ。


「あの……あたし……」


 返事を返そうとしたが、どう返していいかわからず言葉がつまった。


「どうしたの?忘れちゃった?」

「…………」  

「そうね。しかたないわよねぇ。あの頃からずいぶんと経つんだもの。みやちゃんだってこんなに大きくなって、かわいらしい娘さんになっているんですものね」


――このひと、私のこと知ってるの?覚えがない。どこかで会ったかしら?


 これまでの記憶を紐解いていると、そんな私の考えを読み取ったかのように応えてくれた。


「えぇ…。えぇ…。よく知っているわよ」

 これまで以上に優しい表情をこちらに向けている。僅かな間を置いて言葉を続ける。


()()()()()()()()()()()


 慈しみの笑顔、とでも言えばいいだろうか、相好を崩してこちらを真っ直ぐに見つめる視線。

 こんな視線を、こんな感情を今まで他人(ひと)から向けられた経験がない私はドキマギして思わず顔を背けてしまった。


 そして次の瞬間、おばあさんが見つめる対象が私ではなく、私の後ろに立つ誰かなのではないかとふと思いついて、後ろに振り向いたり、周りに首を回してキョロキョロしてしまった。

 しかしそこには誰もいない。やはりこの境内にいるのは私と、目の前の上品なおばあさんだけ。

 動揺してキョドってしまったことが急に恥ずかしくなってごまかすように境内の様子をぐるっと眺めてみた。


 立派な拝殿の向かって右手に三つの鳥居が一列に並んでいる。

 石で造られた白い鳥居、その足下には植え込みがきれいに切り揃えられている。

 三つの鳥居が隣り合わせに並んでいる姿が印象的な境内だった。


「こちらに来て座らない?顔もっとよく見せて欲しいわ」


 声をかけられハッとして、おばあさんの方に向き直った。

 静かだがよく透る声だ。頭の中にすーっと入り込んでくる。その声に誘われるままにベンチに歩み寄り、体を少し捻らせておばあさんの方に向き合うような格好で横に座った。


「会えてよかった」


 おばあさんから向けられる視線がまだちょっと気恥ずかしい。視線を下に落としてふと見るとおばあさんの足下に白と黒のブチ猫が身体を丸くして尻尾を巻き込むような格好で蹲っている。どこかで見たような猫……


「今日はとっても嬉しいわ。ありがとう」

「え?」

「小っちゃかったみやちゃんがこんなに立派になって……おばあちゃん安心したわ」

「あのぅ……あたし……」


 目の前のおばあさんが誰なのか、私はまだ思い出せないでいる。そんな私の戸惑う気持ちをそのまま包み込むような優しい表情でおばあさんは言葉を続ける。


「みやちゃんとよく散歩したのよ。ここの境内にもよく来たわ。みやちゃんったら、隠れんぼのようにあっちこっち駆け回ってすぐに見えなくなったりするから、おばあちゃん、ときどき、ひやひやしていたのよ……なつかしいわね、思い出すわ」


 文字どおり昔を思い出すような仕草で、少し首を上げて(くう)を見つめている。

 息をつくように、少しだけ間をあけてからまた言葉が続く。


「そうそう、歩き始めるのも他の子よりも早かったみたいだから、走り回っているのもほんとに楽しそうだったわ。いつも元気でおてんばさんだったのよね~。その()がこんなに素敵なお嬢さんになったのね。

 会えない時間がとても長かったから、こうして久々に顔を見ると少し不思議な気もするわね~」


――いや、いや、そんなふうに自分の幼かった頃の話を聞くと私の方が不思議なんですけど……


 どう反応していいのかもわからずに、ただただ、おばあさんの顔を見つめているのが精一杯だった。



「あぁ、今日、みやちゃんとこうして会えてほんとに嬉しいわ」


 おばあさんは最初に話した言葉をまた繰り返す。その表情はほんとうに嬉しそうで、見ているこちらの気分もほっこりして暖かくなる。

 いろいろと不思議に思ってた気持ちも薄らいできて、今、ここでこうして二人で向き合っていることがとても自然であることに思えてくる。必然の出会いのような気もしてくる。



 そんな想いに耽っていると、何かに区切りを付けるような口調でおばあさんが話しかける。


「また会いにきてね。待ってるから」


 静かに息をするように少し間を空けてゆったりとした言葉が続く。


「みやちゃんとこうしてまた会えたこと、神様にちゃんとお礼しなきゃぁね」


 おばあさんの言葉に何か返したい。おばあさんの気持ちに何か応えたい。だけど頭の中が混乱していて何も思いつかない。何か発したいのにどうにもならない、焦燥にも似た感情が心と頭の中を行き来する。自分自身がじれったくてじれったくて……そんな気持ちが伝わったのか、


「いいのよ。いいのよ……」


 おばあさんはそう言いながら静かに頷いている。


「それに、また会えるわ、きっと。みやちゃんのこと見失ったりしないから」


 足下で蹲っていた猫がいつのまにか顔を上げてこちらを見てる。銀色の瞳の中で瞳孔が縦に細長く縮んで光った。微かな声で鳴いたような気もした。


「待って!」


 振り絞るようにやっとの想いでその一言だけが口をついて飛び出した。


 その時にはもう周りの景色の色が変わり始めていた。

 色が抜け落ちていく。全てを包み込むように強く大きな風が吹き抜ける。木々の枝葉が重なり合ってこすれ合って囂々(ごうごう)としてざわめく。周りが少ずつ歪んでいく。おばあさんの笑顔もいつのまにか薄くなって波立つ水面に沈んでいくようにして消えていった。





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